人文社会系研究

『幕末期のジャパンタイムズ』上智大学 鈴木雄雅教授インタビュー

2018.05.31

幕末から開国に至る時代の世相が知れる
数少ない、歴史的価値のある資料

ジャパンタイムズのデジタルアーカイブに1865年に創刊された『幕末期のジャパンタイムズ』 (以下、旧ジャパンタイムズ)の紙面が新たに加わることになりました。当時発行されていた新聞で、 今日でも紙面が確認できるものは少なく、 当時の様子を知る上で貴重な資料といえます。ジャパンタイムズ編集局長の大門小百合が、ジャーナリズム史が専門の上智大学の鈴木雄雅教授に、 旧ジャパンタイムズの資料的価値や紙面の特徴などについて話を聞きました。

鈴木雄雅(すずき ゆうが) 上智大学文学部新聞学科教授。専門はジャーナリズム(史)、国際コミュニケーション、オーストラリアのマスメディア研究。1997年4月~1999年3月まで上智大学文学部新聞学科長、2001年11月に博士号(新聞学)を取得。上智大学以外でもマスコミュニケーション論、新聞史、日本近現代史、地域研究(オセアニア)などの講義を担当する

大門小百合(だいもん さゆり) 1991年、ジャパンタイムズに入社。報道部の政治、経済担当の記者を経て編集デスクとなり、2006年から報道部長、2008年から編集局次長、2013年7月から執行役員。2013年10月1日から執行役員編集担当

研究資料を見せながらインタビューにこたえる鈴木雄雅教授     撮影:三浦義昭

大門:新たにジャパンタイムズのデジタルアーカイブに収録された旧ジャパンタイムズですが、どのような意義があったとお考えですか?

鈴木:アーネスト・サトウの『英国策論』(“British Policy”)が日本語の新聞ではなく、旧ジャパンタイムズに載ったということが、その存在の意義を後押ししています。

大門:そもそもサトウはなぜ旧ジャパンタイムズに寄稿したのでしょうか?

鈴木:旧ジャパンタイムズは横浜で発行されていましたが、当時、横浜の外国人居留地は数百人のコミュニティでした。その中で発行者と知り合いだったというようなことは、サトウが『一外交官の見た明治維新』という自叙伝でも触れています。彼がいろいろな意見を言っていたら、じゃあ載せたらどうだということになったのではないかと推測しています。ジャパンタイムズやその前に発行されたジャパンヘラルドといった新聞の最大の役割は、自由に物事を伝えるということで、そこに価値がありました。

大門:外国人居留地で発行されていた新聞だから自由に書けたのでしょうか?

鈴木:そうですね。開国に向かっていくけれど、尊王攘夷の流れがある時代で、外国人居留地だから出せたのであって、同じことを日本語の新聞でやったら、外国語の新聞を居留地以外のところで出したら、アウトでした。

大門:サトウの寄稿は英語でしたが、そのうち日本中に情報が漏れるかもしれないことは想定していたでしょうか?

鈴木:漏れるというか、日本語に訳されて広まってしまったというのは想定外だったかもしれません。その背景には、その記事が面白い、内容に影響力がありそうだと考えた人たちがいたんでしょうね。

大門:他にも、サトウが翻訳した幕末の遣欧使節の記録のようなものも掲載されているようですね。

鈴木:これは僕もなかなか面白いなと思っているんですが、どうして載せたのか。チャールズ・リッカビー(発行人)の要求だったのか。サトウの外交官という肩書き、属性の影響がまったくなかったとはいえないですよね。分かりませんね。

大門:今回アーカイブに収録できたのは、旧ジャパンタイムズの原本が残っていたからでした。

鈴木:旧ジャパンタイムズが1865年から1年弱、途中で欠号はいくつかありますが、しっかり残っているというのは、資料的価値、歴史的価値があるわけですね。当時発行されていたジャパンコマーシャルニューズは原本がほとんど存在していませんし、ジャパンガゼットもそんなに初期のころのものは残っていないんです。…(インタビュー全編はジャパンタイムズ社のサイトにてお読み頂けます。)

 

『幕末期のジャパンタイムズ』推薦の言葉

 上智大学教授 鈴木雄雅(専門:ジャーナリズム史)

デジタルアーカイブに収録されている旧ジャパンタイムズは、1865年9月8日(慶応元年7月19日)、西インド中央銀行の元横浜支店支配人であったイギリス人銀行家チャールズ・リッカビーによって横浜の外国人居留地で創刊され、英字新聞の草分け的存在の一つである。4~8ページ建てで、週刊で発行された。

1859年に開港した横浜ではジャパンヘラルド(1861年創刊)やジャパンパンチ(1862年創刊)、ジャパンコマーシャルニューズ(1863年創刊)が発行され、海外の情報が流れ込み始めていた中、旧ジャパンタイムズも発行された。

旧ジャパンタイムズは船舶情報や商業広告、国内外のニュース、裁判記事を掲載しており、幕末、開国時にかけて揺れ動く日本社会の様子を、外国人の眼から見た貴重な記録である。裁判記録、商業会議所記録、領事館公告のみならず競売や電信広告などを通して、1860年代半ばの居留地の様子を知ることができるのは興味深い。旧ジャパンタイムズはロンドンやパリに通信員を置き、横浜の地から世界に向けて情報を発信していたといえる。

本デジタルアーカイブでは、旧ジャパンタイムズの創刊号(1865年9月8日付)から1866年6月30日付までの42号分を閲覧することができ、幕末日本の社会・世相を読み取ることもでき、貴重な史料といえる。

旧ジャパンタイムズは副題に「商業・政治・一般ニュース週刊紙」と掲げ、貿易第一主義を標榜した。貿易産品の輸出入状況や市場情報など経済ニュースを多く取り上げていた。横浜では当時、ジャーディン・マセソン商会(長崎ではグラバー商会)のような巨大商社が台頭する一方、神戸の開港は遅れていた。日本経済を取り巻く諸問題を中心に紙面で訴えようとしたのであろう。

その一方で、英国公使館通訳のアーネスト・サトウによる「遣欧使節日記」の抄訳(第2号から)や『英国策論』(“British Policy”)(第28号はじめ、3回にわたり掲載。翻訳されたものが市中に出回り大きな反響を呼んだ)なども掲載されている。

こうしたこともあってか、旧ジャパンタイムズは会訳社(旧番所調所)が『日本新聞』の題字で筆写し、翻刻新聞として訳され、出版されていた。邦字紙にも、しばしば「横浜新聞紙タイムスより抄出す」として記事が訳出されていたのである。

なお、このデジタルアーカイブに収録されている旧ジャパンタイムズとは別に、ジャパンタイムズ・デイリー・アドバタイザーという広告主体の日刊版、さらに外国航路の船舶の出航に合わせ、ほぼ隔週で発行されたジャパンタイムズ・オーバーランド・メイルも出版されていた。

このように、本資料は幕末期における外国人居留地の様相を多角的に読み取ることができ、当時の政治・経済・社会・文化を知ることができる貴重な英字媒体といえる。

 

■商品概要■

商品名: 「幕末期のジャパンタイムズ」デジタル版
収録期間:1865年9月(慶応元年7月)〜1866年6月(慶応2年5月)※一部欠号あり
収録内容:全223ページ、週刊版4〜8ページ建て、出入港する外国船の案内・商業広告、内外ニュース、在日領事館の公告、裁判記事等
ご契約形態:買い切り型です。個別にお見積り申し上げます。
※『The Japan Times Archives(1897-2017)』とは別にご契約が必要です。
ウェブサイト: http://jtimes.jp/archives
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