2025年1月10日に、JKBooks「Web版史料纂集第3期」がリリースされました。リリース約2カ月前の2024年11月21日に図書館総合展で、大学院生の百瀬顕永氏、歴史ドラマ時代考証担当者の大石泰史氏をお招きしフォーラムを開催しました。※
本連載では、そのうちの一部を編集、抜粋してご紹介します。連載第4回は、前回に続き歴史ドラマ時代考証担当者の大石泰史氏の講演の様子をお届けします。「ジャパンナレッジ版 史料纂集・群書類従を使った時代考証のススメ」と題し、歴史ドラマのリアリティーがどのように作られていくのかを、オンラインデータベースの活用方法も交えながら、お話しいただきました。どうぞお楽しみください。
なお第1回~第3回目までの記事はこちらよりご覧いただけます。
※本フォーラムの動画はこちらで公開しております。
【大石泰史氏】戦国大名の今川氏を中心に東海地域の戦国時代の研究を継続的に行う。「おんな城主 直虎」(NHK)の時代考証、「麒麟がくる」(NHK)、「どうする家康」(NHK)、「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(NHK)の古文書考証など、歴史ドラマの時代考証・古文書考証を数多く担当。
「ジャパンナレッジ版 史料纂集・群書類従を使った時代考証のススメ」
リアリティは細部に宿る
時代考証では演出に対して、時には少し細かいアドバイスを提案をすることもあります。その一例を申しますと、起請文(きしょうもん)という史料があります。これはいわゆる神仏への誓いで、自分の行為あるいはしゃべったことに関して嘘偽りはありません、ということを神仏に誓って、さらにそれを相手に表明するための文書です。
起請文は「前書(まえがき)」と「神文(しんもん)」という大きさの異なる2枚の紙を繋ぎ合わせて作られます。図の右側が前書で、誓約したい内容が記されています。左側の、鳥が何羽もとまっている絵の描かれているものが神文で、この図では和歌山県にある熊野神社の護符(ごふ)が使われています。この護符の方には、発給者が信仰している神仏の名前、自分の名前、そして花押(サインのようなもの)などが記されます。また、神文に用いられる護符の紙=料紙は、中央政府に属していない地方の人々が使用していたことが多かったので、紙の質もあまり良くありませんでした。
浅井久政・同長政連署起請文/ 朽木家文書/ 国立公文書館デジタルアーカイブズ
黄色で囲った部分が「前書」、左の水色で囲った部分が「神文」
つまり起請文というのは紙の大きさや質の異なる2枚の紙を繋ぎ合わせて1点として作成しており、非常に特徴的な見た目となる文書だと言えます。そのため、仮に歴史ドラマの中で上記のような特徴を持たない文書が起請文として登場すれば、リアリティが薄れてしまう可能性があります。
紙の大きさや紙質というのは些末な事柄のように感じられるかもしれませんが、映像になると目立ってしまう可能性があります。そのため起請文を登場させる際には、現在でも護符を配布している熊野の三所権現や京都の鞍馬寺などから入手するように提案することもあります。
起請文に表れる歴史上の人物の個性
一般的な起請文は今ご紹介した通りですが、なかにはその人物ならではの個性を考慮する必要があるケースもあります。
例えば徳川家康は天正10年(1582年)まで「白山牛王(はくさんごおう)」という護符を使っていました。これは岐阜県郡上市にあった旧白鳥町(しろとりちょう)の長滝にある白山神社から発行されていたものです。徳川家康の起請文は、前書と神文の2枚の紙をつなぎ合わせたものではなく、護符の裏面に前書も署名も記されていました。
また、徳川家康は起請文を作る際、先ほど「宗五大草紙」でご紹介したやり方を踏襲し、宛名の部分に二人の名を並記した際、日付に近い人物を高い位置に、もう一人の人物を低く書いて、当主である人物と名代(後見人のようなもの)とされる人物の差を示しました。この場合、歴史ドラマでも徳川家康が実際に残した起請文の作り方・書き方を採用しようと考えます。
徳川家康が使用した白山牛王の護符は、現在でも入手できるのか否か私も把握しておりません。ただ、ドラマで必要となれば、護符そのものを印刷して作成しなくてはなりません。そうすると、現代の紙=綺麗な紙に印刷されてしまう可能性が高いので、護符ならではの紙質の悪さは生かすことが出来なくなります。徳川家康の起請文の絵柄を効果的に見せるために印刷して物を作成するか、起請文の紙質の雰囲気を生かすために、わざと質の悪い紙を護符として作成し、それで代用させるのかは、その歴史ドラマの演出担当の裁量にゆだねられます。
史実と演出との間の葛藤
こうした考証を担当していていると、史実とドラマを魅力的にするための演出との間で葛藤させられる場面もあります。その例として、教科書にもよく出てくる「傘連判(からかされんぱん)」についてご紹介します。傘連判は大勢の人々が団結して訴えを起こすときなどに用いられる文書で、図のように、真ん中に円を書き、円の外側に名前を書くことで、誰が中心人物なのかをわからないようにしたり、署名者同士が対等であることを示したりする効果があります。

文明8年9月15日付高橋命千代契約状 益田家文書(東京大学史料編纂所所蔵)を一部改変
傘連判は教科書などに掲載されることもあって有名ですし、見栄えもすることもあって、歴史ドラマでは好んで使われる傾向があります。しかしながら、私たち研究者の立場からすると悩ましいのですが、実は戦国期に傘連判が用いられるのは稀なケースなのです。では、戦国時代にはどのような方法が主流だったのかというと、以下の図のようなものでした。図の文亀元年(1501)の8月16日とかかれた文字の斜め左下に「次第不同」と書かれています。この「次第不同」というのは、現在私たちがよく使う「順不同」と同じで、以下に書かれている人たちの立場は同じですよ、ということを示しています。

松平一族連署禁制『史料纂集 大樹寺文書』(八木書店、1982年)
ただ、映像にした時に、傘連判と次第不同と書かれた文書のどちらにインパクトがあるかという点を踏まえると、傘連判を登場させたくなる気持ちもわからなくはないのです。ちなみに、江戸期には百姓などがこの傘連判を書いています。今後「Web版 史料纂集」第4期古文書編がリリースされた際には、傘連判が用いられた場面などの研究の参考に使用されることも期待しております。
連載第4回目をお届けしました。次回も大石泰史氏による「ジャパンナレッジ版 史料纂集・群書類従を使った時代考証のススメ」の続きをお届けします。
(デジタル情報営業部)
紀伊國屋書店サイトはこちら
お問い合わせはこちら