日本の電子書籍は「ポピュリズム」よりも「アカデミックな知」に貢献を―研究者が電子書籍に思うこと(電子書籍Kinoppy利用事例)
日本の個人向け電子書籍はその売上の7-8割がコミックであり、日本の電子書籍が語られる時に話題になるのは、全般的な話かコミック・雑誌を中心とした新しいサービスの動向であることが多い。コミック以外の分野でも、販売数の多い文学やビジネス書などが注目されがちだ。
一方、専門書の電子書籍が語られることはあまりない。海外の学術雑誌やデータベースなどは電子版が一般的になって久しいが、国内で刊行される専門書が電子化されることはまだ一般的ではない。
紀伊國屋書店では個人向け電子書籍Kinoppyを、法人に所属する個人のお客様(所属大学の予算や助成金など公費予算で書籍を購入する個人のお客様)にも利用して頂きやすいよう、各法人向けにカスタマイズした請求書を発行するサービスを提供している。仕事のため・研究のために書籍を購入するお客様は、電子書籍についてどう思っていらっしゃるだろうか?
今回、帝京大学外国語学部外国語学科の塩谷英一郎先生の研究室をお尋ねし、個人購入・利用の電子書籍についてお聞きした。塩谷先生のご専門は認知言語学・言語哲学、英語教育である。日本語・英語にこだわらず、英語やことばについて、電子書籍を幅広く購入し、ご利用頂いている。
なぜ、研究者は電子書籍を使うのか?
―先生はいつ頃から電子書籍を利用されていらっしゃるのでしょうか?利用されるようになったきっかけは何だったのでしょうか?
塩谷先生:電子書籍は2011年頃、Kindleを使い始めました。電子書籍を使う理由は、とにかく重い本を持ち歩かなくていいことです。電子書籍の方が紙より少し安いことも理由のひとつですが、紙と電子書籍の金額が同じでも、電子版があれば電子書籍を買いますね。紙の書籍だと、書棚がすぐいっぱいになってしまいますしね。
―確かにこのお部屋もすっきりしています。大学の先生方はたくさん本を読まれるので、タブレットひとつにたくさんの書籍を収納できて持ち歩けることはメリットですね。先生はどんなデバイス端末で電子書籍を読んでいらっしゃるんですか?
塩谷先生:10インチのiPad Airを使ってきましたが、書籍によっては字が小さいということもあるので、重いのを我慢して、iPad Proの12インチで読むことも多いです。時々、ノートPCでも読みます。
Kindleを使っていてもKinoppyを使う理由
―なるほど。ところで、先ほど先生はKindleで電子書籍を読み始めたと仰られましたが、既にKindleを使われていたのに、弊社のKinoppyを使い始められたのはどうしてなのでしょうか?
塩谷先生:まずKinoppyだと請求書払いができたことが大きな理由です。公費で購入しやすいのはやはり便利ですね。(※筆者注:公費購入は法人向け会員制ストアBookWeb Pro経由でご注文頂くのが前提)
もうひとつには、Kinoppyの方が「書棚」が落ち着いている感じがします。Kinoppyは書棚の編集を自分で行えますが、Kindleの方はあるタイトルを使うとそれが自動的に書棚の上位に来る設定になっています。ただ、Kindleのこの管理方法は慣れると便利な一面もあります。
―現時点では、KindleとKinoppyを両方利用されていらっしゃるのでしょうか?そうだとすると、どのように使い分けていらっしゃいますか?
塩谷先生:両方利用しています。理由は有体に言えば、第1に片方にしか存在しない本があるからで、第2に両方にある場合、値段を見ながら公費で購入するのか私費で購入するのか秤にかけて考えます。
第1のどちらかにしかないものがあるということについて、私の感覚では日本の新書はほぼ互角、専門書は時々どちらかにしかないものがある。洋書の専門書は紀伊國屋さんが洋書電子書籍を始めた当初はたくさんあるように思えましたが、最近はあまり増えていない(?)ような気もします。
またKindleのほうは、自費出版的な廉価書籍や、Kindle Unlimitedによる10冊無料貸し出しが注目に値します。著作権の切れた古典などで廉価版が見られるのもいいです。
電子書籍の引用方法?
―やはりかなり使いこんでいらっしゃいますね。KindleかKinoppyかはともかく、全体的に電子書籍のメリットを強く感じておられるということだと思いますが、逆に電子書籍で困ること、ここは変わって欲しいと感じておられることはおありなのでしょうか?
塩谷先生:電子書籍で困るのは引用です。
―電子書籍(ePubリフロー)だと、現在閲覧しているデバイス端末にあわせてページ表示が最適化されてページ表示が紙書籍の時と同じでなくなってしまい、引用できないという問題ですね。
これまでにも先生方から電子書籍の引用方法についてお問合せを頂いたことがありますが、ちゃんと方法が定められてはいないように思います。今後学会によって定めていかれるのかもしれませんが、実際に、先生は今どうされていらっしゃるのでしょうか?
塩谷先生:今は引用したい場合は紙版書籍にあたってページを確認しています。電子書籍にも底本(*ここでは紙の本のこと)のページが表示されているといいのに、と思います。
日本の電子書籍は「ポピュリズム」(大衆迎合主義)!?
塩谷先生:あとやっぱりコンテンツが少ないです。日本の電子書籍は「ポピュリズム」(大衆に迎合して人気をあおる姿勢)に偏っていますよね。マンガや小説ばかりが電子化されて、自分が欲しいような専門書が全然ない。例えば、(自分が欲しいと思う)勁草書房、開拓社、ひつじ書房、大修館書店、有斐閣などは電子が少ないように感じます。
塩谷先生の本棚 言語学・英語学の専門書が和洋問わず多数ある
―日本の電子書籍事情は、欧米とは全然違いますね。欧米は専門書出版社が買収されて大きな出版社グループに属しているものが多く、電子化が進んでいますが、日本は欧米に比べて大資本の出版社は一部しかありません。いろいろな意味で余力がない出版社が多いので、電子化もなかなか困難です。
塩谷先生:それはそうなんでしょうけどね・・。専門書は重いので、もっと電子書籍が増えて欲しいですね。文法書、大事典、大型本は特に電子化して欲しい。
―他にはどんなことを電子書籍に感じられますか?
塩谷先生:学習用途からみると、語学にはやはり音声が必要です。
留学を控えた学生に、日常表現のフレーズ集をすすめることがあります。あまりボリュームの大きい書籍ではないのですが、そうしたコンパクトな、分野別にまとまって安価に買えるものがあると便利でしょうね。最近、日本から海外に留学する学生、海外から留学してくる学生が増えているので、英語だけに限らず需要が高まってきている気がします。
塩谷先生の電子書籍Kinoppy本棚 日本の専門書は電子版が少ないので、洋書が多め
あと、紙で既に持っている書籍を、電子版に変更できるサービスがあったらいいのにと思います。御社のような書店で取り替えサービスをしてくれるようなことがあったらいいなあ、と。もしくは、紙書籍の購入者には、電子版を安く提供してもらえるのもよいかもしれません。
―なるほど。そうですね、前者の枠組みはちょっとすぐには思いつきませんが、そうしたご要望は結構ありそうです。
紙と電子書籍の違いは何か
塩谷先生:紙と電子ということでいうと、電子媒体に書き込む方が気分的に楽ですね。
―紙より電子に書き込む方が気が楽というのは面白いですね。先日、日本で電子書籍の普及が米国のように進まないのは、日本人の「本」に対する情緒的な捉え方が一因であるという話を聞きました。
(*筆者注:関連文献)
“Why e-readers succeeded as a disruptive innovation in the US, but not in Japan“. 2017-03-07
http://blogs.lse.ac.uk/businessreview/category/authors/tomoko-kawakami/ (accessed 2017-05-26)
塩谷先生:(電子書籍に)書き込んだ版と書き込まない版を持てるような機能があるといいと思います。例えば、ゼミや授業で学生に見せる時は書き込みがない版を使いたいし、普段自分で使う時は書き込んだものを使いたい。
―そういう意味であれば、学習に対する実用の意味が大きいですね。例えば、書き込んだメモやマークをオン/オフで切り替えられるといいのかもしれないですね。先生は講義のなかで電子書籍を学生に使わせることについてはどう思われますか?
塩谷先生:それは今のところまだやっていないですね。講義で使わせるには、タブレットを学生がどう使うかというところに懸念があります。講義中に講義以外のことに使ってしまわれたりしそうですよね。使わせるのなら、電子の教科書だけに限定するような専門機があった方がいいかもしれません。
—なるほど、ありがとうございました。そのあたりは、電子教科書を利用させる学校様の方が心配されるポイントでもあります。中学校高校でデジタルを活用した授業が普通になっていくと、そのあたりもこれから変わって行くのかもしれません。
塩谷先生:ええ。ただ、若い世代だと必ず電子書籍に積極的か、というとそうでもないようです。またそもそも、電子か紙かということに限らず、テキストや学術資料をどう使わせるかについては、学生個々人のタイプを見ながら指導をしなくてはいけないことですし。それでも、これからの世代がどのように電子書籍を使っていくのか、彼らの姿を見るのが楽しみですね。
今回、お話をお伺いした塩谷先生の印象を一言でいえば、自然体ということだ。肩肘はらずに電子書籍を利用されていたのが印象的だった。「重い本を持ち歩かなくてよいから電子書籍は便利」―とてもシンプルだ。
専門書の電子化がゆっくりとしている一方で、現場の研究者・教育者たちは、自然に電子書籍を使いこなしている。塩谷先生のようなユーザーの存在は、日本の専門書のありかたにどのような影響を与えていくのだろうか?
決して目立ちはしないが、専門書と電子書籍の関係をめぐる状況は静かに変わりつつある。日本の電子書籍のこれからについては、これからもさまざまな側面から見ていく必要がありそうだ。
(紀伊國屋書店 電子書籍営業部 簗瀬)