人文社会系研究

ジャパンタイムズ創刊120周年記念企画展によせて

2017.10.23

英字新聞The Japan Times(ジャパンタイムズ)が創刊されたのは、1897年3月22日。

今年はそれから120年目に当たり、10月7日から横浜の日本新聞博物館で記念の企画展を開催させていただくという幸運に恵まれた。

本稿ではその企画展にちなみ、ジャパンタイムズが生まれた経緯、企画展に展示した紙面に関する印象的なエピソードを紹介してみたい。

まずはジャパンタイムズが誕生した理由だが、創刊号に掲載された社説「わが存在理由」に記されている。

ジャパンタイムズ創刊号の紙面

「…欧米人と日本人との間の意思を疎通し、互いに接近する道を講ずる公共機関が必要であるとするならば、ジャパンタイムズの発刊こそ、その急務に応ずるものである」

少々説明が必要だろう。この決意表明の背景にあるのは、幕末に諸外国との間に結ばれた不平等条約や、居留地の外国人に認められた治外法権の存在である。日本の英字新聞は、長崎、神戸、横浜などの開港場で英米人などによって始められていたが、その言論は治外法権を後ろ盾に展開されていたものだった。一方、日本国民の間には、幕末の攘夷論のような排外的な立場からではなく、日本の独立と権威を保つために、不平等条約を改正し、日本と世界各国の間に正しい国際関係を築かなくてはならない、という機運が醸成されつつあった。日本人が経営し、編集する英字新聞――それは日本と外国との架け橋になるものだ――への期待が当時高まっていたのである。

創刊を主唱したのは、頭本元貞(初代主筆)、経営にあたったのが山田季治(初代社長)だった。

頭本は1863年(文久2年)、鳥取県生まれ。1880年(明治13年)授業の大半を英語で行っていた札幌農学校に入学、新渡戸稲造、内村鑑三らとともに学んだ。卒業後英字新聞社ジャパン・メールに記者として入社、並行して内閣属官として翻訳や通訳を続けた。1896年、頭本は伊藤博文の援助を得て外国での新聞経営視察のために、欧米へと旅立つ。農学校時代に夢見た、日本を海外に紹介する仕事――英字新聞発行への強い希望――が、実現へと近づく。

しかし、頭本には金の才覚がない。その彼を助けたのが、日本郵船を退職したばかりの同郷の先輩・山田季治(すえじ)だった。山田は親戚の福沢諭吉に英字新聞創刊について相談した。

福沢はとても喜び、「君たちがこういう計画を立ててくれたことは、国家のために喜びに堪えない。すでに14,5年も前、松方(幸次郎、実業家)、大隈(重信、早稲田大学創立者)などに勧めたのであったが、まだ実現をみなかったのである」と語った。

福沢は、当時日銀総裁だった岩崎弥太郎を説き、その協力を得て、ついに三井、三菱、日本銀行、正金銀行、そして当時すでに世界的な汽船会社だった日本郵船の5大会社から出資を得ることに成功した。

こうして山田は頭本の洋行中に着々と準備を進め、当時各官庁や議会に近い政治の中心地、東京市麹町区内幸町1丁目5番地に社屋を定め、頭本が1897年1月に帰朝した時には、賃貸ながらも社屋が設けられていたのである。

1897年3月22日、山田季治を社長、頭本元貞を主筆として、ジャパンタイムズはその一歩を記した。印刷工場員には、山田と頭本の郷里である鳥取県から優秀な青年を雇い入れたという。

さて、創刊に至るまでの経緯説明はこのくらいにして、今回の企画展にも展示した新聞紙面に関するエピソードを2つ紹介したい。

1つ目は、関東大震災時の「タイプ打ちによる号外の発行」である。

関東大震災の4日後、1923年9月5日の号外

1923年9月1日の12時少し前、首都圏を巨大な地震が襲った。内幸町にあった2階建ての社屋も例外なく被害を被り、3日間は新聞を発行することができなかった。そして4日目の朝、地震発生時から編集室待機していたランダール・ゴウルド記者――その時社にいた唯一のネイティブスタッフだった――は、社屋の前の通りにタイプライターを据え、カーボンコピー用紙を使って「号外」を発行した。そしてそれを、数ブロック離れたところにあった帝国ホテルに持ち込み、「外国人避難民」に配布したのだった。

戒厳令が敷かれたこと、政府内に罹災者救助の担当部局が設置されたことなどが報じられていたのだが、混乱の中、作った紙面の日付が「Aug. 4」だったのは誰も責めることができないタイプミスだろう。

2つ目は、太平洋戦争開戦を告げるタイトルにまつわる逸話だ。

太平洋戦争開戦を伝える紙面

1941年12月8日、日本の海軍機による真珠湾攻撃を伝えるおびただしい数の外電が社に届いた。1面の制作を考えると、トップ記事の見出しをどう組むかが大問題。大きな活字で組みたいが、使えるのは60ポイント(高さ2.1センチくらい)の活字がせいぜいだ。

その時、組版を担当する工場長が物置からほこりまみれの容器を持ってきた。そこには、はるか昔、おそらくは広告作りで使用されたとみられる大きな木製のアルファベット、AからZまで26個の大文字がひとそろいあるではないか――。ということは、同じ文字は2度使えないことになる。

この逆境が結果として幸いしたのか、”WAR IS ON!”という印象的な見出しが誕生した。考案したのは、ラジオの英語講座で一世を風靡した人気講師、J.B. ハリスだった。

このように、紙面には表れない興味深い背景が記事ごとにある。近年の例でいえば、企画展の「震災」をテーマにしたコーナーでは、ジャパンタイムズと外国人コミュニティーとの関わりの一端を示す展示があるので、ご参照いただければありがたい。

海外とのビジネスのボーダーはとうの昔になくなり、来日する外国人の数も1年に2400万人を超える(2016年度)ようになった。そして日本で起きたニュースについて、ジャパンタイムズを第一の情報ソースとしてコンタクトしてくる海外メディアが増えつつある今、ジャパンタイムズの「存在理由」が改めて問われている。この企画展が、ジャパンタイムズの原点と将来を考えるきっかけになることを切に願う。

(ジャパンタイムズ120周年記念企画展実行委員 玉川帰一郎)

 

記念企画展 開催概要、アクセス

The Japan Times 創刊120周年記念企画展「英字新聞が伝えた『日本』」

会期:2017年10月7日(土)~12月24日(日)
会場:ニュースパーク(日本新聞博物館)2階企画展⽰室
〒231-8311 神奈川県横浜市中区⽇本⼤通11 横浜情報⽂化センター
開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:月曜日(祝日・振替休日の場合は次の火曜日)
入館料:一般400円/大学生300円/高校生200円/中学生以下無料

アクセス:

  • みなとみらい線 「日本大通り駅」3番情文センター口直結
  • JR・横浜市営地下鉄 「関内駅」から徒歩10分
  • 横浜市営バス 「日本大通り駅県庁前」から徒歩1分
  • 観光スポット周遊バス あかいくつ 「日本大通り」正面
  • 首都高速 「横浜公園出口」から約3分
  • 駐車場 横浜情報文化センター駐車場・日本大通り地下駐車場をご利用ください。

主催:ジャパンタイムズ/ニュースパーク(日本新聞博物館)
協賛:常石グループ/矢崎総業/王子製紙
後援:共同通信社/AP通信社/トムソンロイター/電通/吉川英治記念館/神奈川県教育委員会/横浜市教育委員会/川崎市教育委員会
企画展サイト:http://info.japantimes.co.jp/120th_Anniversary_Exhibition_j/

The Japan Times Archives

ジャパンタイムズでは1897年(明治30年)の創刊から現在までの120年分の紙面をデジタル化、OCRで検索できるデータベースを整備いたしました。明治、大正、昭和そして平成へ、英字新聞でしか伝えられない日本の歴史はすべて収録されています。詳しくはこちらをご参照ください。