これからの学び

学術書は世界を救う【中編】―紀伊國屋書店電子書籍セミナー2017〈京都会場〉より―

2017.11.10

そこでレジュメの3番目になるのですが,本はどういう役割を果たすのか,学術コミュニケーションにおける本の位置を再定義し本にはどういう意味があるのか,示すべきときが今だ,という話です。

簡単に言えばジャーナルというのは,同業者の間でのコミュニケーションのメディアです。一方,本はもともと同業者以外に向けて発信するものでした。私ども京都大学学術出版会の場合,少なくとも初版は1000~1500部とするのですが,たとえば日本史で言えば,1000,1500というと,多分同じ時代,同じ対象を研究している,いわば狭義の同業者の人数の3~4倍かそれ以上に該当するでしょう。つまり自分の同業者と違う人に向けて本を書かなければ,商売としても成り立たないし,本にした意味もない,という事が言えると思うんです。

そういう専門を超えた対話,あるいは知の社会的基盤を作るものとしての本が,もともとはあった。ただ今は実際どうかというと,結構怪しいものです。その怪しい状態を作っているのが,先ほど言ったような学位論文をそのまま右から左に流してしまう,我々出版社ではないか。そこに私は危機感を持って,一昨年『学術書を書く』という本で,どういう本が今求められているのか,どういう書き方をすれば良いのか,という事を研究者と出版関係者双方に向けて書かせて頂きました。

実際私どものところで売れているものを見ると,こういう本があります。

これは,文化人類学と生態人類学と霊長類学の3つの分野の方々が,それぞれのタイトルになっている,それこそ「大きなテーマ」で対話をした本です。そこでは,極力思弁を排して,各自の実証的な研究データに基づきながら「大きなテーマ」を見たらどう見えるのか,という事を議論しています。もともとシリーズにするつもりはなかったんですが,ずっと同じ研究グループをお手伝いしている間に1冊,2冊3冊…とどんどん出来てしまって,しかもそれが結構好評だったものですから,英語にもしようという事で,すでに『集団』と『制度』は,オーストラリアのTrans Pacific Pressという社会学系の出版社との共同で英文出版し,今3冊目(『他者』)も英文書にしている最中です。

集団・制度・他者という,人文学の最も大きな問いと言ってよいテーマに向けて議論をする中で,自分の個別研究も見直していくという営みは,文字通り専門を超えて関心を呼び,おかげさまで人類学の本は売れない,と言われていますが,これらの本はいずれも増刷(『集団』『制度』)あるいは,それに近い(最新刊の『他者』)状態です。

一般誌の書評にも載ったりしていますが,面白いのは,ネット上に載ったレビューに広告業界の人がこれを読んだというのがありました。「人間とはなんだ」という事と,「広告の対象としての人間」という問いがとてもよく一致するという事らしいのですが,そういう意味ではまさに「越境する」本だったと思います。

こういう本をどうやって作るのか,なかなか簡単な事ではありません。実際それには方法論が必要なのですが,私はまず「二回り外,三回り外の専門家」に向けて書こう,という言い方で読者の措定から始めよう,と言いました。つまり誰に向けて,というのを,簡単に「一般」とするのではなく,あるいは漠然と「皆」にするのではなく,「自分の専門とは違う専門家」に伝えましょう,という風に設定しようとうことです。そうするとどういう書き方にすればよいか,とても明確に定まってくるんですね。その少し詳しい方法論を本にもさせて頂いた訳です。

ところでこの「二回り外,三回り外に向けて書く」というのは,実は「他の専門の話を知る」という事でもあるんですね。一番最初に申し上げた「たこつぼ化」した研究の中で,自分の同業者との間でのコミュニケーションをしていくだけでは,他の専門の人たちが何に関心を持っているか,という事は全く見落としてしまう。『学術書を書く』という本の一番最後のメッセージは,「学術書を書く,という事は,学術書を読む,という事ではないでしょうか」という風に終わっていて,実は次は『学術書を読む』という本を書こうと思っています。そういう本を通じて,大学とは,学問とは,何をする存在かということを,「誰に何を伝えるか」という視点から根本的に問い直したいと思っているわけです。私が図書館の方と協同して色んな取り組みを始めたのも,そうした思いからでした。

その際のヒントになったのが,ここにある「Physics for Future Presidents」という,MullerというUC Berkeleyの先生が10年間ほど続けた運動,名物講義なんですね。

Future Presidentsですから,将来会社の社長や大統領になる人,つまりビジネススクールのやロースクールの学生さんたちに向けて,実はあなたたちが将来そういう立場になった時に何が一番必要かというと,物理のセンスなのだ。例えば戦争という事を考えた時,あるいは核をどう止めるかという時に,その根本的な原理や問題点を知らなかったら,多分大声を上げて「ミサイルを潰すんだ」と言うだけになってしまうわけです。

Mullerはそういう名講義をずっと行なってきたんですけれども,私は非常にこれは大事だなと思いました。つまり専門化というのは避ける事は出来ないんですね。これは企業でも組織でも皆そうなんですけれども,どうしてもスペシャライズになってしまう。その時に異なる文化を知る,というセンスが大事だということをあえて誰かが言ってあげないといけない,そういう教育をしないとだめだという事だと思うんです。

文科省は「知識基盤社会」なんて話をするんですけれども,その中でもいわゆる幅広い知識と言っています。言いながらも教養部はなくなっちゃうし,大学はますます専門化するし…となってしまうんですけれども,それなら自分達でやってみようじゃないか,という事で,取り組みを始めました。

その一つの取り組みが,ここにある「専門外の専門書を読む」というトークイベントと,それに続く読書会です。京大附属図書館のラーニングコモンズのオープンにあわせて,何かイベントが出来ませんか?と求められて,ご提案しました 。

トークイベントでは佐藤文隆先生と山内昌之先生に来て頂いた訳ですが,学生さん,私はこんなに来ると思わなかったんですが,100人くらいの学生さんが来ました。ラーニングコモンズは狭いんですよね,あまり広くないから50人くらいでいいんじゃないかな…と思っていたら結構来ちゃったんですけれども,お二人の話を聞いて,「京大に入って初めてこんなに楽しい授業を受けました」という院生もいた。そこでこれをきっかけにしようということで,その場で「専門外の専門書の読書会をやりませんか」と提案しました。つまり文系の人には理系の,理系の人には文系の,という読書会ですね。やってみるとこれが非常に面白かった。贅沢な読書会になりまして,例えば文系のための理系の本には,佐藤先生の『アインシュタインの反乱と量子コンピュータ』という御著書を,佐藤先生ご自身がチューターになってやる。これはもうノーベル賞をいつ取るか,という先生に直接教えてもらうんですから,学生は大変喜びます。

その時感じたのが,学生さんは,自分が専門外の素養を身につけていない事を決して良しと思っていないんですね。これは本当に驚いたんですけれども,京大文系の学生の物理未履修って多いんですよ。高校時代に物理をやっていない。もっとひどいのは,歴史って一回もやったことないんです,と言う理系の学生さんがいた。聞いてみると大体中高一貫校なんですね。中高一貫校って,中学課程の理科を高校課程の単位に読み替えているらしい。これは実は文科省が問題視した「高等学校必履修科目未履修問題」というやつなんですけれども,そういう子が実際京大にも来ているんだな,と私はびっくりしましたが,決してその学生さんたちは,それを良いと思っていない。一種の劣等感,コンプレックスになっている。だから今学びたい,というのがあるんです。

この半年続けた読書会に私は臨席していて,これは本当に感激して,写真に撮れたらなあと思うシーンがありました。文系のための理系の読書会なんですが,先ほど,トークイベントの会場で「京大に来て一番面白かった」と発言してくれた院生の方が,一生懸命調べてきて30分くらい発表するわけですね。それを聞いていた佐藤先生が,「うん,よく調べたな。でもな,君,今アインシュタインの光量子論を,標準理論の中で意味づけたよね。当時標準理論なんかなかったんだぜ。」と言うんですね。

これはどういう事かというと,要するに,ある業績を今の時点から意味づけては「勝ち組の歴史観」じゃないか。つまり当時はそんな事をアインシュタインは考えていたのではない,あるいはアインシュタインと同じ時代の物理学者は「標準理論」なんて意識してはいなかった。ではそういう時代の中でなぜその業績が出てきたのか。それを考えるのが歴史学なのに,今の時点からあれはこうなんだ,という風に言うのは,「勝ち組の歴史観」じゃないか,と。

こう佐藤先生が言われた時,実はこの院生自身歴史系の研究をしている人だったんですけれど,その場にいた10人くらい,さーっと顔色が変わったんですね。つまり,人文社会系の学生さんたちが,理系の先生に言われて,まさに蒙を啓かれた。そういう瞬間があったんです。私は,この一瞬を彼らが実際に研究者あるいは実務家になった時に,どういう人になるのかなと非常に楽しく見させて頂きました。

そういう「専門外の専門書を読む」という事を,学術書を通じてやってみたらどうか。川崎さん(※武庫川女子大学 図書課長 川崎安子氏)のお話の中にもそういうのが少し出てきたと思うのですが,「専門外の専門書を読む」を起点にして,色々な本を使って知を再構築していけたらと思っています。

最近始めたのはこういう取り組みです。我々も協力しているのですが,京大の学術支援室の方が「京大新刊情報ポータル」というサイトを作りました。京大の先生方はどんな本を書いているのか,新刊の調査をされてそれを出版社の協力も得て毎週更新して紹介するのですが,これが非常に面白いんですね。

一つは,驚きがある。先生方はこんなにもたくさんの本を書いているのか,という驚きがありました。もう一つは,先生方同士の交流がある。あなたこんな本書いたの?と。先ほどの話の中で,知の交流,というのがありましたけれども,本を示す事でそういう場が生まれるんですね。これはやっぱり雑誌論文ではだめなんです。学術雑誌では同業者のものしか見えないから。そういう意味では,いい取り組みを始めて頂いたなと思いますが,こういうお手伝いもしています。

 

(京都大学学術出版会 専務理事・編集長 鈴木哲也)

 

【後編】に続く

 

※本稿は、「紀伊國屋書店電子書籍セミナー2017〈京都会場〉―本当に使われる電子図書館とは―」(2017年10月17日)におけるご講演の一部である。【前編】はこちら