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【洋古書】フェルナンデス・ナバレテ《中国の歴史・政治・道徳・宗教に関する論集》初版

中国に滞在したドメニコ会士による中国論、18世紀英仏の中国観を形成した重要書。

関連ワード:イエズス会 キリスト教布教 ドメニコ会 中国 典礼問題 古書 洋書  更新日:2025.01.14

明代の箴言集『明心宝鑑』の翻訳も含む、スペイン人宣教師フェルナンデス・ナバレテによる大部の中国研究書。中国での布教をめぐってはイエズス会と激しく対立したことでも知られています。英語・フランス語・ドイツ語・イタリア語に翻訳され、18世紀ヨーロッパでは広く読まれた書物です。

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—以下、「紀伊國屋書店 古書目録 2020」より—

フェルナンデス・ナバレテ《中国の歴史・政治・道徳・宗教に関する論集》初版
FERNANDEZ NAVARRETE, Domingo.  Tratados historicos, politicos, ethicos, y religiosos de la monarchia de China.  Descripcion breve de aqvel imperio, y exemplos raros de emperadores, y magistrados del.  Con narracion difvsa de varios svcessos, y cosas singvlares de otros reynos, y diferentes navegaciones.  En Madrid, en la Imprenta Real, por Iuan Garcia Infançon, a costa de Florian Anisson, 1676.

¥1,100,000

Folio, pp. (20), 518, (25) index, (1) blank; text in double column; title printed in red and black, within ornamental border; woodcut coat of arms on title, engraved arms of Don Juan de Austria on the second leaf of preliminaries, a few woodcut initials and tailpieces in text; several leaves with minor marginal paper repairs, natural paper flaw to leaf 2M2 with loss of a few letters, a tiny round wormhole to the index; occasional mild browning and light foxing, but a very good sound copy, in modern sheep, gilt; printed exlibris glued to the verso of title-leaf.  Cordier BS 31-2; Lust 21; Palau 89431; Streit V. 2440; Morrison II. 519.

後年「中国に関する最良の著作家」とヴォルテールが絶賛したフェルナンデス・ナバレテは1618年生まれ。ペニャフィエルとバラドリッドのドメニコ会修道院で学んだのちサン・グレゴリオ学院講師。1645年モラレスの率いるフィリピン布教団に加わり、メキシコを経由して1648年六月に到着しています。タガログ語にも習熟したナバレテは現地のドメニコ会教育機関で教鞭を執りましたが、健康を損なって十年後インド航路で帰国の途につきます。しかしマカッサル(ウジュン・パンダン)でイエズス会の布教を容認した教皇勅令を知ると、翻意してマカオに赴き、ドメニコ会の中国布教に加わりました。典礼問題をはじめ問題の山積した中国での活動は、ナバレテをイエズス会に対する厳しい批判者とするに十分なものでした。宣教師追放にともない1666年から約四年間広東で軟禁状態に置かれたナバレテは中国の宗教思想について研究を重ね、マニラに戻ると中国布教の現状をローマへ報告すべく密かに出発し、十五ヶ月に及ぶ苦難の末リスボンに辿り着きました。

教皇クレメンス十世に中国布教の危機的状態を訴えたナバレテは再び中国へ戻ることを希望したものの、フィリピン管区総代理としてマドリッドに留め置かれ、ここで執筆されたのが『論集』です。当初ドメニコ会の中国布教史を示すべく、ヴィットリオ・リッチオの著を編纂する計画を抱いたものの、中国に関する基本的知識を呈示する必要があることに気付き、およそ半年でこの大著を執筆しています。スペイン国王フェリペ四世の庶子で当時名声の絶頂にあった将軍、ドン・フアン・デ・アウストリアに献呈された『論集』は、七つの論文から構成され、一に中国の概観、二に政体、三に孔子の政治・倫理思想、四に明代に流布した箴言集『明心宝鑑』のナバレテ自身による翻訳と註解、第五はニコロ・ロンゴバルディの中国知識人とその改宗に関する考察、六にナバレテの航海録、七に中国布教に関するカトリック教会の公的文書を収録しています。

本書に盛り込まれた激しいイエズス会批判は、典礼問題をめぐる論争の新たな幕を開くものとなりました。イエズス会側はフアン・コルテス・オソリオに『論集』批判の一書を執筆せしめ、ナバレテが反論をものしていると聞くや直ちに宗教裁判所に告訴しています。典礼問題に焦点を絞ったこの反論は結局印刷途次にして中断を余儀なくされ、上梓に至りませんでした。それは大英図書館(グレンヴィル旧蔵本)、ニューヨーク市立図書館(サンダランド旧蔵本)、マドリッド国立図書館、サンタ・クルス図書館(バラドリッド)、ローマのイエズス会文書館に現存が確認され、しばしば『論集』第二巻として著録されますが、坊間にあらわれることは極めて稀れであり、その最後の記録は恐らく1913年ベルリンのローゼンタールの目録でしょう。

『論集』は中国に関する情報がイエズス会に独占されていた当時、画期的な著作でした。多年にわたって滞在した人物による直接の見聞に富む、政体・風俗・文化・宗教など多面にわたる概観としてヨーロッパに広く流布しています。「『論集』は本来イエズス会に対する批判を意図したものとはいえ、ナバレテが訪れた中国・インド・マカッサルに関する情報源としてよく知られるものとなった。十七世紀のインドを記録したスペイン語文献としても最初のものであろう。またこれは、中国が模範的な国家でありヨーロッパのキリスト教国家にくらべて多くの点ではるかに優れたものだという考えをヨーロッパに広めた著作の一つに数えられる」(ラック)。イエズス会が大きな勢力であったスペイン本国や北ヨーロッパで本書が受け入れられなかったのに対し、イギリスでは翻訳がチャーチルの航海記集に収められ、十八世紀英国における権威的中国論として広く読まれたばかりでなく、フランスでも抄訳が流布してヴォルテール、ケネーなどの中国観に大きな影響を及ぼしています。

稀少。本書では用紙の欠陥による印刷の欠損が珍しくなく、上掲本にも数文字分見られます (pp. 411-2) 。

(学術洋書部)