ローマ教皇庁布教聖省から上梓されたコプト語研究書Prodromus Coptus と、コプト語、ラテン語、アラビア語によるコプト語文典と辞書Lingua Aegyptiaca Restitutaの二点の合本をご紹介いたします。17世紀前半のキルヒャーによるこれらのコプト語研究が、二世紀後にシャンポリオンのヒエログリフ読解の重要な鍵となったことも知られている貴重な書物です。
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—以下、「紀伊國屋書店 古書目録 2020」より—
キルヒャー《コプト語先駆・エジプト語復元》初版
KIRCHER, Athanasius. Prodromvs coptvs sive ægyptiacvs.
In quo cùm linguæ coptæ, siue aegyptiacæ, quondam pharaonicæ, origo, ætas, vicissitudo, inclinatio; tùm hieroglyphicæ literaturæ instauratio, vti per varia variarum eruditionum, interpretationumque difficillimatum specimina, ita noua quoque & insolita methodo exhibentur. Romæ, typis S. Cong. de propag. fide, 1636.
[Bound with:]
Lingva aegyptiaca restitvta opvs tripartitvm. Quo lingvæ coptæ sive idiomatis illivs primæui ægyptiorum pharaonici, vetustate temporum pæne collapsi, ex abstrusis arabum monumentis, plena instavratio continetur. Cui adnectitur svpplementvm earvm rerum, quæ in Prodromo copto, & opera hoc tripartito, vel omissa, vel obscurius tradita sunt, noua, & peregrina eruditione contextum, ad instauratæ linguæ vsum, speciminis loco declarandum. Romae, sumptibus Hermanni Scheus, apud Ludouicum Grignanum, 1643.
¥1,430,000
4to, two works bound in one; pp. (24), 338, (2) Oratio dominica aegyptiace and errata; leaves (7), 1-32, pp. 33-622, (1) colophon, (1) blank, (54) index, (2) Ad arabicae linguae pertium lectorem, (8) errata, with an engraved title-leaf (imprint dated 1644); woodcut coat of arms of Cardinal Francesco Barberini on the title to the initial work, woodcut initials, typographical and woodcut ornamental pieces, some woodcut illustrations in text of the first work and another in the second; occasional light staining by damp confined to the margins, sporadic mild browning, Prodromus with a few tiny round wormholes to lower margin (growing to a short slim ditch in gathering S, not affecting text) and with its upper margin lightly frayed and soiled in outer leaves of gathering 2N (a small piece torn and repaired on 2N4, no loss of text), a tiny piece missing from upper corner of the engraved title to the second work (marginal, restored); overall a very good copy bound in contemporary vellum on boards, manuscript title to the spine, covers lightly dustsoiled and marked, spine darkened, hinges partly cracked but sound; a few ownership inscriptions to the title of the first work (dated 1720 and 1761), occasional manuscript marginalia and scoring. De Backer-Sommervogel IV. 1047 and 1049 (Nos. 3 and 7); Dünnhaupt III. 2329 and 2331-2 (Nos. 3 and 6); Merrill 3.
イエズス会士アタナシウス・キルヒャーによるコプト語研究二点の合綴本。そのエジプト研究の起点を示す著作であると同時に、ヨーロッパにおけるコプト語理解に先鞭をつけた重要な業績です。
すでに死語と化し、今日コプト正教会の典礼でのみ使われるコプト語は古代エジプト語の最終段階とされ、その言語学的な再構に大きな価値を持つものとして知られています。近代初期のヨーロッパにおいては未知の言語であったコプト語を古代エジプト語の末裔と位置づけ、積極的な意義を見出したのはキルヒャーの功績でした。
とはいえコプト語に注目し、本格的な研究を試みたのはキルヒャーが最初ではありません。1626年約十二年に及ぶ東方への旅を終えたピエトロ・デラ・ヴァレが将来した数多くの貴重な東洋語写本のなかに、コプト語辞典が含まれていました。すでにコプト語写本はわずかながら西ヨーロッパに伝わっていたものの辞書無しには為す術もなく、当時自然科学・人文学のパトロンとして大きな影響力を持っていたエクス=アン=プロヴァンスのペレスクは、コプト語の知識を文芸共和国にもたらすべく辞典の翻訳・刊行を目指してデラ・ヴァレと交渉します。しかしヴァレはその翻訳をフランシスコ会士トマソ・オビチーニの手に委ねました。アラビア語のみならずシリア語、ペルシャ語にも習熟したオビチーニはまさに適材というべきでしたが、1632年十一月に死去し、翻訳も未完のまま残されました。ペレスクから重ねて辞書原本を請われたヴァレの前に登場したのがキルヒャーです。
1633年ウィーンの数学教授に任命され、アヴィニヨンを出立したキルヒャーは地中海で幾度も嵐に阻まれたすえ十一月初めローマにたどり着きます。彼のヒエログリフやアラビア語に関する学識を評価した枢機卿フランチェスコ・バルベリーニはイエズス会学院の教授職を与えて厚遇し、デラ・ヴァレも翌年一月オビチーニの残したコプト語辞典の翻訳続行を依頼したのでした。アヴィニヨン在任中面識のあったペレスクはキルヒャーの博識を評価しながらも、学問的な批判精神の欠如に危惧を抱いていたため、彼がコプト語を手懸けることに対しては強い不満を隠せませんでした。ペレスクは自らコプト語辞典の写本をレヴァントから購入し、その翻訳をサルマシウス(クロード・ソメーズ)に任せて密かに競わせますが、キルヒャーの Prodromus が上梓された翌年ペレスクはこの世を去り、サルマシウスの翻訳も完成には至りませんでした。
1636年に布教聖省から上梓され、枢機卿バルベリーニに献呈された Prodromus Coptus は九章からなるコプト語研究。「コプトの語源」につづく「コプト人の習俗」と「コプト教会典礼の他国語への翻訳」では祈りの言葉がコプト語、エチオピア語のみならず、翻字・翻訳や註解とともに列挙され考察の対象となっています。第四章では長安でイエズス会士が発見した景教碑について詳細な報告を示しつつ、コプト・エチオピア教会が中近東からはるか彼方のインド、中国にまで布教をすすめていたとし、宣教師がアジア開拓のために通った経路を推察しました。キルヒャーはエジプトが遠隔地におけるキリスト教の伝播を担ったばかりでなく、同じ経路を通じて世界中に邪教を広めた淵源となったとみなしています。第五章ではコプト語こそ真正な古代エジプト語だと論じ、コプト語の神名を考察した第六章につづく第七章ではギリシャ語との親近性を語彙面から立証しています。「コプト語の有効性」に関する第八章はオビチーニがシナイ山で発見した(今日では贋作と推定される)碑文を解読する試み。最終章はキルヒャーのヒエログリフ解読手法を説明したもの。巻末 (pp. 281-332) には古典的な文法概念に基づいてコプト語を解説した簡略な文法が付されています。
七年後に刊行された Lingua Aegyptiaca Restituta はコプト語の文典と辞書。原典はアラビア語によるコプト語辞典、頁の左半分にコプト語、右にアラビア語という配列から「梯子」 sullam と呼ばれ、さらにアラビア語の文法用語を使った文法が序論 muqaddimahとして加えられた形態の写本が流布していました。キルヒャーの原本も同様で、西暦十四世紀初めのもの (Cod. Vat. Copt. 71)。この写本にはまず十三世紀に成立した五種の「序論」、すなわちアンバー・ユーハンナー・アルサマンヌーディー、イブン・カーティブ・カイサル、アルアサド・アブー・アル・ファラージ・イブン・アルアッサール 、アル・ワギー・ユーハンナー・アル・カリュービー、アル・ティカー・イブン・アド・ドゥハイリーの五人の文法書が含まれていましたが、キルヒャーは最初の二つのみを採録・翻訳しています。続く辞書はイブン・カバル(アブー・アル・バラカート)の Al-Sullam al-Kabir (Scala Magna) と、アル・ムタマン・アブー・イシャーク・イブラーヒーム・イブン・アルアッサールの Al-Sullam al-Muqaffa wa-al-Dhahab al-Musaffa との二種。いずれも重要な辞典として知られ、キルヒャーも両方にラテン訳を加えました。刊本では左からコプト語、ラテン語、アラビア語の順に配列されています。なおトマソ・オビチーニの手がけた「梯子」の翻訳手稿も現存しており (Cod. Vat. Borg. Lat. 769)、文法はアンバー・ユーハンナー・アルサマンヌーディーとアルアサド・アブー・アル・ファラージ・イブン・アルアッサール、それにアル・ワギー・ユーハンナー・アル・カリュービーの三種ですが完成したのは最初の一つだけ、また辞書もイブン・カバルの一部分のみで未完。
キルヒャーは自らのコプト語研究をもって古代エジプトの歴史を理解し、ヒエログリフ解読の資となるものと考えていました。それは Prodromus 第九章や、同書の末尾に彼が直後に取り組む大著 Oedipus Aegyptiacus (1652-4) の計画が呈示されている点にも伺われましょう。彼の想像力溢れるヒエログリフ「解読」が結局のところ成功に至らなかったことは広く知られていますが、キルヒャーのコプト語研究が二世紀後シャンポリオンの解読を導く重要な鍵となったのも事実です。キルヒャーの著書を通じてコプト語を学んでいた彼は、コプト語の単音接尾人称代名詞からヒエログリフの表音文字としての性格を類推することができたのでした。パリ国立図書館にはシャンポリオンのLingua Aegyptiaca Restituta手沢本が現存します (X.1864)。
これらの著書で用いられたコプト語活字は布教聖省が製作したもので、1630年頃活字見本帳が印刷されています (Smitskamp 194)。八頁の見本帳は、ボハイラ方言のアルファベットとそのコプト語での読み方、ローマ字転記を列挙し、さらに発音に関する注などを加えており、オビチーニが活字製作も含め監修にあたったものでしょう。キルヒャーの二つの著書はこの活字を用いて印刷した最初の本格的な刊本となりました。
ゾンマーフォーゲル、デュンハウプトのいずれも Prodromus Coptus のタイトル頁について二種のヴァリアントを区別しています。その木版ヴィニェットが献呈者である枢機卿バルベリーニの紋章となっているものと、イエスが弟子へ布教を促す長方形の木版画が飾られるものとがあり、上掲本は前者。なおこの二種に加えて、刊記の印刷者がロドヴィコ・グリニャーニに変更されているものも存在することが知られます (cf. Daniel Stolzenberg ed., The Great Art of Knowing, p. 149)。この第三のヴァリアントのヴィニェットもバルベリーニの紋章。ただし布教聖省発行本のそれとは版木を異にし、タイトルの活版文字の組版も異なります。恐らくは Lingua Aegyptiaca Restituta 刊行後、残部を再発行すべくタイトル葉が差替えられたのでしょう。
二巻いずれも稀覯、ことに Lingua Aegyptiaca Restituta はゾンマーフォーゲルの言によれば「キルヒャー神父の著作の中でも最も稀覯なものの一つ」。同時代のヴェラム装、余白にわずかな虫損や汚れなどは見られますが、保存状態は良好。
(学術洋書部)