人文社会系研究

【連載】歴史ドラマ時代考証担当者と現役大学院生が語る『ジャパンナレッジ版 史料纂集・群書類従』活用法 第5回

2025.08.08

2025年1月10日に、JKBooks「Web版史料纂集第3期」がリリースされました。リリース約2カ月前の2024年11月21日に図書館総合展で、大学院生の百瀬顕永氏、歴史ドラマ時代考証担当者の大石泰史氏をお招きしフォーラムを開催しました。※

そのうちの一部を編集、抜粋してお届けしてきた本連載ですが、第5回目をもって最終回となりました。今回は歴史ドラマ時代考証担当者の大石泰史氏の講演「ジャパンナレッジ版 史料纂集・群書類従を使った時代考証のススメ」のまとめパートをお届けします。どうぞお楽しみください。

なお第1回~第4回目までの記事はこちらよりご覧いただけます。

※本フォーラムの動画はこちらで公開しております。

【大石泰史氏】戦国大名の今川氏を中心に東海地域の戦国時代の研究を継続的に行う。「おんな城主 直虎」(NHK)の時代考証、「麒麟がくる」(NHK)、「どうする家康」(NHK)、「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(NHK)の古文書考証など、歴史ドラマの時代考証・古文書考証を数多く担当。

「ジャパンナレッジ版 史料纂集・群書類従を使った時代考証のススメ」

Web版「史料纂集」「群書類従」の登場による変化

時代考証という作業には『史料纂集』や『群書類従』などの活字化された史料と、その原本(活字化される前の史料)に目を通すことが不可欠です。どちらも一度は確認しなければ、その史料がどのような見た目をしていて、何が書かれているのか正確に把握することが出来ません。

ただ、当時の文化や慣習の傾向を知るという点においては、Web版「史料纂集」や「群書類従」の登場によって、ずいぶん便利になったと感じています。例えば、『実隆公記』を「切封」という言葉で検索した事例や、百瀬さんの講義で「変鼻」という言葉の用例を集めた事例を紹介しましたが、Web版「史料纂集」を用いることで、当時の慣習や、言葉の使われ方を推測するための史料を集めることが容易になりました。

こういった検索を通して見つけたサンプルを手掛かりにして、今度は史料の原本を所蔵する機関の画像や図録本、写真などを確認し、時代考証に必要な情報を集める作業を進めていくことになります。

最新の研究と歴史ドラマ制作の現状

歴史ドラマの演出スタッフは見映えが良い、あるいは興味深い史料を映像に使いがちですが、私たち考証担当は史料をまず把握し、さらにその研究を踏まえた上で検討していきます。演出サイドが映像化したいと思念した文書に対し、研究者が改めてその文書を丁寧に読み込む必要が生じるためです。したがって演出担当と考証担当の間でタイムラグが生まれてしまうのです。どこまでお互いに許容しあうのか、というせめぎ合いを行っているのがドラマ制作の現状であるということをご理解いただければと思います。

また、私たち考証担当は、現在の研究成果を歴史ドラマに取り入れる提案も行っています。

例えば、この画像は天正11年(1583)と推測される6月11日に徳川家康が出した文書です。署名の部分に「家康」と実名(諱・いみな)を書き、下にサインとして花押を据えています。「諱(いみな)」は「忌(いむ)」に「名(な)」で「忌名(いみな)」に通じるということで、通常、文書では実名(諱・いみな)を記すことは憚られるとされています。

飯田半兵衛尉宛徳川家康書状/ 飯田家旧蔵文書/ 国立公文書館デジタルアーカイブズ(画像を一部加工)
水色で囲った部分が家康の実名と花押、黄色で囲った部分が「従信雄御飛脚(のぶかつよりおんひきゃく)」

ですので、書簡の中に「家康」と実名が出てくる場合、これまでは「敵から侮蔑的に呼ばれているのでは」と解釈されることが多かった。ところが、最近の丸島和洋氏の論文「敢えて実名を記す―「二字書」という書札礼―」(『古文書研究』88、2019年)によると、まだ西日本を中心に調べた研究ではありますが、どうやら本文あるいは宛名に二文字の実名が書かれている場合には敬意を示しているのではないかという見解が述べられておりました。

その見解に触れられるのが、上記画像です。

一行目、和様漢文(わようかんぶん)で、さらにくずし字ですのでわかりにくいですけれども、「従信雄御飛脚(のぶかつよりおんひきゃく)」と読みます。

「信雄」は織田信長の子息・織田信雄で、実はこの時点において徳川家康の主君側の立場にありました。徳川家康は織田信長の家臣として存在しておりましたが、本能寺の変を経て豊臣(羽柴)秀吉と対立するこの時点にあっては織田信雄を主(あるじ)としていました。

そういった状況で、「織田信雄から飛脚(手紙を運ぶ使い)がやってくる」というのがこの一行目の意味になりますが、「信雄」というように主筋に対してそのまま実名=諱を使っています。しかし、織田信雄の飛脚に対しては「御」という字を使って、わざわざ織田信雄が主君であることを表現しています。

そのため、この文書も丸島氏の「本文、あるいは宛名に二文字が書かれている場合には敬意を示している」という見解に当てはまるのかもしれません。

このような最新の研究の成果を私たち考証担当は歴史ドラマに反映させたいと考えています。ただ、先ほども述べたように、これまでの歴史ドラマでは、敵意を表現するために書簡に実名を用いることがほとんどでした。そのため、最新の研究成果を踏まえて味方同士の書簡の中に実名を登場させた際に、「(実名=諱を使用するということは)この2人は敵同士だったのか?」と誤解されることもあり、ドラマへの没入感が損なわれる懸念があります。

だからこそ、視覚的な情報が持つ影響力の大きさを理解しながら、私たちは慎重に歴史ドラマの考証を行っています。

視聴者と歴史史料の架け橋に

最後になりましたが、古文書考証という役割は、やはりドラマへの没入感というものを考えていかなければならないという、歴史ドラマ制作側の発想から生まれたものと私は理解しております。

これまで申しましたように、高精細な画面から目に入ってくる文字も、やはり歴史への関心、興味を視聴者に訴えることはできる、それはもう間違いないことだと思います。その一方で、視覚情報にはその場で説明や注釈をつけることは出来ませんので、制作側が意図していない誤解や思い込みを生んでしまうこともあり得ます。考証作業はドラマへの没入感と歴史研究とのせめぎ合いの連続です。

特にくずし字で書かれた史料は非常に難解ですが、視聴者の側もWeb版「史料纂集」、「群書類従」に収録されている活字化された史料と歴史ドラマの中の文書を照らし合わせながら、理解を深めていくことが出来るはずです。そうすることで、視聴者に歴史史料に興味を持っていただけたらと思います。

連載最終回となる第5回目をお届けしました。Web版「史料纂集」「群書類従」に収録されている史料を活用いただくヒントになれば幸いです。

(デジタル情報営業部)

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