図版資料は、都市の景観、社会風俗、日用品などを視覚的に伝えるだけでなく、当時の集団的な無意識まで浮かび上がらせる貴重な資料です。歴史的な図版資料は日本でも多数発行されてきましたが、それを代表するのが「風俗画報」です。欧米の図版資料と「風俗画報」を比較することによって、一方の資料だけでは見えてこない部分が見えてくるかもしれません。
センゲージ ラーニング株式会社 Galeは、イラストレイテッド・ロンドン・ニュース(The Illustrated London News, 以下 ILN)に代表される欧米の図版資料をデータベース化して多数提供しています。この連載でご紹介している”The Illustrated London News Historical Archive”は、ILNの原紙をスキャニング、テキストをOCR処理を施し、フルテキスト検索を実現しています。様々な条件を設定して検索できるため、探している記事に容易にたどりつくことができます。キャプションを範囲指定して検索することもできます。図版はフルカラーで再現しています。ILN など欧米の図版資料と「風俗画報」を特定のテーマでご紹介する本企画では、これまで「万博博覧会」「起源・始まり」「災害・事故」についてご紹介してきました。今回は趣向を変え、結婚式を取り上げます。
ILNの結婚特集と国家の威信
ILNはイギリスの国家的イベントを大きく取り上げてきました。それを代表するのが万国博覧会です。当時の世界最先端の技術や文物を展示した万国博覧会は、イギリスの国家としての威信を高める役割を持っていたはずです。ILNの万博報道は、出来事を克明に報道すると同時に、イギリスの国家的威信を内外に誇示する機能も持っていました。
当時のイギリスにとって万博と同じく重要な国家的なイベントに国王の即位式や王族の結婚式があります。ILNは王族の結婚式の特集を組み、報道しました。イギリス国内だけでなく、外国の国王、皇帝、皇太子らの結婚式に対しても同様でした。ヨーロッパの王族は婚姻関係で繋がっているということも一因だったと思われます。
以下では、3人の国王、皇帝の結婚式の記事を紹介します。イギリス国王ジョージ5世、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世、ロシア皇帝ニコライ2世。3人はともに第一次大戦のときの英独露の元首です。本来は、ILNにとってのシンボル的な存在だったヴィクトリア女王の結婚式を取り上げたいところですが、ヴィクトリア女王の結婚はILN創刊の2年前であるため、ILNに記事は存在しません。
イギリス国王ジョージ5世の結婚式
後のイギリス国王ジョージ5世(結婚当時はヨーク公ジョージ)はヴィクトリア女王の孫です。
ヨーク公ジョージとメイ(メアリー)・オブ・テック (July 15, 1893)
左:バッキンガム宮殿での結婚披露宴 (July 10, 1893)
右:ヴィクトリア女王に挨拶する新婦メアリー (July 15, 1893)
左:セント・ポール大聖堂前を通過するロイヤル・カップル一行 (July 15, 1893)
右:結婚を祝う『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』社屋 (July 15, 1893)
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の結婚式
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世(結婚当時はフリードリッヒ・ヴィルヘルム王子)はドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の孫で、ジョージと同じくヴィクトリア女王の孫です。
フリードリッヒ・ヴィルヘルム王子とシュレスヴィッヒ・ホルシュタイン公国の公女ヴィクトリア (March 5, 1881)
ベルリンのベルビュー宮殿での結婚式 (March 5, 1881)
ブランデンブルク門を通過する新郎新婦を乗せた馬車 (March 5, 1881)
ロシア皇帝ニコライ2世の結婚式
ロシア・ロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世の結婚式です。二コライ2世は、ジョージ5世とは母親が姉妹であったため従兄弟の関係にあり、皇后のアレクサンドラが従兄妹の関係にあったヴィルヘルム2世とは義理の従兄弟の関係にありました。
ニコライ2世と皇后アレクサンドラ・フォードロヴナ(December 1, 1894)
ペトロパブロフスク聖堂で聖水によって祝福を受けるアレクサンドラ (December 8, 1894)
冬宮の礼拝堂に向かうニコライとアレクサンドラ (December 8, 1894)
冬宮の礼拝堂でロシア正教会大主教を前に皇帝と皇后の冠を戴くニコライとアレクサンドラ (December 8, 1894)
ウェディング・ケーキ
最後に、結婚式に欠かせないアイテム、ウェディング・ケーキの挿絵を2点ご紹介します。
人の背丈の2倍ほどのウェディング・ケーキ(左図)は、現在のエリザベス女王がまだ王女であった1947年に結婚した際、披露宴で入刀したウェディング・ケーキです。王女には12のウェディング・ケーキが贈られましたが、そのうち実際に披露宴で使われたのは、マクヴィッティ・アンド・プライス社のものでした。入刀の際にV字形のケーキを引き出すことができるよう、あらかじめ入刀部分に切り込みが入れられ、リボンが添えられました。4段状のケーキは高さ9フィート、重さ500ポンドで、銀の柱で支えられ、エリザベス王女とフィリップ・マウントバッテン中尉の紋章で装飾が施されたほか、バッキンガム宮殿、ウィンザー城、バルモラル城を描いた砂糖製プラーク(記念版)も添えられました。
右の図は、エリザベス女王の結婚式の約90年前、1858年イギリス王室とドイツのプロイセン王室の婚姻の際に作られたウェディング・ケーキです。現在のものとは形状が大分異なりますが、上方に向かって段上になっているところは、現代のウェディング・ケーキの起源を思わせます。一説によれば、クリスマスツリーは王室から一般大衆に普及したと言われています。現在のウェディング・ケーキもイギリス王室から普及したのかもしれません。
左:王女エリザベスのウェディング・ケーキ(November 22, 1947)
右:ロイヤル・ウェディング・ケーキ(February 6, 1858)
ILNは、現代人になじみのある様々なモノの歴史的由来を探る上で、興味深い記事や挿絵を提供しています。
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