自然科学

欧米一次資料に見る<19世紀科学技術> 第2集

2020.08.17

世界有数の図書館、公文書館等が所蔵する19世紀の貴重な資料から史料的価値の高いものをデジタル化して提供するデータベース、Nineteenth Century Collections Online (NCCO)。今回は、”Science, Technology, and Medicine Part II”を取り上げます。

現代学術雑誌の起源に迫る

博物学の重要文献

世界各地を探検し、未知の動植物に対する関心が芽生え、博物学が全盛期を迎えた18世紀を経て、19世紀になると、未知の動植物への関心が一層高まり、18世紀には一部の愛好家、学者のものにすぎなかった博物学愛好熱が、社会の広い層に伝わりました。これらの知識欲を満たすために植物雑誌などの定期刊行物の刊行や博物学や園芸に関する各種団体の設立が相次ぎます。

また、印刷技術も向上し、書籍や雑誌に掲載された動植物を描いた銅板や木版の美しい彩色図版が読者の関心を掻き立てました。本アーカイブは、これらの書籍、定期刊行物を多数収録しており、彩色図版はカラーのまま原本に忠実に再現されています。

現代の学術雑誌の原型、科学アカデミーの定期刊行物を多数収録

イギリスとフランスではほぼ同じ頃、17世紀後半に、科学者同士の情報交換を目的とした学術機関が登場しました。現代の学会に相当するこれらの学術機関は、通常科学アカデミーと総称されています。定期刊行物を発行し、そこに論文、書評、科学界の様々な情報を掲載、科学上の発見を巡り第一発見者を認定する機能をも有していました。現代の学術雑誌の原型とも言うことができます。

本アーカイブは、王立協会の『フィロゾフィカル・トランザクションズ』を筆頭に、17世紀後半の科学アカデミーの草創期から20世紀初頭まで、イギリス、フランス、ドイツ、オーストリア、ロシア、スウェーデン、アメリカの科学アカデミーの定期刊行物を包括的に収録します。

19世紀イギリスの公衆衛生行政の記録

工業化と都市への人口流入、疫病の蔓延、労働者の生活環境悪化などの社会問題が深刻化し、政策的対応が求められる中、公衆衛生の概念が登場しました。本アーカイブは、臨時保健委員会、救貧法委員会、救貧法教区連合、保健委員会など、救貧法行政に関与した機関の記録を収録しており、都市の劣悪な生活環境の実態や、政策の実施プロセスを明らかにします。

収録コレクション Natural History (博物学精選資料集成)

  • 年代:1780年-1925年
  • 言語:英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語他
  • 原本所蔵機関:ハンティントン図書館

博物学には多くの学問分野が含まれますが、その最大のものが動物学と植物学です。バクテリアや原生動物のような微生物から、恐竜、象、巨大セコイアのような複雑で大きな有機体まで、あるいは家畜から新種の動植物まで、海棲生物から陸棲生物までと、多種多様な種が含まれます。大気、土壌、農業、地質学、地球の形成を研究する地球科学も博物学に含まれます。19世紀、自然界を研究する新しいツールが発明され、非欧米圏の地域が西洋の人々の知的探究と科学研究の対象になると、自然世界を対象としたあらゆる研究が開花しました。

アマチュア学者の著作

18世紀後半から19世紀初頭にかけてもたらされた博物学の画期的成果の多くは、ベンジャミン・フランクリンやチャールズ・ライエルのようなアマチュア科学者によるものです。本コレクションは、オリヴァー・ゴールドスミス(Oliver Goldsmith)の『地球と生気ある自然の歴史(A History of the Earth and Animated Nature)』やロバート・ハイシュ(Robert Huish)の『蜜蜂の自然、経済、実際的経営(Treatise on the Nature, Economy, and Practical Management of Bees)』、ジョージ・ウィリアム・ジョンソンの『英国式庭園の歴史(History of English Gardening)』ら、アマチュア科学者による知的刺激に富む著作を収録します。

オリヴァー・ゴールドスミス『地球と生気ある自然の歴史』所収

19世紀の職業科学者の著作

19世紀になると、職業科学者の研究が支配的地位を占めるようになります。科学は階級の壁を越え、実力本位の学問へと変貌します。経済的に恵まれない境遇から苦学して科学者として大成した科学者には、古生物学と比較解剖学を確立したジョルジュ・キュヴィエ(Georges Cuvier)、貝の収集家として有名なトマス・ワイアット(Thomas Wyatt)、イギリスで活躍したドイツ出身の科学者で、食品添加物に反対したためイギリスを去らなければならなかったフリードリヒ・アークム(Friedrich Accum)、アメリカの地質学者ジョン・カスパー・ブランナー(John Casper Branner)らがいます。

初期の職業科学者の多くは、その業績を、百科事典的著作の中に残しました。カール・リンネ(Carl Linnaeus)の『博物学の真正で普遍的な体系(Genuine and Universal System of Natural History)』(1794-1807)、ドイツの博物学者アレクサンダー・フォン・フンボルト(Alexander von Humboldt)の『新大陸赤道地方紀行(Reise in die aequinoctial-gegenden des Neuen Continents)』、イギリスの植物学者で、天文学、気象学、植物学、貝類学、分類学でも業績を残したエドワード・ジョセフ・ロウ(Edward Joseph Lowe)の著作が本コレクションに収録されています。

カール・リンネ『博物学の真正で普遍的な体系』所収

図版を多数収録

本コレクションでは、原本に含まれる木版画や写真も忠実に再現しています。初めて北米の花を正確に美しく再現したアメリカの植物学者ウィリアム・バートン(William P.C. Barton)の著書、ジョージ・ヤング(George Young)の地質調査のパイオニア的著作『ヨークシャー沿岸地域地質調査(Geological Survey of the Yorkshire Coast)』、ウィリアム・ヤレル(William Yarrell)の『イギリスの魚類の歴史(A History of British Fishes)』と『イギリスの鳥類の歴史(A History of British Birds)』、ジョン・キットー(John Kitto)の『パレスチナ:聖地の自然地理学と博物誌(Physical Geography and Natural History of the Holy Land)』、エイサ・グレー(Asa Gray)の『北部アメリカの植物の手引(Manual of the Botany of the Northern United States)』と『植物学と野菜生理学の基礎(First Lessons in Botany and Vegetable Physiology)』などが、美しい図版を収録した文献として挙げられます。

ジョージ・ヤング『ヨークシャー沿岸地域地質調査』所収

ウィリアム・バートン『北米の植物』

進化論が与えた影響

19世紀後半の最も重要な科学上の業績は進化論です。変異と種の進化に関するダーウィンの著作は科学界に衝撃を与え、人々は彼の著作の中に自然界の多様性と構造を説明する鍵を探し求めました。19世紀から20世紀にかけて進化論が及ぼした知的影響はNCCOのアーカイブ、”Science, Technology, and Medicine, Part Ⅰ”収録のコレクション「進化と種の起源」に収められた資料で詳細に跡付けることができますが、本コレクションでは、ダーウィン理論の影響が19世紀末の生物学に与えた影響を確認することができます。

ダーウィンの『ビーグル号航海中歴訪の火山島についての地質観察(Geological Observations on the Volcanic Islands, Visited During the Voyage of H.M.S. Beagle)』、ドイツの生物学者フリッツ・ミュラー(Fritz Müller)の『ダーウィン理論を擁護する事実と主張(Facts and Arguments for Darwin)』、エルンスト・ヘッケル(Ernst Haeckel)の『ヒトの進化(The Evolution of Man)』、スタンフォード大学初代総長デイヴィッド・スター・ジョーダン(David Starr Jordan)の『進化と動物の生命(Evolution and Animal Life)』などが収録されています。

紀行・探検記

博物学関係の著述群に含まれる紀行・探検記は、博物学の社会的・文化的文脈を知る上で有益です。これらの紀行・探検記の著者としては、オーストラリアからスカンディナヴィアまで多数の旅行記を出版したアメリカ人マチューリン・バロウ(Maturin M. Ballou)、19世紀初頭のアメリカ数千マイルを踏破し、『北アメリカの植物( Flora Americæ Septentrionalis; or, A Systematic Arrangement and Description of the Plants of North America)』を出版したドイツ生まれのアメリカ人フレデリック・パーシュ(Frederick Pursh)らがいます。これらの探検はしばしば生命の危険を伴いましたが、アメリカ地質調査の初代隊長クラレンス・キング(Clarence King)が調査の途上落雷にみまわれたことは、『シエラネヴァダ(Mountaineering in the Sierra Nevada)』に記録されています。

フレデリック・パーシュ『北アメリカの植物』所収

特定地域の地質と動植物に焦点を当てた旅行記もあります。ジェームズ・ハチングス(James M. Hutchings)の『カリフォルニアにおける驚異と珍奇の光景(Scenes of Wonder and Curiosity in California)』はそのかなりの部分でヨセミテ渓谷を取り上げています。失われた文化を紹介する旅行記もあります。ウィリアム・バートラム(William Bartram)の『ノースカロライナ、サウスカロライナ、ジョージア、西フロリダ紀行(Travels Through North and South Carolina, Georgia, East and West Florida…)』はチェロキー族の風習を克明に記録し、ピーター・パラス(Peter S. Pallas)はロシア帝国南部地域への旅行で出会った文化を『ロシア帝国南部地域の旅(Travels Through the Southern Provinces of the Russian Empire)』に記録しました。これらの紀行文には、異文化に対する好奇心と、自然界を科学的に理解したいという欲求が貫かれています。

ハチングス『カリフォルニアにおける驚異と珍奇の光景』所収
左2枚:アッパー・ナチュラル・ブリッジ、右2枚:ヨセミテ渓谷

英語以外の言語で書かれた文献、その英訳

本コレクションには、ドイツ語、フランス語などの文献や、英訳され、19世紀の科学知識の普及に貢献した著作が含まれています。また、博物学者同士で観察結果を情報交換した書簡も多数収録されています。フランスの伝説的博物学者ジョルジュ=ルイ・ルクレール・ド・ビュフォン(Georges-Louis Leclerc, comte de Buffon)の28巻に及ぶ書簡と著述、イギリスの化学者・地質学者チャールズ・ドーベニー(Charles Daubeny)の火山に関する書簡、ユストゥス・フォン・リービッヒ(Justus von Liebig)の近代農業に関する書簡、『ヨーロッパとウラル山脈におけるロシアの地質学(The Geology of Russia in Europe and the Ural Mountains)』など、特定の主題をとりあげた書簡が収録されています。

文学色豊かな著作

この時代の博物学の科学的著述には文学的価値を持つものも残されています。シェイクスピアの博物学を探求した人気作品の一つ、エスター・シングルトン(Esther Singleton)の『シェイクスピアの庭園(The Shakespeare Garden)』は自然界、農村部の生活、人間と自然の交流を透明な文体で叙情豊かに描き、文学的価値が高く評価されています。オリヴァー・ゴールドスミス、ウィリアム・ゴールドスミス、アレクサンダー・フォン・フンボルトほど有名ではないものの、チャールズ・ウィルクスの冒険紀行、クラレンス・キングのエレガントな著述、バルテルミー・フォジャ・ド・サン=フォン(Barthélemy Faujas De Saint-Fond)の生気ある記述、エドアルト・ジュース(Eduard Suess)の力強い散文など、多彩な文体が旅行記・紀行に彩りを添えています。

博物学関係の協会、博物館の活動を伝える文献、博物学雑誌

科学に対する広範な関心の高まりを受け、19世紀には多くの博物誌協会が設立され、出版活動、公開講義、研究助成を通じて博物学の研究を促進しました。本コレクションの収録文献は、ロンドンのリンネ協会(Linnaean Society)、マサチューセッツ州セーラムのエセックス研究所(Essex Institute)、サンフランシスコのカリフォルニア科学アカデミー(California Academy of Sciences)、パリの自然史博物館(Muséum National d’Histoire Naturelle)、フィラデルフィアの自然科学アカデミー(Academy of Natural Sciences)とペンシルヴァニア大学フィロメイシアン協会(Philomathaean Society)、ロンドンのキュー王立植物園(Royal Botanic Gardens)の活動を伝えます。

最も定評のある植物学雑誌『カーティス植物雑誌』多数の美しい銅版画を毎号収録した。

左から、ボタニスト・リポジトリー、ボタニカル・キャビネット、ロンドンリンネ協会紀要、ロンドン園芸協会紀要 

19世紀後半、博物誌の最先端の知を提供する学術雑誌と、知識を広く社会に還元するポピュラー雑誌の刊行が相次ぎます。これらの雑誌は多くの場合、ロンドンの”Florist and Pomologist”やレーゲンスブルクの『一般植物雑誌(Allgemeine Botanische Zeitung)』のように図版を多用していました。『カーティス植物雑誌(Curtis’s Botanical Magazine)』や『アメリカ科学技芸雑誌(American Journal of Science and Arts)』のような長命の雑誌は、19世紀から20世紀初頭にかけての科学研究のあらゆる分野に関する論文を提供しています。

日本に関する記録

国際的な輸送網が整備され、世界が狭くなった19世紀、西洋の人々は未知の珍奇な植物を求めて、世界各地を訪れました。シーボルトなど日本の植物に魅せられた西洋人も少なくなく、本アーカイブには、彼らが日本の植物を採集した記録もとどめています。

     ペリーの日本遠征にはプラント・ハンターが同行し、日本の植物の採集に当たりました。
   左上段:ウィリアム・モローとサミュエル・ウェルズ・ウィリアムズが日本で採集した植物のリスト
   左下段:エイサ・グレイからペリー宛の書簡(1857年4月16日)
   「ウィリアムズとモロー両博士が日本で採集した植物コレクションについて私が提出した報告書は現在、国務長
    官が持っています。ご著書の中でお使いになりたいのであれば、自由にお使いください。」

左から、トーマス・ホッグ「日本からの書簡」(Gardener’s Monthly 1864年10月)、
フレデリック・バービッジ「日本的なものの側面」(Flora and Sylva 1903年6月)、
ズッカリーニ「ケーリングにより採集された日本植物の鑑定」(Flora oder Botanische Zeitung 1846年1月)、
「シーボルトの日本報告」(Flora oder Botanische Zeitung 1828年12月)

収録コレクション Academies of Sciences Publications (科学アカデミー刊行物集成)

  • 年代:17世紀後半-20世紀前半
  • 言語:英語、フランス語、ドイツ語、スウェーデン語

イギリス

西洋史上初の科学の学術機関、王立協会が創設されたのが1660年。クリストファー・レン、ロバート・ボイル、サー・ロバート・モレーら創設メンバーは、観察と実験によって自然界の知識を獲得する新哲学の普及に努め、王立協会は近代科学の方法の基礎を打ち立てました。

協会は1665年、『フィロゾフィカル・トランザクションズ(Philosophical Transactions)』を創刊、現存する最古の学術雑誌となります。1714年の英語による予防接種の最初の説明、1770年代の鳥類学のパイオニア的研究、1820年代のチャールズ・バベジの機械式計算機、1839年のウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボットによる写真術の発明、1890年代のウィリアム・ラムゼイによる空気中の希ガスの発見、1919年のアインシュタインによる一般相対性理論の発表など、近代科学史上画期的な発見を掲載しました。

寄稿者にはアイザック・ニュートン、エドマンド・ハレー、ベンジャミン・フランクリン、ウィリアム・ハーシェル、チャールズ・ダーウィン、アレッサンドロ・ボルタ、ジェームズ・クラーク・マクスウェルら、近代科学史を形成した著名人が名を連ねています。本コレクションは創刊の1666年から1925年までの刊行物を収録します。

<主要な収録誌>

  • 王立協会フィロゾフィカル・トランザクションズ(Philosophical Transactions of the Royal Society of London)
  • 王立協会会議録(Proceedings of the Royal Society of London)

左:植物の種子に関するレーウェンフックの王立協会宛書簡(Philosophical Transactions、1694年)
中央:ロバート・フックの『海洋気圧計の発明』に関するエドマンド・ハレ―の解説(Philosophical Transactions、1702年)
右:チャールズ・バベッジの関数計算に関する論文(Philosophical Transactions、1817年)

フランス

王立協会が創設されたのと同じ頃、フランスではルイ14世がコルベールの助言の下、科学研究の支援を目的とする学術機関、科学アカデミー(Académie des Sciences)が創設され、王立協会とは異なり、科学アカデミーは政府の機関として運営されたため、会員は社会問題、宗教問題に対し、慎重な姿勢が求められました。フランス革命期には、王立機関としてのアカデミーは廃止され、国立学士院(Institut National des Sciences et Arts)に再編、王政復古後の1816年には、フランス学士院を構成する一機関として再出発します。

本コレクションは18世紀初頭から20世紀初頭までの科学アカデミーの刊行物を収録、コンドルセ、ジョルジュ・キュヴィエ、ルイ・アントワーヌ・ブーガンヴィル、ジャン・バチスト・ラマルク、アンデルス・オングストローム、ルイ・パスツール、リュミエール兄弟ら、錚々たる科学者が寄稿しています。

<主要な収録誌>

  •  碑文・文芸アカデミー会議報告(Académie des Inscriptions & Belles-Lettres)
  •  科学アカデミー会議週間報告
    (Comptes Rendus Hebdomadaires des Séances de l’Académie des Sciences Publiés)
  •  王立科学アカデミー年誌(Histoire de l’Académie Royale des Sciences)
  • フランス学士院の王立科学アカデミー論文集
    (Mémoires de l’Académie Royale des Sciences de l’Institut de France)

コンドルセの確立計算論(Histoire de l’Academie Royale des Sciences、1784年9)

1816年の王立科学アカデミー会員
(Mémoires de l’Académie Royale des Sciences de l’Institut de France,、1818年)

ドイツ

1652年、シュヴァインフルトに自然探求アカデミー(Academia Naturae Curiosorum)として創設され、1677年に皇帝レオポルト1世の勅許を得たレオポルディーナ(Leopoldina)は世界最古の学術機関としても知られています。メンバーの科学的発見に関する通信や出版活動を主たる事業とし、はじめて総会を開催したのは1924年です。学会通信メンバーには、マリー・キュリー、アルベルト・アインシュタイン、マックス・プランク、ヴィルヘルム・オストヴァルトらがいます。

ドイツ第二の科学アカデミーは、ハノーヴァー公国の統治者でもあったイギリス国王ジョージ2世が創設した王立科学協会(後のゲッチンゲン科学アカデミー)です。ジョージ2世は、自然科学と医学全般に通じていたスイス人学者アルプレヒト・フォン・ハラー(Albrecht von Haller)を初代会長に任命しました。

アカデミーの紀要は、現存する最古のドイツ語の学術誌とみなされています。1759年、法曹家で歴史家でもあったヨハン・ゲオルク・ロリ(Johann Georg Lori)によって創設されたバイエルン科学アカデミーはバイエルン選帝侯マイクシミリアン3世ヨーゼフにより勅許を得ます。アカデミー運動を牽引した多くの人物と同様、ロリもアマチュア科学者として、同時代の代表的な科学者と書簡をやりとりし、精力的に情報交換を行ないました。本コレクションは、これら3つのアカデミーの発行物を収録します。

<主要な収録誌>
自然探究アカデミー

  •  ベルリン王立科学・文芸アカデミー年誌(Histoire de l’Academie Royale des Sciences et Belles Lettres)
  • ベルリン王立科学アカデミー論文集(Abhandlungen der Königlichen Akademie der Wissenschaften zu Berlin)
  • ベルリン王立科学アカデミー数学論文集
    (Mathematische Abhandlungen der Königlichen Akademie der
    Wissenschaften zu Berlin)
  • プロイセン科学アカデミー論文集(Abhandlungen der Preußischen Akademie der Wissenschaften)
  • 天文学年報(Astronomisches Jahrbuch Nebst einer Sammlung der Neuesten in die Astronomischen Wissenschaften Einschlagenden Beobachtungen, Nachrichten, Bemerkungen und Abhandlungen)
  • 天文学年報(Astronomisches Jahrbuch Nebst einer Sammlung der Neuesten in die Astronomischen Wissenschaften Einschlagenden Beobachtungen, Nachrichten, Bemerkungen und Abhandlungen)
  • プロイセン王立科学アカデミー月報
    (Monatsberichte der Königlich Preussischen Akademie der Wissenschaften zu Berlin)
  • プロイセン科学アカデミー会議報告(Sitzungsberichte der Preussischen Akademie der Wissenschaften)

王立科学協会

  • ゲッチンゲン王立科学アカデミー論文集
    (Abhandlungen der Königlichen Gesellschaft der Wissenschaften zu Göttingen)
  •  ゲッチンゲン科学アカデミー報知(Nachrichten von der Gesellschaft der Wissenschaften zu Göttingen)

バイエルン科学アカデミー

  • バイエルン科学アカデミー数学・自然科学部門会議報告
    (Sitzungsberichte der mathematisch-naturwissenschaftlichen Abteilung der Bayerischen Akademie der Wissenschaften zu München)

アカデミー紀要は会員名簿(通常会員、外国人会員、名誉会員、通信会員)を、選出年月日とともに掲載しており、当時の科学界の人物情報を知る格好の情報源である。アカデミーには自然科学の学者だけでなく、人文科学の学者も会員として加わっていた。
左はベルリン王立科学アカデミー紀要(Abhandlungen der Königlichen Akademie der Wissenschaften zu Berlin)の1860年の号。通常会員が物理・数学群と哲学・歴史群の二つに分かれているのが分かる。

オーストリア

オーストリアでは、18世紀初頭から科学者が科学的知識と研究の促進のためのアカデミーの創設を求めて運動してきましたが、帝国から創設に必要な勅許を獲得したのは、19世紀に入ってからです。1847年に、皇帝フェルディナント1世はウィーン帝国科学アカデミーの創設に同意を与えました。創設当初は、歴史学と考古学が活動の中心でしたが、19世紀後半には、活動に占める自然科学のウエートが高まります。アカデミーが重要な役割を演じた最初の国際極地年(1881年から1884年)は、世界的規模での極地の探求と研究の端緒となりました。

科学アカデミーの歴史の中では後発ながら、オーストリアのアカデミーの学術誌は、外科医のパイオニア、テオドーア・ビルロート、物理学者クリスチアン・ドップラー、地質学者エドアルト・ジュース、化学者カール・アウアー・フォン・ウェルスバッハ、医師でノーベル賞受賞者でもあるユリウス・ワーグナー=ヤウレッグら、著名科学者の研究を記録しています。本コレクションは19世紀半ばから20世紀前半までのアカデミー発行の学術誌を収録します。

<主要な収録誌>

  • 帝国科学アカデミー年報(Almanach der Kaiserlichen Akademie der Wissenschaften)
  • 帝国科学アカデミー雑誌(Anzeiger der Kaiserlichen Akademie der Wissenschaften)
  • オーストリア科学アカデミー雑誌(Anzeiger Österreichische Akademie der Wissenschaften)
  • 帝国科学アカデミー論文集(Denkschriften der Kaiserlichen Akademie der Wissenschaften)
  • 帝国科学アカデミー哲学・歴史学部門会議報告
    (Sitzungsberichte der Philosophisch-Historischen Classe der Kaiserlichen Akademie der Wissenschaften)

ロシア

ロシアでは、1724年にライプニッツの助言を得て、皇帝ピョートル1世の直接の関与の下、初の科学アカデミーが創設されました。宮廷の公用語であるフランス語の名称をもつペテルブルク帝国科学アカデミー(Académie Impériale des Sciences de Saint-Pétersbourg)です。創設当初の活動は、ドイツ人物理学者ゲオルク・ヴォルフガング・クラフト、フランス人天文学者ジョゼフ=ニコラ・ドリル、フィンランド人数学者アンダース・レクセルら外国人学者に大きく依存していましたが、19世紀に入るとロシア人による科学の業績が増加し、ロシア人のメンバーも増えてきました。

18世紀におけるアカデミーの主な活動は、ロシア各地の広大な未開拓地探検でした。1733年から1743年にかけて行われたヴィトゥス・ベーリングの第二カムチャツカ探検、1760年代と70年代に行われたペーター・ジーモン・パラスのシベリア探検を後援したほか、1769年の金星の太陽面通過観測でも重要な役割を演じます。アカデミーの出版物は18世紀初頭からロシア帝国が崩壊する1917年まで、膨大な量に達します。

<主要な収録誌>

  • ペテルブルク帝国科学アカデミー会報(Bulletin de l’Académie Impériale des Sciences de St.-Pétersbourg)
  • ペテルブルク帝国科学アカデミー論文集
    (Mémoires de l’Académie Impériale des Sciences de Saint-Pétersbourg)

スウェーデン

スウェーデンの科学アカデミーは、博物学者カール・リンネと仲間の科学者により1739年に創設されました。すでにウプサラ大学の学者が1719年に科学アカデミーを設立したものの、人文主義的色彩が濃厚でした。そのため、自然科学的志向をもった学術機関の必要性が説かれるようになり、イギリスやフランスのアカデミーをモデルに、自国語で出版物を刊行し、ストックホルムの財界や政界とも近い機関として創設されたのが、リンネらのアカデミーです。創設後まもなく紀要の刊行を開始、19世紀前半には物理学、化学、技術、植物学、動物学の分野で大きな業績を発表、科学の専門分化の促進に向けて恊働した最初のアカデミーとなりました。

<主要な収録誌>

  • スウェーデン科学アカデミー紀要(Swenska Vetenskaps Academiens Handlingar)
  • 王立科学アカデミー新紀要(Kongl. Vetenskaps Academiens Nya Handlingar)
  • スウェーデン王立科学アカデミー紀要(Kungliga Svenska Vetenskaps Akademiens Handlingar)

アメリカ

アメリカでは、科学研究に対する政府の支援が得られず、他国に比べ科学アカデミーの創設が遅れました。アメリカ科学振興協会(American Association for the Advancement of Science)がフィラデルフィアで創設されたのが1848年、年報が刊行されたのは1890年です。

科学振興協会創設の5年後、カリフォルニア科学アカデミーがサンフランシスコで創設、西部の環境の精力的な調査に着手し、1854年に会議録の第1巻を創刊します。1874年には博物館を開設、後にアメリカの最も重要な博物館の一つに成長します。カリフォルニア科学アカデミーは、女性科学者に門戸を開いた最初の科学アカデミーでもあります。

本コレクションは1890年の創刊から1925年までの科学振興協会の年報の大半とカリフォルニア科学アカデミーの最初の19巻を収録します。1889年、ウォートン金融・経済研究院院長エドマンド・ジェームズ率いる22人の学者が、社会の研究という従来のアカデミーとは全く異なるタイプのアカデミー、アメリカ政治学・社会科学アカデミーをフィラデルフィアに創設します。政治、経済から社会、歴史、政策まで広範な研究を促進し、分野の壁を超えた学際研究を推進しました。ジェイン・アダムズやW.E.B.デュボイスがメンバーに加わっていたことからもわかるように、アカデミーの入会資格は多方面に開かれていました。

<主要な収録誌>

  • アメリカ政治学・社会科学アカデミー年報(Annals of the American Academy of Political and Social Science)
  • カリフォルニア科学アカデミー会議録(Proceedings of the California Academy of Sciences)

収録コレクション The Rise of Public Health in England and Wales (イングランドとウェールズにおける公衆衛生の登場)

  • 年代:1805年-1900年
  • 言語:英語、フランス語、ドイツ語、スウェーデン語
  • 原本所蔵機関:英国国立公文書館

公衆衛生の管理運営に関連する資料として、1805年から1806年まで、および1831年から1832年まで開催された二つの臨時保健委員会と、1834年に設立された救貧法委員会の記録が収録されています。救貧法委員会は、貧困軽減活動の評価、労働者の北部工業地帯への再配置、地方教区の統合による救貧法教区連合の創設など、広範囲の責任を有していました。1834年の改正救貧法を通過させる際、議会はイギリス全体をカバーする医療管轄区を創設し、政府は各管轄区の医療サービスを監督する医療委員を任命します。本コレクションの多くは救貧法教区連合(Poor Law Unions)の記録で構成されます。1847年に救貧法委員会を引き継いで設立された救貧法局の記録から、伝染病に対する予防や治療など公衆衛生政策の実態を跡づけることができます。

1834年の改正救貧法は、救貧法委員会を創設すると共に、社会制度を変革するきっかけともなりました。改正救貧法に影響を与えたものとして、社会改革家エドウィン・チャドウィックの業績があります。チャドウィックの『イギリスの労働人口の衛生状態に関する報告』は、公衆衛生行政に決定的な影響を及ぼしました。この報告が提出されて以降の一連の衛生改革、1848年の公衆衛生法施行、都市衛生協会が主導した全国規模の衛生改革を経て、保健委員会(General Board of Health)が創設されるにいたります。本コレクションには1848年から1858年までの保健委員会の記録が収録されています。

1848年公衆衛生法は、保健委員会の創設、汚水処理や給水施設の整備、そしてロンドンの衛生改革に対処する首都衛生協会の創設にも繋がります。これらの機関の記録があって初めて、ジョン・スノウの医学上の発見と疫学分野の確立が可能になりました。自身の研究と、役人が収集した情報に基づく地図を作成することで、スノウはコレラと汚染水の因果関係という画期的発見を行ないます。スノウの研究、とりわけ1849年の『コレラの伝染様式について』は、伝染病予防における衛生状態の重要性を公衆につたえました。

19世紀後半、公衆衛生に対する関心が高まり、医学が進歩するにつれ、公衆衛生において教育と入院の役割が高まります。また、エリザベス・ブラックウェルやエリザベス・ギャレット・アンダーソンら、女性の社会活動家や医師の努力により、女性の健康も公共の問題として意識されるようになります。

保健委員会の記録は、地方の委員会に保健に関する権限が委譲されるのに伴い、同委員会が廃止される1858年まで続きます。さらに政府は、1866年衛生法の施行に伴い、公共の井戸から危険な住宅まで、公衆衛生を阻害する要因を除去する権限を地方政府に与えることで、地方政府の権限を明確化しました。これらの動きは、国民医療サービス(National Health Service)を地方へ権限移譲すべきかどうかをめぐる現代イギリスの議論の中に反復されています。

<収録資料>

  • 保健委員会に提出された、教区単位での、住民の衛生状態、下水処理、排水、飲料供給に関する調査報告
    (Report to the General Board of Health)
  •  地方委員会に提出された衛生状態や伝染病に関する調査報告(Report to the Local Government Board)
  •  各地の救貧法教区連合(Devon, Hertfordshire, Lancashire, Northumberland, Sussex, Worcestershire, Yorkshire)の記録(Records of Poor Law Unions)
  •  Public Health, The Journal of the Society of Medical Officers of Health

収録コレクション Entomology(昆虫学)

  • 年代:1750年-1925年
  • 言語:英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語他
  • 原本所蔵機関:アルバータ大学ブルース・ピール特別コレクション図書館

18世紀後半まで、科学の分野としての昆虫学はエピソードの域を出るものではありませんでした。顕微鏡の発展に印刷技術の進歩が結びつき、昆虫の姿を木版画で正確に複製することが可能になると、研究者が昆虫の形態を詳細に観察する道が開かれました。本コレクションに収録される書籍は、昆虫学黎明期の優れた図版を多数掲載します。19世紀を通じて昆虫観察の精度が高まるにつれ、科学者は昆虫の体系的分類法を編み出し、昆虫の構造、器官、組織を分類する正確な形態学を打ち立てるに至りました。

 

本アーカイブは、科学・技術・医学の知識が著しく専門家していった分野を掘り下げ、歴史研究の主流に科学を位置付けることを目標とします。

(センゲージ ラーニング株式会社)

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