19世紀初頭、ナポレオン帝政時代ノルマンディー地方の女性たちの装いを描いた美しい図譜です。ランテ原画、ガティーヌ銅板画というコスチューム・プレートの傑作を生み出したコンビによる1830年代の初版本。
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—以下、「紀伊國屋書店 古書目録 2020」より—
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ランテ《ノルマンディー服飾図譜》初版
LANTÉ, Louis-Marie. Cent cinq costumes des départmens de la Seine inférieure, du Calvados, de la Manche et de l’Orne. A Paris, Durand ainé, n.d.
¥748,000
4to, engraved title-leaf and 105 leaves of engraved plates (by Gattine after Lanté and Pécheux), all coloured by hand; the last plate with a few faint dampmarks (mostly confined to the margins), mild browining to a couple of leaves, otherwise a very good sound copy, bound in half morocco on marbled boards, edges gilt. Lipperheide 1196; Brunet III. 795; cf. Colas 1770 and Hiler p. 526.
ノルマンディー、コー地方における女性の服飾を描いた傑作図譜。コー地方に伝わる丈の高い頭飾レースは現在でもこの地域の民族衣装として有名なもので、中世以来の長い伝統を持ち、その起源は十字軍に遡るともいわれています。当時の流行を交えたコー各地の服装を描き出す百五点の美しい銅版画、ならびに銅版タイトル葉はいずれもジョルジュ=ジャック・ガティーヌが彫版をおこなったもので、原画は主にランテの作。百五点のうち八十五点に「ランテ画」とあり十九点はブノワ・ペシュの手になります(第十九図は原画作者名なし)。
巻頭の銅版十一点は1814年単独で刊行されており(Cf. Colas 1771)、その標題によれば1811年から翌年にかけて写生されたもの。この1814年版は Journal des dames et des modes と同じくモンマルトル通り百八十三番から、すなわちラ・メサンジェールの手によって刊行されています。彼がランテ、ガティーヌという屈指の名工に作らせた服飾図譜には、Galerie française de femmes célèbres (1827) や Costumes des femmes de Hambourg (1827) があり、コーの服飾図譜も同じく1827年、ラ・メサンジェールの執筆した四十六頁の解題とともに Costumes des femmes du Pays de Caux, et de plusieurs parties de l’ancienne province de Normandie と題して刊行されています。
上掲はこの Costumes des femmes du Pays de Caux の改題異発行本。ここでは解題が削られ、元版の銅版口絵が標題紙に改められていますが、百五葉の銅版図譜は同一。コラも二種の図譜が質的に等しく、刷りを異にするものではないとしています。刊記には出版年が記されていませんが、書肆デュラン・エネは1832年に Galerie française de femmes célèbres の再発行本を刊行していることから、上掲本もその前後に出たものでしょう。元版を刊行したラ・メサンジェールが1831年にこの世を去っていることから、没後に売却された残部からこれらの異発行本が制作されたと考えられます。ただし Galerie française に記されるデュラン・エネの住所は “Boulevard des Capucines no. 1” となっており、上掲本刊記の “Rue de la Paix, 4 (bis.)” とは異なっています。
デュラン・エネ発行本にはカンの書肆マンスルの名を出版者として併記したものもありますが、上掲本はデュランのみをあげています。なお印象派の画商としてあまりにも有名なデュラン=リュエルの父がリュ・ド・ラ・ペ一番地にギャラリーを開いたのは1850年代のこと。彼は1843年から1846年の間にもこの通りに店を構えていましたが、この画商兼文具商と「デュラン・エネ」との関係は未詳です。
製本は近年の半革装。一部の余白に軽微な汚損も見られるものの、図譜の保存状態は良好。
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(学術洋書部)