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転換期の高等教育に求められる教員の資質―【連載】変わる高等教育

2017.07.29

今、多くの大学が履修主義から修得主義への転換に取り組んでいる。各大学の、進捗状況を知るひとつの手掛かりは、それぞれのホームページに掲載されている三つのポリシーを確認することである。2017年度より、大学に対してディプロマ・ポリシー(DP:卒業認定・学位授与の方針)、カリキュラム・ポリシー(CP:教育課程編成・実施の方針)、アドミッション・ポリシー(AP:入学者受け入れの方針)から成る、三つのポリシーの策定・公表が法令で義務づけられた。大学は、いわゆる学力の三要素と呼ばれる「知識・技能」「思考力・判断力・表現力等の能力」「主体性をもって多様な人々と協働して学ぶ態度」を育成することが求められている。各大学の三つのポリシーには、こうした修得主義教育の現在のスタンスが如実に描かれている。いくつかの大学のホームページをランダムに閲覧してみると、実際にコンピテンシーが身につきそうな大学から、まだまだ履修主義の残滓が目立つ大学まで実にさまざまである。

今回、問いたいのは、履修主義から修得主義への転換を、大学がどのような組織体制のもとで図ろうとしているかということである。大学に限らず、協力と信頼が確立された組織は新たなイノベーションを生み出す最短距離にあるといわれる。修得主義そのものは必ずしも新しいイノベーションというわけではないが、長らく続いた日本の大学の履修主義的文化にあって、修得主義への転換は、一部の、もしくは多くの教員にとってある種の黒船的衝撃である。こうした状況の中で修得主義化を推進できるかどうかは大学組織とそこで働く教員一人ひとりの「教員としての資質」にかかっている。

先にも述べたように、今ではほとんどの大学が三つのポリシーを公表している。その中には他大学の模範となるような優れたポリシーを掲げている大学も少なくない。だが一方で、それぞれの大学のポリシーはどのようなプロセスを経て策定されているのだろうか。現場の教員は三つのポリシーを適切に受けとめ、自らの教育的使命としてその策定に積極的にかかわっているだろうか。研究志向や自分の城意識が強いといわれる教員が納得して修得主義を意識した授業を行っているだろうか。これからの学士課程教育に修得主義がどれほど望ましいものであるとしても、また大学の組織体制がどれほど堅固なものであるとしても、現場で働く教員がその本質を理解し、能動的、積極的、創造的に協働して取り組まない限り、修得主義を定着させることは困難である。

日本において修得主義の重要性が叫ばれるようになったのは、ここ10年ほどのことである。当然のことながら、現在教員職にあるほとんどの者が学生時代に修得主義型の教育を経験していない。加えて、適切な教育訓練を受けないままに大学教員になることが一般的な日本の大学で、よく見られる現象のひとつが、自分が教えられたように教えるという教育スタイルである。さらにいえば、従来の知識伝達型の教育を未だに信奉する教員も少なくない。大学が修得主義の重要性を訴え、組織的実現を図るにあたり、まず目標としなければならないことのひとつが、こうした教員たちの意識改革である。

もちろん問題はこれだけではない。上記のような教員は少なからず存在するが、実際のところ、教員の大学教育への思いは実に多様である。教員の多様性はそれぞれのコンテクストの多様性でもある。私立大学出身の教員、国公立大学出身の教員、海外で教育を受けた経験をもつ教員、企業や官庁から大学へ転身した教員、大学行政に強い意欲を示す教員、研究室制度のもと主任教授の支配下にある教員、自分の研究領域とはかけ離れた学部・学科に所属している教員等が大学には存在する。こうした教員たちが、修得主義の必要性を自らの教育課題として自覚し、積極的に関与していかない限り、この新しい大学文化が日本に根づくことは困難である。

そのように考えると、たいへん皮肉なことに、現代の教員に対して求められるのもまた、修得主義が目指すコンピテンシーと同じ資質であるということができる。すなわち「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」「主体性をもって多様な人々と学ぶ態度」である。おそらく教員たちは、「知識・技能」「思考力・判断力・表現力」については十全に身につけていることだろう。だが、「主体性をもって多様な人々と学ぶ態度」についてはどうだろうか。大学組織の一員(大学人)として「主体性をもって多様な人々と学ぶ態度」を身につけているといえるだろうか。もちろんこの場合の学ぶ対象は、それぞれの研究分野のことではない。マーティン・トロウ(Martin Trow)がいうところのユニバーサル段階に突入した大学のあり方や、その教育のあり方についてである。

実際のところ、「主体性をもって多様な人々と学ぶ態度」こそ、現代の大学教員(大学人)にもっとも必要とされる資質である。より具体的にいえば、この資質とは、反対意見をもつ教員たちを巻き込み、対話を重ね、合意の形成を目指す公共コミュニケーション能力そのものである。言葉を惜しまずに対話を重ね、相互の緊張関係を解き、ともに創造的活動へ向かわせることのできる能力である。

大学組織で働く教員に望ましいとされるこの資質は先天的なものであろうか。それとも後天的なものであろうか。多くの場合、教員は大学で働き始めるにあたり大学が組織であることを認識してはいても、自分がその一員として大学全体(大学のそれぞれの教員)と緊密に結ばれているとはあまり意識していない。よい研究とよい教育を自分の専門分野で行なうことによって大学に貢献できると考えているのは当然としても,自分の大学教員としての役割を、それ以上にも、それ以下にも考えていない者がほとんどであろう。そうした状況にあって,仮に公共コミュニケーション能力が先天的に兼ね備わっていたとしても、他の教員との摩擦を恐れるがゆえに、教員自らがそうした資質に気づかずに年月を重ねてしまう。

大学ユニバーサル化時代を迎え、大学で修得できるコンピテンスに汎用性が求められ、それに添って大学の機能やありようが変わりつつある。これからの大学の使命や役割を考えるとき、これまで以上に、社会が必要とする人間を育てる機能が大学には強く求められている。そのためには、教員一人ひとりが、また各学部・学科が、互いの壁を乗り越えて協働することが望まれる。そう考えると、今、大学に必要なことは、公共コミュニケーション能力のような資質を培う土壌、換言すれば、教員だけでなく、職員や学生をも巻き込んだ、永続的な対話の場を大学内に形成することであるといえないだろうか。

 

(玉川学園 理事・玉川大学 教授 菊池重雄)