高等教育をひらく

履修主義から修得主義へ―【連載】変わる高等教育

2017.06.19

現在、日本の大学には「履修主義」から「修得主義」への転換が期待されている。学生に可能な限り多くの科目を履修させ、知識の総量を増やすことを目的にするのではなく、それぞれの科目をきちんと学ばせることにより、社会において生きていくうえで必要なコンピテンシー(Competency)を修得させることが高等教育に求められるようになったからだ。これからは、大学で「何を学んだか」ではなく、「何ができるようになったか」が問われる時代に急速に変わっていく。いや、もうすでに私たちの社会はそうした状況になりつつある。

学問の高度化が進む現在では、学士課程の4年間で学問研究のピークに到達するのは、どの専門領域においても困難である。ピークをきわめようとすれば、必然的に学習・研究プロセスをふまえ、修士課程もしくは博士課程まで進まなければならない。(日本学術会議による大学教育の分野別質保証の取組みもこうした背景を受けての試みである。)学士課程で得ることができるのは専門領域の基礎的、もしくは中途的な知識にすぎない。

加えて、社会の産業構造の変化を受け、とりわけ日本では、労働市場の大半を第三次産業が占めている現状がある。学生が第一次産業や第二次産業に貢献する学問を選んだとしても、就職先は第三次産業であるという実態が日常的に観察される。大学における専門領域と社会での仕事の不一致が当然のように生じている。大学で何を学んだとしても、どのような職業でも有効とされるコンピテンシーの修得が求められるゆえんである。

社会で有効なコンピテンシーのひとつが高次汎用能力と呼ばれるものである。いわゆるコミュニケーション・スキル、情報リテラシー、論理的思考力、問題発見および解決能力などである。こうしたコンピテンシーは、職業生活を含む、広い意味での社会での知的活動に欠かせないものである。もうひとつは、社会生活における意欲や態度にかかわるコンピテンシーである。自己管理力、チームワーク、市民としての責任感などは、個人の集積である社会を円滑かつ安定して保つためにも重要なコンピテンシーである。

ここまでのようないい方をしたとしても、知識を軽んじていることにはならないだろう。大学で学ぶ知識は、いかなる側面から考えても重要である。2008年の中教審答申が学士力として定義づけている「多文化・異文化に関する知識」「人類文化、社会と自然に関する知識」は、学生が上記のようなコンピテンシーを修得してこそ、社会生活の中で活用し得るものだからだ。

大学設置基準では1時間の授業を行うにあたり、その倍の時間の授業外学習を義務づけている(1単位は、1時間の授業を15回、その倍である2時間の授業外学習を15回、計45時間の学習と規定されている)。卒業に必要な124単位という数字は、そうした前提から計算されたものである。ところが実際は、あたかも学生の授業外学習など期待しないかのような履修指導が行われている大学が数多く存在する。学生によっては160単位どころか、180単位以上をとって卒業していく。

社会生活に必要なコンピテンシーを修得させるためには、授業もさることながら、学生にこの授業外学習をいかに行わせるかがポイントとなる。大学教員の役割は研究と教育と長らくいわれ続けている。学生の授業外学習に、課題や指導をとおして積極的に関与することが、学生の将来にとっても、教員の研究領域の未来の担い手の育成という側面からもますます重要になる。学問の急速な進歩と社会の大きな変化は、研究と教育を分かちがたいものにする。今後、大学の教育・研究の責任者はもちろんのこと、管理運営の責任者も、こうした観点から、自らの大学を見直す必要があるだろう。

 

(玉川学園 理事・玉川大学 教授 菊池重雄)

※2017年3月寄稿