図書館をつくる

記録と保存:文書改ざん,『一九八四年』,フェイクニュース―【連載】図書館情報学最先端

2018.03.12

社会の変容と図書館が果たす役割

森友学園に関する財務省近畿財務局の決裁文書改ざん疑惑で国会が揺れている。事の発端は、2018年3月2日に朝日新聞が朝刊一面で伝えた「森友文書書き換えの疑い」という記事である。朝日新聞が確認したとされる決裁文書と財務省が国会に提出した同じ決裁文書とで、文言の表現が異なっていたり、文書の一部が削除されていたりするというものである。

この記事に接したときにジョージ・オーウェルの『一九八四年』を思い起こした人は、少なくないのではないだろうか。2009年に早川書房から発行された新訳版のカバーから、本書の内容を引いてみよう。

<ビッグ・ブラザー>率いる党が支配する全体主義的未来。ウィンストン・スミスは真理省記録局に勤務する党員で、歴史の改ざんが仕事だった。彼は以前より、完璧な屈従を強いる体制に不満を抱いていた。ある時、奔放な美女ジュリアと恋に落ちたことを契機に、彼は伝説的な裏切り者が組織したと噂される反政府地下活動に惹かれるようになるが……。

主人公ウィンストンの仕事の一端は、本書の4章に見られる。例えば、『タイムズ』という雑誌に掲載された過去の記事が現状と合わない場合は、現状に合わせて過去の記事を書き換えるというものである。書き換え、すなわち改ざんは「政治的な或いはイデオロギー上の意味を含んでいるかもしれないと危惧されるあらゆる種類の文献、文書」(p.64)が対象であった。その様子は次のように表現されている1

日ごとに、そして分刻みといった具合で、過去は現在の情況に合致するように変えられる。このようにして、党の発表した予言は例外なく文書記録によって正しかったことが示され得るのであり、また、どんな報道記事も論説も、現下の必要と矛盾する場合には、記録に残されることは決して許されない。歴史は、書かれた文字を消してその上に別の文を書ける羊皮紙さながら、最初の文をきれいにこそぎ落として重ね書きするという作業が必要なだけ何度でもできるのだった。一度この作業が済んでしまうと、文書変造が行なわれたことを立証することはどうにも不可能だろう。

人類は記憶(例えば事実やアイディアといった情報、知識)を固定化するために文字やメディアを発明し、記録として残してきた。しかし、その記録によって人々の記憶が操作され得ることを題材にとったこの作品は、不見識ながら興味深い。

『一九八四年』は1949年刊行ということもあり、同書で描かれる世界では情報が記録されるメディアはあくまでも紙であり、書き換えられた元の情報は収集され、廃棄されることによって世の中からなかったことにされる。しかし、現代社会はそうはいかない。なぜならば、デジタル情報は簡単にコピーをつくることができるからである。インターネットは、言わばコピーの世界である。デジタル化された情報は送信のたびにコピーを繰り返し、相手に届けられる。一度公開された情報をインターネット上から消去するのは、ほぼ不可能であろう。他方、デジタル情報は簡単に書き換えることもできる。情報の修正が簡便なのは長所でもあり、短所でもある。

こうした二つの特徴を有するデジタル情報に人々が翻弄されるのが現代社会なのであろう。そして、トランプ米国大統領が好んで用いる「フェイクニュース」はまさにその典型である。

例えば、スパイサー大統領報道官(当時)は大統領就任式に集まった人の数が過去最大であったと報告したが、それは事実と異なるのではないかとメディアは反応した。これに対して、トランプ大統領は各社の報道は嘘であると主張した。その後、スパイサー報道官は、米国議会前に集まった人とインターネットで視聴した人を合わせると過去最大であったと修正したが、この間、コンウェイ大統領顧問は、オルタナティブ・ファクト(もう一つの事実)ということばを用いてスパイサー報道官を擁護した。結局、当日撮影された写真とオバマ前大統領の就任式の写真との比較などにより、就任式で議会前に集まった人数が過去最大という事実は誤りとなったが、誰かが声高に叫んだ内容があたかも事実のように拡散する危険性を予感させるできごとであった2。トランプ大統領のこうした波乱の船出に始まった2017年に、本書『一九八四年』が米国アマゾンでベストセラー1位になったことも首肯できる。

さて、現在の日本に話を戻そう。広い意味での記録の改ざんという話題は、森友学園に関する文書に限らず、自動車の燃費データや工業製品の検査データなど、最近の日本でも事欠かない。また、改ざんとまでは言えないかもしれないが、授業を担当していて気になったのは、国会会議録である。

周知のとおり、国会での議事は会議録に記録され、官報に掲載されるとともに、国立国会図書館のウェブサイト国会会議録検索システムで公開される。司書課程の科目(例えば図書館情報資源概論)では、図書館が提供する情報資源の一つとして、政府刊行物が扱われ、本ウェブサイトが紹介されることが多い。会議録であるから、本会議や委員会でのやりとりが発言の趣旨を違えることなく記録されているであろうことを期待するのであるが、そうではないことも少なくない。

例えば、安倍晋三内閣総理大臣が2016年5月16日の衆議院予算委員会で「私は立法府の長」と発言し、その誤りを指摘する声が各所からあがったことがある。ほぼ同時期に、授業で国会会議録を扱っていたことから、この発言を紹介したうえで同データベースを検索し、その結果を確認したことを記憶している。しかしながら、現在は「私は行政府の長」と修正されている。

もちろん、内閣総理大臣が立法府の長ではなく、行政府の長であることは事実である。しかし、そのことと安倍総理大臣がこのように発言した事実は、事実の中身が異なるように思われる。確かに、衆議院規則および参議院規則では、発言の訂正が認められているが、それはあくまで「字句の訂正」であって、「演説の趣旨を変更することはできない」(衆議院規則)、あるいは「発言の趣旨を変更することができない」(参議院規則)。国の将来が議論される国会でのやりとりを、市民であるわれわれが事後チェックできない恐れがある。さらに、記録されていることが事実となってしまう危険性もここには垣間見られる。

こうした危険性に対して機能すべき機関の一つが、図書館なのであろう。過去に記録された情報を保存することで、今、それを利用できる機会を提供できるのである。ただし、それだけでは不十分である。人々が必要な情報を探索し、活用できるよう、彼らの情報リテラシー能力の育成を支援することも大切である。小・中・高等学校や大学の図書館では盛んに行われるようになった情報リテラシー教育であるが、公共図書館では中心的なサービスまでにはなっていないように思われる。数多くの情報が多様な形で行き交う現代社会だからこそ、重要な課題として取り組まれることを期待したい。

筆者がここで敢えて情報リテラシーに触れたのは、『一九八四年』に関連して、もう一つの話題を提供して終わりたいと考えたからである。オバマ前米国大統領は、大統領就任前の2005年6月に、アメリカ図書館協会の年次大会で基調講演を行っている3。そのなかに「ビッグ・ブラザー」に触れた箇所がある4

私はここで、図書館と図書館で働くみなさんの仕事の重要性に深く感謝しています。私は、図書館が、威圧するように監視するビッグ・ブラザーを恐れずに、自由に本を読んだり、やりたいことを考えたりする学びの聖域であり続けることを保証すべく、みなさんとともに働きたいと思います。

この演説のタイトルは「21世紀経済におけるリテラシーと教育(Literacy and Education in a 21st Century Economy)」である。「学びの聖域(sanctuaries for learning)」を実現するため、図書館が、そして図書館員が何を為すべきか。社会の変容に目を向けながら、常に問い続け、行動していきたいと考えた。

参考文献

  1. ジョージ・オーウェル著, 高橋和久訳. 一九八四年. 新訳版. 早川書房, 2009, p. 64-65. (ハヤカワepi文庫, epi 53).
  2. 2018年3月9日の朝日新聞の記事によれば、インターネット上ではフェイクニュースは正しい情報よりも早く伝わることが、マサチューセッツ工科大学の研究によって明らかになったとのことである。(出典:偽ニュース「真実よりも早く拡散」. 朝日新聞. 2018年3月9日(朝刊), 4面.)
  3. カレントアウェアネス・ポータルでも紹介されている。”E855 – オバマ次期大統領が語った図書館,ライブラリアンの役割(米国)”. カレントアウェアネス-E. No. 139, 2008, http://current.ndl.go.jp/e855, (参照2018-03-09).
  4. “Literacy and Education in a 21st Century Economy.” Obama Speech. http://obamaspeeches.com/024-Literacy-and-Education-in-a-21st-Century-Economy-Obama-Speech.htm, (accessed 2018-03-09).

(中央大学 文学部 教授 小山憲司)

※2018年3月寄稿