図書館をつくる

イギリス人の読んだ近世日本~Early English Books Onlineより~

2018.11.14

日本が史上初めてヨーロッパ諸国と接触した16・17世紀、ヨーロッパにおいてこの未知の国と人々はどのように語られたのでしょうか。この時代にイギリスで刊行された書籍から、日本に関する興味深い記述の一部をご紹介します。

※当記事でご紹介する史料はすべて17世紀以前のイギリスの印刷刊行物を網羅的に収録するデータベースEarly English Books Online (EEBO)の収録コンテンツです。

国土 ― 3つの大きな島と、狭い海峡で隔てられた小さな島々

“3つの大きな島と、狭い海峡で隔てられた小さな島々がそれらを取り囲み、全体をIAPAN あるいはIaponiaと呼ぶ。…高く険しい山があちこちにあるが、その中でも2つが特に有名で、…一つはFigenoiama(フジノヤマ)と呼ばれ、雲の上に何リーグもの高さでそびえたっている。
…日本人は薄くすっきりしたマットで巧みに家の床を覆い、…ひざまずいて自分の脚の上に座って食事をする。中国人と同じようにこざっぱりして清潔で、食事の時は二本の小さな串、あるいはフォークを使って巧みに口に肉を運ぶ。絶対に落としたり弾いたりしないので、一度たりとも指を拭く必要がない。”
オルテリウス『世界の舞台』英訳版(1608)より。

『世界の舞台』はフランドルの地図学者オルテリウスが編纂した世界地図で、1570年に初版が出版されて以来、欧州各地で翻訳され、版を重ねて長く読まれました。地図とあわせて世界各国の地誌を解説する章が設けられており、国土や社会制度、そこに住む人々が解説されています。
1585年には、イタリアを訪れた天正遣欧使節がこの本を贈られたという記録があります。
1595年版から日本の章が加えられ、イエズス会士の地図学者ルイス・テイセラの地図にもとづく日本地図(上図)と日本の地誌を解説する章が掲載されました。テイセラの日本地図は、日本古来の地図・行基図の流れを汲むものと考えられています。

日本人 ― 苦痛には我慢づよいが、不正を被ることには我慢できない

“日本の人々の大半は聡明で学習と記憶にたけており、器用で鋭敏である。身体は強靭で、通例、60歳まで武器をふるう。顔色はオリーブ色で、ヒゲは薄く、頭の半分は髪を剃っている。苦痛に対して我慢づよく、名誉心が強く、不正を被ることには我慢ができないが、復讐の機会が訪れるまでは敵意を全く隠しておくことができる。…基本的に葬式のときは白衣で、饗宴のときは黒衣である。自身を美しく見せるために歯を黒く染める。…我々の世界の習慣とは正反対である。英国の古い清教徒に似ていて、カトリック教徒の逆である。…そのほかの点では彼らは中国人に似ている。
…宗教に関しては、彼らは日月星を崇拝し、野獣や森の鹿も神聖なものとされている。しかし特にFotoques(ホトケ)という死んだ僧侶を崇拝する…僧侶たちは Bonzes(ボウズ)と呼ばれ…11のセクトに分かれており、神の摂理と魂の不滅を否定するものたちである。”
 Heylyn, Peter, “Cosmographie” (1652)より。

“Cosmographie” はイギリスで書かれた百科事典で、『世界の舞台』の記述を多く引用しています。当時のイギリス人には想像しづらかったであろう日本人の性質を、他の国や時代の人々を引き合いに出して説明しています。この時代の例にもれず、異国の宗教に対しては否定的な記述がされています。

キリスト教の布教 ― ザビエルの奇跡、鹿児島で乙女を蘇らせる

Cangoxima(カゴシマ)で信者を増やし、フランシスの名前をさらに有名にした奇妙な出来事があった。Cangoximaの正直で裕福なある市民は、まだキリスト教徒ではなかった。彼には大いに愛する小さな娘がいたが、突然死んでしまった。…娘の命を惜しむ彼はザビエルに謙虚に嘆願して助けを求めた。フランシスコはこのことを憐れみ、仲間のJohn Fernandezとともに祈ると、しばらくして快活に立ち上がって彼を慰め、娘が生き返ったことを告げた。
…元気に生き返った娘を見て、彼はわが目を疑い、喜びに涙を流して、どうやって生き返ったのかを娘に尋ねた。娘はすぐにそれに答えて、残虐な死刑執行人たちが自分をさらって恐ろしい炎の穴の中に落とそうとしたが、別の不思議な二人の人が現れて死刑執行人たちの手から自分を救い、そして生き返ったのだと語った。
…ザビエルの助けで娘が蘇生したことを悟った彼は、ザビエルに感謝を表すために娘を連れていった。ザビエルとその仲間を見るや、娘は驚いて立ち上がり、父親のほうを向くと、見てくださいお父様、私を地獄から助け出したのはこのお二人ですと泣き叫んだ。そして父と娘はザビエルの足元にひざまづいて涙ながらに感謝をささげた。
…この一人の乙女の救済は、多くの者を改宗させ、父と娘、その家族もキリスト教徒になった。…”
 トルセリーノ『聖フランシスコ・ザビエルの称賛すべき生涯』英訳版(1632)より。

本書はザビエルの伝記として最初期のもので、原著はラテン語で書かれました。ザビエルらの布教活動、奇跡譚などを詳述した興味深い伝記で、当時の日本人の様子も随所に記されています。
鹿児島での乙女復活の奇跡譚は欧州で流布したようで、17世紀フランスの画家プーサンはこれを題材にした作品を描いています(”Saint François-Xavier rappelant à la vie la fille d’un habitant de Kagoshima au Japon”、1641年、ルーヴル美術館蔵)。

都市―City Miacoの情景

“Miaco(ミヤコ)の都市はすべてが壮大である。屋敷に属する庭園は様々な花で飾られた驚くべきもので、自然のものというよりも人間の手になる芸術作品のようだ。庭園、池、泉、色とりどりの鳥、そして様々な野生の獣が自由に遊ぶ様は言葉では言い表せない。
地位の高い人々は自分の息子をこうした修道院に入れる。彼らの服の色は宗派によって異なる。彼らはビーズを身に付け、我々が詩編を唱えるように歌を歌う聖歌隊に入っている。朝課は真夜中と日の出の時刻と朝の他の時刻に行われる。彼らは鐘で呼び出されるが、その数はとても多く、素晴らしく壮大である。人々に祈りの時間を知らせるために、鐘は他の時間にも鳴らされる。そして我々の晩課と同じく、夕方にも聖務がある。…”
ファリア・イ・ソーザ『ポルトガル領アジア―ポルトガルによるインド発見と征服の歴史』英訳版(1695)より

ファリア・イ・ソーザはポルトガルの歴史家で、本書はアジアにおけるポルトガルの進出の歴史をまとめた書です。日本の章では、日本の地を踏んだポルトガル人らに触れつつ、キリスト教の布教や日本の社会について解説しています。上に訳出した一節ではミヤコ(京都)の美しい町並みが描写され、僧侶の勤行の様子がキリスト教の用語を用いつつ解説されています。

社会 ― 殉死の作法 旅行家マンデルスロの見聞録

“権勢のある支配者がみまかるときは、通常20名から30名の臣下や奴隷が自ら腹を裂いて主人に付き従う。これは宣誓によって義務づけられており、ときには主人から受けた寵愛への感謝のしるしとして行われることもある。
…主人が死ぬと、彼らは近しい親族と連れ立ってMesquiteやパゴダに行き、マットや着物で床をすべて覆った上に座って、内臓がすべて外に出るように自分の腹を十字に裂く。もしもこれで絶命しなければ自ら喉を突いて自決を完遂する。”
オレアリウス『ロシア・ペルシャ紀行』英訳版(1662)より。

17世紀にセイロンまで旅した旅行家マンデルスロが旅の途上で得た見聞をまとめた書籍です。伝聞のためかところどころに誤謬があるものの、江戸時代初期の社会制度や文化が欧州にかなり詳しく紹介されていたことが分かります。