トランプ米国大統領と図書館−【連載】図書館情報学最先端
2017年に本コラムを開始するにあたって、どのような話題がふさわしいかを考えた。その結果、最近日本でも常に関心の的となっているトランプ米国大統領をとりあげることにした。いつからこのポータルサイトが始まったのかをあとから思い返すことが容易であるという、よこしまな考えからでもある。
トランプ大統領の公約
2017年1月20日、第45代米国大統領に就任したドナルド・J・トランプ(Donald J. Trump)は、いわゆる大統領令1)により、大統領選挙期間中に言及していた公約を次々と実行に移した。
就任直後に発令した最初の大統領令は、前大統領のバラック・H・オバマ(Barack H. Obama)による医療保険制度改革、いわゆるオバマケアを撤廃するものであった。その後も、環太平洋パートナーシップ(TPP)協定からの離脱(1月23日)、メキシコ国境における壁の建設(1月25日)、イスラム圏7カ国等からの入国の制限(1月27日)などの政策を打ち出し、日本をはじめ、世界各国で大きな話題となっている。
日本の図書館界からもっとも注目されるのは、TPP協定の離脱であろう。TPP協定のなかには著作権法の改訂を伴うものが含まれているからである。たとえば、著作物の保護期間が50年から70年に延長されることや、著作権侵害にかかる罪が非親告罪化されることなどが予定されており2)、その改訂は著作物を扱う図書館活動に大きな影響を与えることになる。
入国制限と米国図書館の対応
それでは、本場米国はどうであろうか。アメリカ図書館協会(ALA)は、一連の大統領令とトランプ政権の掲げる政策がALAの基本的価値(core values)と異にすることに危機感を覚え、1月30日に会長名で反対声明を発表している3)。同日、大学・研究図書館協会(ACRL)理事会も類似の声明を表明している4)。
イスラム圏7カ国等から入国を制限する大統領令は、多くの留学生や研究者を受け入れている高等教育機関で大きな問題となっている5)。
高等教育機関に基盤を置くACRLは、図書館としてはもちろん、高等教育機関の一組織として、表現の自由や学問の自由、知的自由の侵害や、人種や宗教、マイノリティであることを理由とする差別をはじめとする人権侵害につながるトランプ政権の政策に対して反対の態度を表したのである。なお、この大統領令に関しては、アメリカ大学出版協会(AAUP)とともに、研究図書館協会(ARL)も反対を表明している(1月30日)6)。
研究活動への影響
さて、筆者がトランプ大統領と図書館との関係に注目したのには、さらに別の理由がある。それは、「トランプ合衆国大統領が全米芸術基金と全米人文科学基金を廃止する意向」というブログ記事(1月21日)を目にしたからである7)。
オープンアクセスやオープンサイエンスを含む学術コミュニケーションを研究対象とする筆者にとって、米国国立科学財団(NSF)や米国衛生研究所(NIH)は、学術論文や研究データの公開(オープン化)という文脈において、注目すべき重要な研究資金提供機関である。そこでの方針決定や動向が、特に自然科学分野における学術コミュニケーションのありように大きな影響を与えるからである。
全米芸術基金(NEA)と全米人文科学基金(NEH)
同様に、全米芸術基金(NEA)と全米人文科学基金(NEH)8)は、研究支援が主目的ではないものの、芸術や人文学の振興に寄与する機関であり、特にNEHは図書館とかかわりが深いことから、この記事にふと目がとまったのである。
これに対して、早くもALAは2月2日、両基金に対する支持を表明している9)。この声明文のなかには、NEHの資金提供を基にして、ALAパブリックプログラム部(Public Program Office)が図書館におけるコミュニティ活動を支援していることも紹介されている。日本国内でも、図書館という場所を生かしたまちづくり、コミュニティ活動がさかんになっているが10)、米国ではこうした活動にNEHが関与しているのである。
NEHのウェブサイトには、その資金提供先として、「博物館、アーカイブ、図書館、カレッジ、大学、公共テレビ、ラジオ局、個人研究者といった文化機関(cultural institutions)」が明示されている11)。その取り組みの事例を1つあげるとすれば、アンドリュー・W・メロン財団(Andrew W. Mellon Foundation)とともに2015年から開始した「人文学公開図書プログラム(Humanities Open Book Program)」がある12)。
その詳細は次回のコラムに譲るが、これは学術図書の電子化、公開を支援する資金提供プログラムである。NEHは、名前こそ「人文学(Humanities)」となっているが、先に示した支援範囲の広さを考えれば、今回の動きは、公共図書館はもちろん、教育・研究機関の図書館、その他関係者にとっても影響力の大きいニュースといえる。今後の動向に注目したい。
情報社会における図書館の役割
トランプ政権誕生で幕を開けた2017年は、Brexit後のEU域内での各国の選挙、北朝鮮にかかる動きなど、国際情勢が大きな潮目にあるともいえる。片や、1つひとつの事情に目を向けると、そこには個人、集団、コミュニティ、国、社会といった人々の重層的な営みが交差し、ときにはそれが衝突となって暗に陽に表れている。これは日本国内でも同様である。
そうした変化の激しい、複雑な世の中にあって、適切かつ適格にその動向を把握するためには、情報が欠かせない。そして、その情報こそが、私たち市民が社会を俯瞰する地図を形づくる。
偶然であろうか、日本では今年は酉年である。鳥瞰的視点の獲得に寄与する情報サービス機関として、その一翼を担う図書館が、そして教育・研究機関が果たすべき役割や活動について、その存在意義を常に確認しながら、考え続けていきたい。
(中央大学 文学部 教授 小山憲司)
注・引用文献
1) 大統領令は英語ではexecutive orderであるが、日本国内でいう「大統領令」は、executive orderを含む概念として扱われているようである。たとえば、環太平洋パートナーシップ協定からの離脱に関する「大統領令」は、正確には「大統領覚書(Presidential Memorandum)」の1つである。米国ホワイトハウスのウェブサイトの「大統領政策(Presidential Actions)」を参照のこと(https://www.whitehouse.gov/briefing-room/presidential-actions)。
2) 著作権法は2016年12月12日に改正されたが、TPPにかかる改正は、「環太平洋パートナーシップ協定の締結に伴う関係法律の整備に関する法律」がその効力を発行したときに、施行されることになっている。その内容については次の資料を参照。内閣官房. “環太平洋パートナーシップ協定の締結に伴う関係法律の整備に関する法律案の概要.” 内閣官房TPP政府対策本部. 2016-03. http://www.cas.go.jp/jp/houan/160308/siryou1.pdf, (参照2017-03-10).
3) “ALA opposes new administration policies that contradict core values.” American Library Association. 2017-01-30. http://www.ala.org/news/press-releases/2017/01/ala-opposes-new-administration-policies-contradict-core-values, (accessed 2017-03-10).
4) ACRL Board of Directors. “ACRL Board of Directors affirms commitment to equity, diversity, inclusion, access.” Association of College and Research Libraries. 2017-01-30. http://www.acrl.ala.org/acrlinsider/archives/13139, (accessed 2017-03-10).
5) たとえば次のようなニュースがある。グアリーニ・レティツィア. “トランプ大統領の入国制限令、米大学のレベル低下の恐れ 米学会ボイコットの声も.” NewSphere. 2017-02-06. http://newsphere.jp/world-report/20170206-2/, (参照2017-03-10).
6) Cox, Krista, L. “Research Libraries, University Press Oppose Trump’s Immigration Order.” Association of Research Libraries. 2017-01-30. http://www.arl.org/news/arl-news/4204-research-libraries-university-presses-oppose-trumps-immigration-order, (accessed 2017-03-10).
7) “トランプ合衆国大統領が全米芸術基金と全米人文科学基金を廃止する意向.” la dolce vita. 2017-01-21. http://dorianjesus.cocolog-nifty.com/pyon/2017/01/post-e452.html, (参照2017-03-10).
8) NEAとNEHの日本語表記は、先のブログ記事のタイトルのままとした。
9) “ALA affirms support for NEH, NEA.” American Library Association. 2017-02-02. http://www.ala.org/news/press-releases/2017/02/ala-affirms-support-nea-neh, (accessed 2017-03-10).
10) たとえば、次の文献を参照。猪谷千香著. つながる図書館 : コミュニティの核をめざす試み. 筑摩書房, 2014. (ちくま新書, 1051).
11) “About NEH.” National Endowment of the Humanities, https://www.neh.gov/about, (accessed 2017-03-10).
12) “Humanities Open Book: Unlocking Great Books.” National Endowment of the Humanities. 2015-01-15. https://www.neh.gov/news/press-release/2015-01-15/humanities-open-book, (accessed 2017-03-10).
※2017年3月寄稿