人文社会系研究

連載:風俗画報でみる明治時代の事故報道

2017.07.24

Web版 風俗画報は、ジャパンナレッジが提供する電子書籍プラットフォームJKBooks上で、我が国最初のグラフ雑誌「風俗画報」を提供するデータベースです。明治22(1889)年創刊、518冊からなる「風俗画報」は、わが国最大の風俗研究誌としても知られています。

風俗画報に掲載されている図版を、センゲージラーニング社Galeのデータベースに搭載された欧米の図版資料と比べながらご紹介する企画、「万国博覧会」「起源・始まり」に続き、「災害・事故」についてご紹介しています。前回の自然災害に続き、今回は事故をとりあげた図や記事を紹介します。欧米の図版資料をご紹介する記事も本サイトでご紹介予定です。両資料を比較することで、欧米と日本における災害の特徴や救済方法、報道姿勢や報道技術などについて、新たな発見があるかもしれません。ご期待ください。

過去の記事はこちら

風俗画報における特集号

風俗画報は当初、世俗や風俗を検証して紹介し、後世に残すという目的で創刊されました。創刊直後の明治22年頃の号を見ると、江戸時代の風俗を回顧、考証した記事が多く、ニュース性、同時代性という色合いはあまり濃くありません。ところが、明治23年に第三回内国勧業博覧会が開催され、また、明治24年に濃尾大地震が起こると、風俗画報史上初めて特集号が出されました。当時の人々に大きなインパクトを与えたこの2つの出来事により、風俗画報編集部も即時的な報道の必要性を感じたということの現れではないでしょうか?その後、多数の特集号が発行されることとなり、風俗画報といえば特集号が多いというイメージになりますが、そのきっかけになったのはこの2年間の出来事だったのではと思われます。

風俗画報の特集号「諸国災害図会」「各地災害図会」では様々な災害が報じられています。「各地災害図会」では明治期最大の鉄道事故についての記事と図も多数掲載されています。今回はそれらの特集号や通常の号の記事や図の中から、風俗画報が「事故」をどう報じていたかをご覧いただきましょう。

箒川鉄橋列車転落事故

東北本線の矢板駅から野崎駅間にある箒川鉄橋を通過中に、列車が突風に煽られて連結器が外れ、貨車と客車が川に転落してしまった事故の様子が図と記事で詳しく報じられています。死者19名、重軽傷者38名の被害が出たそうです。

日本鉄道会社汽車箒川より転墜するの図 各地災害図会 第199号(明治32年11月1日)

転落した汽車の引き上げには、付近の村民や消防夫なども協力し、600人以上が2日がかりで作業を行いました。

箒川より転落列車を引揚る図  各地災害図会 風俗画報 第199号(明治32年11月1日)

事故から一ヶ月経たずに刊行されたこの特集号の中で、巻頭には次のような論説が載っています。この大事故を教訓に二度と過ちを繰り返さないで欲しい、という気持ちがよく表れています。鉄橋を整備して欲しい、運転手にもっと警戒して欲しいなどの要望も見られます。

論説

後車の戒 山下重民

大利ある者は大害あり。物皆然り。故に大害ありと雖も。大利ある者を捨つべからず。唯予め大害の生すべき所を考究して。之が備を為すを要す。若し其の大利のみを見て大害あるを省せされは。則ち大利随て去らむのみ。是を以て苟も其の事に従ふ者は。常に警戒を怠らず。不幸にして大害に遭遇せは。再ひ此に罹さらむことを期すべし。彼の鉄道汽車の如きは。所謂大利ある者にして。実に日用欠くべからざる要具なり。遼遠の旅程一歩を移すを須ゐず。玻璃窓裏より山岳の旋転するを望み。草木の飛舞するを眺め。床褥に踞して喫煙談笑しつゝ。其の志す所に達す。天涯地角恰も比隣の如く。殆むと東西相蹙り南北相迫るの観あり。朝に故郷に著し。父子相見て其の情益々厚く。夕に他県に入り。朋友相遇ふて其の交愈々濃かなるに至る。信書貨物亦併せて之を輸送するを得。誰か之を文明の利器にあらずといはむや。
往昔の旅況を回顧すれは。行糧を裹み。茅鞋を踏み。険山を越え。長河を渡り。幾堠を過き。幾亭を歴。数十日を閲し。頳肩繭足して始て其の地に著せしにあらずや。又急使即ち早打といひ早追といひ。一鞭駿馬に騎り。或は各駅の人夫に乗輿を追はしむるも。人肩馬蹄の力自ら限あり。昼夜疾行止まずと雖も。其の日程知るべきなり。
今や鉄道汽車の利便ありて。飛鳥と其の行を競ふこと。前述の如し。之を往昔の旅況に比すれは。其の難易の懸隔当に啻に霄壌のみならず。然れども時ありて大害を生するを免れず。
各鉄道線路に於て。年々死する者を合算すれば。其の数少しとせず。而して一時に十数名の惨死者を生するが如きは幾むと稀なり。今回の暴風雨に際し。日本鉄道会社の汽車。下野国塩谷那須南郡の境なる箒川に架せる鉄橋上より顛墜し。為めに三十六名の負傷者十九名の死亡者を出したるは。近来の一大惨事なりといふべし。余は爰に天災なりや人為なりやといふを論して。之を擬議するを好まざるも。記者の責任として。聊か注意する所なるべからず。そは他事にあらず。第一に鉄橋を堅固にすること。第二に会社并に機関運転手の警戒を怠たらざること是なり。

両国橋の崩落

明治30(1897)年8月10日、花火大会の最中に、隅田川にかかる両国橋が群集の重みに耐え切れず、10mにわたって欄干が崩落、死者数十名を出しました。


東京両国橋欄干折損の図 第148号(明治30年9月10日)

当日は天気も良く、多数の見物客であふれていたようですが、そんな楽しい雰囲気が一変した様子が描かれています。記事には、事故の経緯や、水上警察署他警察署や憲兵の対応などが詳しく記されています。周囲の船が救助にかけつける場面もありました。

八甲田雪中行軍遭難事件

映画の題材にもなった事件です。ロシアとの戦いを想定し、その準備のための雪中行軍に参加した陸軍兵が遭難し、多数の人が亡くなりました。


歩兵第五聨隊の一部隊除雪中行軍の遭難記事 第247号(明治35年3月10日)

記事は11ページに及び、この事件の一部始終が載っています。遭難された方や行方不明の方の名簿も載っています。遭難者の捜索には、黒とカメという2匹のセントバーナード犬が協力しました。


歩兵第五聨隊の一部隊雪中行軍遭難の図 第247号(明治35年3月10日)

風俗画報の事故報道は、図版が伝える臨場感と共に、記事が伝える事故の経緯や対応などの災害時の状況を伝える貴重な記録となっています。

次回は火災と防災関連の報道記事を取り上げ、さらに風俗画報の魅力にせまります。

(株式会社ゆまに書房 第一営業部 河上 博)