人文社会系研究

巽孝之編『トランスパシフィック・カルチュラルスタディーズ』の魅力

2020.03.04

2019年夏、巽孝之先生(慶應義塾大学文学部教授)が編まれた全4巻の論文選集『トランスパシフィック・カルチュラルスタディーズ』が、英国SAGE社より刊行されました。今なぜ日本(を含むアジア)とアメリカの文学・文化・社会をつなぐ「トランスパシフィック」な視座が求められるのでしょうか?ここでは、本書刊行の意義を説く、同書所収のシェリー・フィッシャー・フィッシュキン教授(スタンフォード大学)による緒言(Preface)を、両教授の許諾を得て、日本語訳で公開いたします。

『トランスパシフィック・カルチュラルスタディーズ』第1巻「トランスパシフィック・アメリカニズム」書影

巽孝之(編)『トランスパシフィック・カルチュラルスタディーズ』への緒言

シェリー・フィッシャー・フィッシュキン(スタンフォード大学教授)

巽孝之は『フルメタル・アパッチ』(Full Metal Apache : Transactions between Cyberpunk Japan and Avant-Pop America)の著者であり、名実ともに、日本で最も想像力と生産力にあふれる文化批評家の一人だ。彼の編纂になる全4巻セット『トランスパシフィック・カルチュラルスタディーズ』にはさまざまな論文が収録されているが、それは編者である巽自身の幅広い嗜好と関心を反映するとともに、異文化間の相互作用・相互交流が将来いかに実り豊かな話題を提供するものであるかを実感させてくれる。全巻にわたって浮き彫りになるのは、19世紀から現在まで、多くの作家たち、芸術家たち、そしてならびに文化形式群がこの地球上をめまぐるしく往来することによって、これまで想像だにしなかったほどに独創的な成果が生み出されてきたということだ。

この論文選集では、空想科学小説(SF)をまず社会変動に対して反応するジャンルと見なし、日本と中国のSF的系譜を探るとともに、日中におけるアメリカSFへの反応をも吟味する。編者とYan Wu、Shaolin Ma、Thomas Schnellbacherらの論文では、歴史的政治的文脈が異なる場合に、我々はいかにして多様なる社会的ディストピア、技術論的なユートピアのヴィジョンを理解しうるのか、その可能性が問われる。あるいは、SFを手にすることでいかに中国作家たちが「旧来の文化・政治・制度的システムからの解放」というテーマを追求できるようになったのか? 翻訳家たちはいかに文化的差異がもたらす諸問題を表現するべく苦心してきたのか?SFはいかにして帝国と歴史について思いめぐらせてきたのか?「疑似科学」なる概念が中国とアメリカではいかに食い違っているのか?ファンタジーが太平洋の両岸においていかに軍国主義喧伝のために利用されてきたのか?

竹谷悦子の刺激的な論文は、アフリカ系アメリカ人公民権運動のリーダーだったウォルター・ホワイトが行った第二次世界大戦中の太平洋諸島めぐりを扱う。この旅から、<シカゴ・ディフェンダー>紙に掲載された”Jim Crow Goes to Japan”やその他の米軍の検閲対象となった作品が生まれたのだ。編者自身の論文は、日本では「ゴジラ」、アメリカでは”Godzilla”として知られる架空のモンスターのイメージが、いかに日米両国の環太平洋的な交渉の中でつくられてきたかを語る。そして、「かつてはもっとも強力な大量破壊兵器(原爆)の比喩だったものが、いかにして日本の急速な復興の象徴となったのか」が明かされる。

グローバルな若者文化とミレニアム資本主義における日本ブームを検討するAnne Allisonの論文は、クール文化産業がいかに待望の資本を日本へ――名実ともに――によってもたらしたのか、そしていったいなぜアメリカの若者は日本のアニメ、マンガ、カードゲームやオモチャに魅了されるのかを検討している。「日本」という記号はいかに「ある特異的な調合から成る幻想的商品――すなわち異国的であると同時に親和的な幻想空間への旅と、連続的に流動し全地球的に移動しうる主体性への憧れをかきたてる商品――として機能するのか?「絶え間ない変身願望」はどの程度、新たな全地球的想像力の前兆たりうるのか?

Gary Okihiroによると、「環国家的な混淆主体を生み出す資本・労働・文化の環流システム」が、「同質性、ナショナリズム、人種的純粋性の批判」とともに示すのは、アメリカを「閉塞や不可抗力と断固戦う運動や活動から織り成される周辺的かつ流動的な空間」として見直す視点がいかに有益であるかということだ。そうした資本・労働・文化の環流がもたらす残滓は魅惑的である。例えば、小谷真理は、アメリカ映画『ステップフォードの妻たち』をリメイクした日本のコスプレ映画を分析してみせる。大串尚代は、1970年代の日本の少女文化がいかにローラ・インガルス・ワイルダーの『大草原の小さな家』シリーズとそのテレビドラマ・シリーズによって形成されたかに目を向ける。一方、松川祐子は、「中国系とイギリス系の血を引くアジア系カナダ人作家」で「日本人風の筆名(オノト・ワタンナ)」を用いた謎の人物ウィニフレッド・イートンに新解釈を施すにあたって、20世紀初頭アメリカの想像力が日本文化をいかに捉えていたかを探り、彼女の作品がいかに日本で受容されたかをくまなく辿っている。

以上の論文の初出学術誌は『Journal of Transnational American Studies』『The Japanese Journal of American Studies』『Paradoxa』『Science Fiction Studies』『Mechademia』など千差万別だが、こうして一つのコレクションにまとまったことで読者にもたらされる僥倖は計り知れない。全4巻のセットに集成することによって、今まで離れ離れだった論文同士が対話を始め、互いに共通するテーマをこれまでになかった角度から照射し刷新していくことだろう。

『トランスパシフィック・カルチュラルスタディーズ』は、グローバル大衆文化がアジアに及ぼした広汎な影響のみならず、それと同程度にアジアがグローバル大衆文化に与えた影響を実証する学術大全として、叡智と才気に満ちている。本書は、トランスナショナル・アメリカン・スタディーズ、グローバルスタディーズ、カルチュラルスタディーズのみならず、歴史、言語、文学、美術、映画、異文化交流に関心を持つありとあらゆる読者に歓迎されるだろう。ここに立ち上がったのは生命力と創造力漲る世界だ。ひとたびそこへ足を踏み入れれば、あなたは無限の想像力に圧倒されるにちがいない。

『トランスパシフィック・カルチュラルスタディーズ』ページの例

※巽孝之(編)『トランスパシフィック・カルチュラルスタディーズ』全4巻は、紀伊國屋書店が日本総代理店のタイトルです。下記リンクから、詳細内容をご確認および本書をご購入いただけます。

・SAGE社サイト:詳細ページ

・紀伊國屋書店でご購入(一般の方向け):紀伊國屋書店ウェブストア

・紀伊國屋書店でご購入(法人の方向け):紀伊國屋書店BookWeb Pro

 

(紀伊國屋書店 書籍・データベース営業部 野間)