人文社会系研究

ワイリー・ブラックウェル版 意味論大全(全5巻)「緒言」公開

2020.11.04

今年度の言語学分野の出版で注目されるのは、意味論の全5巻のレファレンスThe Wiley Blackwell Companion to Semanticsです(カタログページ参照)。なぜ今「意味論」でこのような規模のプロジェクトが実現したのでしょうか?その企画趣旨がわかる「緒言」(Preface)を出版社から入手しましたので、ここに訳出紹介いたします。


言語学における意味論は、比較的歴史の浅い研究分野です。半世紀以上前は、文法のうちで意味部門の構造について考えられていたことは、いまだ概略的な、プログラム段階にとどまるものでした。1970年前後に、言語学の外部での研究の進展が、劇的な変化の火付け役となりました。論理学と言語学からもたらされた新たな分析ツールが、指示と真理条件の面から、言語における意味の体系的説明への道を切り開いたのでした。それ以降、言語学者たちは上記の分析手法を用いるとともに鍛え上げ、形式論理学由来の少数の形式化ツールを転用していた段階から、世界の諸言語を越えて観察される広汎な意味現象の説明へと進み、意味部門とその形式論理のより明解な全体像を描けるにいたりました。今日では、意味論分野の成熟ぶりは、どの言語学者でもその主要な手法と成果に親しんでおくことが求められるほどです。そのような場面で、本書The Wiley Blackwell Companion to Semanticsが、まず参照すべきリソースの一つとなることが、編者たちの願いです。

意味論の分野においても、立派な教科書やハンドブックに不足はありません。それでも編者たちは、本書The Wiley Blackwell Companion to Semanticsが、教育と研究のギャップを真の意味で埋めるものと考えています。入門用教科書はどうしても、理論的洞察を単純化したり、当該トピックの歴史的背景を省略するか背景情報を絞って脚注に押し込めることがあります。ハンドブックは、最前線をカバーしようとして、各フィールドを細分化してもなお大きな下位分野単位で、読者をより専門的な文献へと誘導しますが、その大半は専門家相手の高度に形式化された雑誌論文です。

それに対して、本書The Wiley Blackwell Companion to Semanticsは、二つの目的を掲げます。すなわち、a) 意味論を学ぶ人が各トピックをより広く深く理解できるようにするのと同時に、統語論や意味論とのインターフェイスに当たる研究課題もカバーすること、b) 他のフィールドの学者・学生(なかんずく念頭にある大きな集団として、統語論研究者)が意味論の発展についてこられるようにすることです。

このコレクションは、意味論を網羅的にカバーするものというつもりはなく、選び抜いたトピックについて各章内で極めて充実した解説を提供するコンセプトです。本書が含まれるシリーズThe Wiley Blackwell Companions to Linguisticsの伝統に忠実に、各章は、中心的なトピックをめぐる理論的な議論の展開に照準を合わせることで、現代意味論の発展を映し出すことが企図されています。たいていの場合、そうした理論的な議論は、それまでの意味論が依拠していた既知の概念や仮定を揺るがすような特定の記述的な観察ないし現象に導かれたものでした。しかし、時として、当の基本的な概念ないし想定そのものも議論の対象となったのでした。したがって、本書The Wiley Blackwell Companion to Semanticsの企画初期段階では、編者たちは各章のタイプを二種類に分けて念頭に置いていました。

  • case studies: 理想的には、ある一つの記述的な現象を取り上げ(多くの場合、副題で代表的な用例を示す)、競合するアプローチを比較する(各アプローチをもたらす決定要因をいかに位置づけ個々に区別するかの点で)。「否定辞繰り上げの名称と性質」や「自由選択的離接」(副題“An apple or a pear”)の章が当てはまる。どちらの現象も一握りの語彙項目にしかかかわらないが、多数の言語で(ささやかな変異とともに)観察される。それでも、それらの性質のもっとも基本的な側面(語彙的もしくは構造的な曖昧性に基づくのか?語用論的推論によって導かれるべきか?など)についてさえも、意味論コミュニティの中ではかなり見方が分かれている。これらの議論はいまだ解決にはほど遠いが、その過程で先達が生み出した洞察(あるいは時として迷い込んだ袋小路)からは多くを学べる。
  • foundational chapters: 中心的な概念や広く用いられる分析ツールに焦点を当て、その起源、動因、歴史的発展、もっとも重要な応用を紹介する。「合成性」や「曖昧性」の章が当てはまる。どちらの概念も、統語論と意味論の関係性にとって常に中心的な役割を果たしてきたが、正確な位置づけはいまだ議論の途上にある。合成性の重要性はまず否定し得ないが、その役割は経験的仮定と方法論的原理との間で揺れ動いてきた。さらに、多義性や未指定性といった現象によっても、曖昧性の伝統的な定義が言語的形式を他と区別する手段として有用か、疑問が投げかけられてきた。どちらの章も(同系列の他の章とともに)読者が複数の適切な理論的オプションと取り組むための助けとなる(これを最後にどちらかに決めてしまうよりも重要なことだ)。

全103章のうち、11章のみが上記のfoundational chaptersに当たり、大半の章が特定の意味現象のcase studiesということになります。しかしながら、この区別は厳密なものではなく、一部の章は(「文字通りの意味か、拡充された意味か」のように)両者の中間に位置しています。そしてもちろん、多くのcase studiesでは意味論全般的な側面にも触れますし、foundational chaptersの一部でもまた代表的な用例を取り上げます。

本書の想定読者層は、言語学および関連分野の学生上級レベルで、各章の解説はかなり充実しているので、意味論の標準的なテキスト(例えば、Irene Heim and Angelika Kratzer. 1998. Semantics in Generative Grammar. London: Blackwell.)程度の理解力で、大半はマスターできます。もっとも、あらゆる章、あらゆるパートが同じぐらい一般の言語学コミュニティにとって親しみやすいわけではなく、一部の章はより専門的な知識や関心を要求します(頻度順に、論理学、統語論、他のフィールド)。とはいっても、その場合でも、読み進める前に情報のギャップを埋めたい読者のために参考文献と関連項目が指示されています。

読者の参照の便のため、本書The Wiley Blackwell Companion to Semanticsの各章は、6つの主題別パートに分かれています。

A:意味:全般
B:意味と構造
C:命題的内容と情報
D:指示と量化(個物の領域)
E:指示と量化(時間と事象におよぶもの)
F:意味・用法・認知

パートAが最短で、もっとも基盤的な6章を含みます。パートBは、統語論と意味論のインターフェイスに当たる現象を取り上げ、パートFは、意味論と語用論の境界にまたがるか、隣接分野にも光を当てます。このパートBとFで本書のおよそ半分を占め、意味論全体の発展にとってインターフェイスが極めて重要であることを示しています。残る3つのパートは、意味論の「コア」といえる現象を取り上げます。それぞれ、文のための可能世界の論理空間(パートC)、名詞句成分の類型・量化理論(パートD)、動詞領域における事象意味論(パートE)と、種々の表現範疇における意味論的分析の方法論的差異にゆるやかに対応しています。ここでもまた、6つのパートの境界線は厳密なものではなく、おおよその目安です。少なからぬ章を別のパートに割り当てることもできたでしょう。

本書のトピックは広汎ではありますが、決して完全だと言いたいわけではありません。編者たちは、より多くの章が今後の版で加えられていくことを望んでいますし、新たなトピックや執筆者の提案にも開かれています。実際、本書の最初の草稿段階では、130章以上の提案が含まれていましたが、一部はその後さまざまな理由で他の章と融合したり、あるいは実現せずに終わりました。ここで、本書成立にいたる歴史を語るときが来たようです。

およそ十年前、編者の一人が、シリーズ編者であるHenk van Riemsdijkから、(〔注〕彼の共編になる)Companion to Syntax(初版〔注〕2005年に刊行されたBlackwell Companion to Syntaxのこと、後に第2版が2017年にThe Wiley Blackwell Companion to Syntaxとして刊行された)を大まかなモデルとして、Companion to Semanticsを企画してみないかと持ちかけられたのが発端です。それにふさわしいチーム(当初の編者4名から成る)を見つけて、詳細な出版企画提案書を書き上げた後で、編者たちは100章以上にわたる原稿の執筆者とレビュワーを見つける仕事の過酷さを悟りました。種々のバージョンにわたる原稿、レビュー、執筆者の手紙などを追跡できる洗練されたファイル・システムも必要でした。複雑な編集プロセスが終わりを迎えようとしていた頃、さらなる補強が望ましいという結論に達したところで、5人目の編者としてDaniel Gutzmannを迎えることができたのは幸運でした。かくしてここに編者たちは、斯界の最高の専門家たちの手になるこの第一級のコレクションを、喜びと誇りとともに読者に送り届けることができるというわけです。


The Wiley Blackwell Companion to Semantics(日本総代理店:㈱紀伊國屋書店)は、2021年1月刊行・入荷予定です。価格のご確認やご注文は下記サイトをご利用ください。

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(紀伊國屋書店 書籍・データベース営業部 野間)