人文社会系研究

Web版「群書類従」活用法第2弾『聖徳太子はいつ生まれたか』

2019.11.15

日本研究に必携の一大叢書「群書類従」(全133冊、3750書目)をデジタル化し、2014年10月に ジャパンナレッジ電子書籍プラットフォームで配信を開始した【JKBooks群書類従(正・続・続々)】。

古代から近世末期まで、歴史・文学・宗教・言語・風俗・美術・音楽・遊芸・教育・道徳・法律・政治・経済・社会・その他各分野にわたる全書目を分類収録し、日本文化を研究するうえで基本図書となる一大叢書のデジタル版公開5周年を記念し、改めてその魅力をご案内します。
第2弾の今回は四国大学文学部日本文学科田中智子先生による活用法のご紹介です。

Web 版群書類従について

『群書類従』の版木が完成したのは文政2 年(1819)のことである。爾来約200 年の間、『群書類従』は文学・歴史学など様々な研究分野に多大な影響を及ぼし続けてきた。更に、2014 年10 月にWeb 版のサービスが始まったことで、『群書類従』利用の利便性は飛躍的に高まったといえるだろう。

なかでも、全文を横断検索できるようになったことと、自宅や喫茶店などどんな場所でも群書類従を利用できるようになったことの二点がもたらした便益は大きい。本コラムではこのうち特に前者の、全文検索の活用法に関して、一利用者の声をお伝えしたい。

今回の調査のテーマ

今回調べたのは、聖徳太子(厩戸皇子とも)の母穴穂部間人皇女が、「12 か月もの妊娠期間を経て太子を出産した」との逸話がどのような文献にみえるかについてである。以前聖徳太子に関する本を読んだ際に当該の逸話を知り、「この話の典拠はどこにあるのだろうか」との素朴な疑問を抱いたことがテーマ設定のきっかけとなった。

and・or・not 検索の活用

「聖徳太子の母が妊娠12 か月で太子を出産した話」のような複雑な記述を探し出すには、「詳細(個別)検索」で、and・or・not 検索の機能を活用する必要があろう。その際、どのような検索ワードを組み合わせて入力するかが勘所となるが、ひとまず〈聖徳太子or 厩戸皇子〉で検索してみたところ、220 件もの結果がヒットした。220 件すべてに目を通すのは容易でないので、もう少し絞り込みをかけたいところである。そこで、「聖徳太子」または「厩戸皇子」に加えて、「十二月」の語が共に用いられている記述を探してみることにした。

ここで、検索の際のちょっとしたテクニックをご披露したい(実際には「テクニック」というほどのものでもないのだが、恥ずかしながら稿者は、最近までこの検索方法を知らなかった)。このような検索を行う場合、今まで稿者は、まず〈聖徳太子 and 十二月〉と検索し、その後一度検索結果をリセットして新たに〈厩戸皇子 and 十二月〉と検索してきたのだが、〈聖徳太子 or 厩戸皇子 and 十二月〉と検索をかければ、なんと両者の検索結果を一度に合わせみることができるのである。検索を二度行う手間が省けるうえ、用例の分布の全体像を概観できて大変便利だ。

さて、上記のように検索をかけたところ、検索結果は37 件であった。そのうち、当該の逸話に関する記述を有する文献は以下の4 つである。

①南岳大師。聖徳太子。弘法大師。此三人権者経十二月有御誕生。
( 『八幡愚童訓 類従本』p397(『群書類従1 神祇部13』))

②敏達元年正月晦日夜金色聖僧来……飛入后御口夢御覧而懐妊御坐……十二月不生……十三月申敏達二年正月一日。后厩戸頭有御出。不覚太子御誕生成給。即号聖徳太子。
(『善光寺縁起』p156(『続群書類従28 上 釈家部99』))

③元年正月一日聖徳太子生給……御母宮中ヲ遊歩ヒ給ヒシニ。御厩ノ前ニテ聊覚サセ給事モナクテ俄生サセ給ヒシ也。十二月成ラセ賜ケル。
(『神明鏡 上』p105(『続群書類従29 上 雑部2』))

④此帝御宇二年癸巳正月朔日聖徳太子御誕生……正月朔日母后仮染ニ厩ニ至リ給ニ覚ス而御誕生……此ニ至テ十二月也。
(『神皇正統録』p13(『続群書類従29 上 雑部1』))

検索ワードに注意!

ただし、上記の検索法によって、当該の逸話を載せる文献のすべてを網羅できたとは限らない。というのも、「聖徳太子」については「上宮太子」などの別称が用いられている可能性があるうえ、12 か月を意味する語として「十二月」以外に「十二ケ月」「十二箇月」「十有二月」などの表記・言い回しが用いられている可能性もあるからである。この点には充分な注意が必要で、見落としのないよう、様々なワードで検索をかけてみなければならないだろう。
そこでいくつかのワードの組み合わせを試してみたところ、更に以下のような文献がみつかった。

◇検索ワード 〈太子 or 厩 and 十二ケ月〉
⑤当知上宮太子降誕吾国……欽明天皇三十二年辛卯正月朔甲子夜。妃夢有金色僧……始知有脤也。敏達天皇元年壬辰正月一日。至厩下。不覚有産。惣経十二ケ月而已。
( 『東大寺八幡験記』p232(『続群書類従3上 神祇部64』))

◇検索ワード 〈太子 or 厩 and 十二箇月〉
⑥后夢有金色僧……自此以後始知有脤(〔娠歟〕)。経十二箇月。后巡宮中。至于厩下。不覚有産。
(『上宮聖徳太子伝補闕記』p335『群書類従5 伝部1』)

⑦元年壬辰春正月一日。妃巡第(( 宮イ))中。至于厩下。不覚有産。惣経一十二箇月矣。入胎正月一日。開誕亦正月一日。
(『聖徳太子伝暦 上』p3(『続群書類従8 上 伝部1』))

聖徳太子はいつ生まれたのか

以上、聖徳太子の母が12 か月の妊娠期間を経て太子を出産した(ただし②のみ13 か月とする)との逸話に関する記述が、合わせて7 件みつかった。興味深いのは、①~⑦を見比べると、受胎と出産の年月日が文献ごとに異なっていることである。

紙幅の都合上詳述は避けるが、⑦の『聖徳太子伝暦』が「古い太子伝の中で最も整備されたもので、後世の太子伝には、これを史料あるいは典拠としたものがすこぶる多い」(Web 版群書類従の書誌情報)ことや、⑥を除く他の文献は成立年代が下ること(各文献の成立年もWeb 版群書類従の書誌情報から参照可能)を勘案すれば、受胎を欽明天皇32 年正月1 日、出産を敏達天皇元年正月1 日とする⑦や⑤の記述が比較的古い時代の伝承を留めるものと考えられる。

ただし、上記の伝承はいずれも、史実としての聖徳太子の生年月日とは一致しないようである。「ナレッジサーチャー」(群書類従のテキストをドラッグすれば、ジャパンナレッジ所載の辞書等の記述を即座に参照できる機能。これも最近知ったのだが、本当に便利なのでぜひ多くの人にご活用いただきたい)を利用して『国史大辞典』の「聖徳太子」の項目(坂本太郎執筆)を参照すると、

「太子の生誕の年については古来諸説があるが、没年が推古天皇三十年二月二十二日というのは……動かしがたく、享年四十九に疑わしいところはないので、それから逆算して敏達天皇三年をとるのが定説である。」

と指摘されているが、そうだとすれば、聖徳太子の生年を敏達天皇元年とする③・⑤・⑦も、2 年とする②・④も、共に史実とは異なる記述ということになる。
正月1 日に生まれたとの記述も史実に基づくものではないと思われる。おそらくは、聖徳太子のような偉人にいかにもふさわしい生誕の月日として、このような伝承が生じたものではなかろうか(なお、聖徳太子の生年に関しては『扶桑略記』、『本朝皇胤紹運録』、『上宮聖徳法王帝説』他にも記載があるが、ここでは割愛する)。

<ナレッジサーチャーの使用例>

①調べたい語を検索

②資料の詳細を表示

③テキスト欄を表示

④検索メニューからナレッジサーチャー(KnowledgeSearcher)を選択

⑤テキストから知りたい語をドラッグして検索

絞り込み検索の落とし穴

なお、今回絞り込み検索をかけた際におかしてしまった失敗にも触れておきたい。実ははじめ、〈聖徳太子 and 十二月〉で検索をかけ、36 件がヒットしたのだが、これに更に絞り込みをかけようとして〈not 年十二月〉のワードを追加した。というのも、今回調べたいのは、「12 か月」という期間を表す語としての「十二月」なのだから、暦月を示す「~年十二月」を含む検索結果は除いてもよいだろう、と考えたのである。

そこで改めて〈聖徳太子 and 十二月 not 年十二月〉と絞り込み検索をかけたところ、20 件の結果がヒットした。検索結果が約半数に減ったので、我ながらうまく絞り込んだものだな、と満足していたのだが、そこに落とし穴があった。なんと、〈not 年十二月〉の条件によって、先掲の①の記述までもが排除されてしまったのである。①をもう一度掲げよう。

①仲哀天王九年十二月十四日也……南岳大師。聖徳太子。弘法大師。此三人権者経十二月有御誕生。

①の文献の同頁には、聖徳太子に関する記述と無関係の箇所に「仲哀天王九年十二月」の文言があり、それゆえ、〈not 年十二月〉の条件を追加することで、当該の記述が検索結果から除かれてしまったらしい。この失敗をうけ、not 検索を用いる際には注意が必要であることを改めて肝に銘じたのであった。

Web 版群書類従の検索システムのもつ広がり

本コラムでは詳しく触れられなかったが、群書類従の検索システムを用いる大きな利点の1 つは、検索結果を通じて、更に新たな発見がある場合が少なくないことだと思う。例えば今回の調査では、検索の過程で、藤原鎌足・徳川家康・弘法大師・無関普門・夢窓疎石などについても、12 か月の妊娠期間を経ての出産という逸話がみられることがわかった。これは、偉人の出生譚の1 つの類型といってよいだろう。

また、②の記述をみて気づいたことであるが、聖徳太子の母の妊娠期間を12 か月ではく13 か月とするパターンも存するようである。これはおそらく、月数を「満」と「足掛け(数え)」のいずれで数えるかに起因する違いと思われるが、伝承にこのような小異が生じている点も実に興味深い。なお、13 か月の妊娠期間を経て誕生したとの逸話を他にも調べてみたところ、夢窓疎石・龍山徳見・水谷蟠龍・応神天皇などにもそのような伝承があることが明らかになった。

Web 版群書類従は、特定のテーマや課題について検索・調査するのに最適のツールであるが、そればかりではなく、新たな研究のアイデアを発掘するためにも極めて有用であることを、改めて感じている。今後もWeb 版群書類従を大いに活用していきたく思う。

田中智子(たなかともこ)
1988 年 徳島県生まれ
2011 年 東京大学文学部 卒業
2017 年 東京大学大学院 人文社会系研究科 博士課程 単位取得満期退学
2017 年 四国大学文学部 助教

〔主な論文〕
「述懐歌の機能と類型表現―『毛詩』「鶴鳴」篇を踏まえた和歌を中心に―」
(『むらさき』51、2014 年12 月)
「源順の大饗屏風歌―古今和歌六帖の成立に関連して―」(『國語と國文學』92-2、2015 年2 月)
「曾禰好忠のつらね歌」(『和歌文学研究』111、2015 年12 月)

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※この記事は八木書店作成のWeb版「群書類従」紹介パンフレットに掲載されたコラムに加筆・修正を加え再掲載したものです。