人文社会系研究

ロンドン・タイムズを創刊号より収録するデータベース:The Times Digital Archive その3

2021.12.16
Times Digital Archive

The Times Digital Archive

イギリスの新聞、ザ・タイムズ(ロンドン・タイムズ)の創刊号以降の記事を発行時の紙面イメージに忠実に電子化、フルテキスト検索を可能にしたセンゲージ ラーニング社GaleのデータベースThe Times Digital Archiveより、1851年から1900年までに掲載された記事の一部をご紹介します。

クリミア戦争
イタリア統一戦争

Times Digital Archive1-2

  • 左:クリミア戦争(October 12, 1854)
    軍の杜撰な作戦や前線の医療の惨状を暴露したタイムズ特派員ウィリアム・ラッセルによる近代ジャーナリズム史上最初のスクープ記事。これによりラッセルは従軍記者のパイオニアの栄誉を得る。また、新聞記事によって内閣が崩壊したイギリス憲政史上最初期の例でもある。
  • 左:イタリア統一戦争(May 4, 1859)
    自前の特派員網を持っていたタイムズが通信社を使うのは遅れた。記事は、サルデーニャ王国を支援し、オーストリアと戦うことを宣言したナポレオン 3 世のフランス語原文で、ロイター通信社から入手したもの。

文久遣欧使節団訪英
普仏戦争

Times Digital Archive3-4

  • 左:文久遣欧使節団訪英(May 12, 1862)
    使節団の動向は連日詳しく報じられた。記事は、一行がキングズ・コレッジ病院を訪問したときの模様。箕作(秋坪)、松木弘安の名前が見える。
  • 右:普仏戦争(July 25, 1870)
    開戦1週間後に掲載されたベルギー併合に関する普仏間の密約のフランス語原文。イギリス世論を味方につけて戦争を有利に進めるために、プロイセン宰相ビスマルクが有力紙タイムズへの掲載を仕掛けた。

トマス・クック、世界初の世界一周パック旅行

RoundtheWorld

  • トマス・クック、世界初の世界一周パック旅行を企画(February 5, 1873)
    クックはみずから添乗員として同行。旅の途上で書いた旅行記は 3 回に分けてタイムズに独占掲載された。記事は一行が横浜に停泊し、東京に立ち寄ったときの様子。芝の増上寺を訪問、人力車に分乗し、市街地を見物した。商店街に本や絵を商う店が多いことに驚いている。

露土戦争講和ベルリン会議

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  • 露土戦争講和ベルリン会議(左:July 15, 1878、右:January 16, 2003)
    左:タイムズ特派員ブローウィッツは講和条約をスクープするために密かに協力者を外交官と偽って講和会議に送り込んだ。二人は示し合わせて同じ帽子を被ることにした。ホテルで食事をするとき、協力者がクロークの壁にかけた帽子をブローウィッツが被ってホテルを後にする。帽子には条約原文が縫い込まれていたのである。この「ハットトリック」によって入手した条約原文をブローウィッツはコートに縫いこみ、列車を乗り継いでブリュッセルへ向かった。ベルリンの郵便局から電報で送れば、その場で逮捕されると考えたブローウィッツは、予めベルギー代表団の高官を騙し、ブリュッセル支局開設の準備のためにロンドン本社との間で電報の送受信を行なう際に条約原文のダミーを使うことを許諾する内容のベルギー郵政長官宛レターを得ていたのである。こうして条約原文はロンドンのタイムズ本社に届けられ、ベルリンで条約が調印されたのと同じ日に掲載されるという世紀のスクープとなった。
    右:この逸話を紹介する記事。

フェニックス・パーク事件
ゴードン救援軍をスーダンへ派遣

Times Digital Archive7-8

  • 左:フェニックス・パーク事件(April 18, 1887)
    アイルランド主席政務官がフェニックス・パークで殺害された。5 年後、アイルランド民族主義者チャールズ・パーネルの事件への関与を明かした手紙をタイムズが掲載。しかし、この手紙は偽造であることが判明し、タイムズは裁判で敗訴する。
  • 右:ゴードン救援軍をスーダンへ派遣(September 29, 1884)
    スーダンのハルツームで反乱軍に包囲されたチャールズ・ゴードンに下にいたタイムズ特派員フランク・パワーが現地の窮状を伝えた記事は救援軍派遣に向けて世論を喚起した。パワーは窮状打開のためハルツーム脱出を試みるも、反乱軍に殺害された。この記事は殺害された後に掲載された。

アーネスト・モリソン、北京特派員に着任
義和団事件

Times Digital Archive9-10

  • 左:アーネスト・モリソン、北京特派員に着任(January 3, 1901)
    満州保護領化への布石としてロシアと清の間で調印された秘密協定をモリソンがスクープした記事は世界に衝撃を与えた。日本の抗議に遭い、協定は破棄される。東アジア近現代史の中で、新聞のスクープ記事が政治外交に影響を与えた重要例。
  • 右:義和団事件(October 13, 1900)
    北京の公使館街が清朝軍に包囲され、多数の外国人が2ヵ月間籠城を余儀なくされた。記事はモリソンの籠城体験記。位置関係がわかるよう、公使館街の平面図も掲載されている。

次回は、1901年から1950年までの記事をご紹介します。

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