江戸時代の日本の地理・政治・社会・文化・商業そして主としてオランダから見た日本の対外関係を記した書物3点と、17世紀前半のオランダ東インド会社の北東日本の探検および初期の中心人物の伝記をご紹介いたします。
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- メイラン《日本》初版 1830年
- アッセンデルフト・デ・コーニング《日本滞在記》初版 1856年
- シェイス《日本開国へのオランダの努力》初版 1867年
- リューペ編《フリースの北東日本探検》初版 1858年
- ファン・ダイク《ファン・ベルヘムの六年間》初版 1858年
フリースの北東日本探検
—以下、「紀伊國屋書店 古書目録 2020」より—
メイラン《日本》初版
MEIJLAN, Germain Felix. Japan. Voorgesteld in schetsen over de zeden en gebruiken van dat ryk, bijzonder over de Ingezetenen der stad Nagasaky. Uitgegeven door Mr. J. H. Tobias. Te Amsterdam, bij M. Westerman & Zoon, 1830.
¥880,000
8vo, pp. (12), 190; with engraved title-leaf (vignette coloured by hand) and two folding leaves of aquatint plates; complete with the initial and the last blank leaves, the initial blank partly trimmed; light foxing to the aquatint plates, faint waterstaining towards the end (visible at lower margin of the second folding plate, just touching the image); a very good sound copy in half sheep on marbled boards of early twentieth-century, leather title label to the spine, rubbed, worn along extremities, some cuttings from newspapers (browned) mounted on the initial flyleaves. Pagès 523; Cordier BJ 486.
ヘルマイン・フェリックス・メイランは長崎出島のオランダ商館長。その在任は1826年八月から四年余に過ぎないものの、シーボルト事件の発生など平穏ならざる日々が少なからず続きました。1830年三月に江戸へ参府したのち、後任のファン・シッテルスと交代し、バタヴィアに戻りましたが、1831年バタヴィアで死去。
出島在任中に執筆されたこの概観は、当時の日本の姿を伝える優れた蘭語文献の一つに数えられます。バタヴィアのティーデマンを介し、本国の旧友トビアスに送られた草稿から刊行されています。巻頭にはトビアスの序と、著者メイランからトビアスとティーデマンに宛てた献辞がおかれ、後者は「1829年五月二日出島にて」記されたもの。トビアスは序文でメイランが江戸に参府したことを述べ、その記録が続編として刊行されると予告していますが、この参府録は公刊に至りませんでした。
タイトル頁を日本の男女を描いた銅版ヴィニェットが飾り、手彩色が施されています。さらに豆打と葬列を描いたアクアティント二葉の挿図が加えられていますが、出版者の序によれば価格を抑えるため無彩色で刊行。二十フローリンの追加で彩色本となる旨が記されています(上掲本は無彩色のまま)。
アッセンデルフト・デ・コーニング《日本滞在記》初版
ASSENDELFT DE CONINGH, Cornelis Theodoor van. Mijn verblijf in Japan. Amsterdam, Gebroeders Kraay, 1856.
¥528,000
8vo, pp. vi, 180; with lithographed title-leaf (with large vignette by C.W. Mieling after F.A.Br. de Groot); near contemporary half cloth on marbled boards, title gilt to the spine, lightly rubbed and shaken, corners and spine ends worn, edges spotted. Pagès 625; Cordier BJ 522.
アッセンデルフト・デ・コーニングは1821年オランダ東部のアルンヘム生まれ。十四歳で商船に見習いとして乗り込み、二十三歳で商船長となっています。1844年はじめて来日し約三ヶ月出島に滞在、1851年五月再び長崎へ船長として訪れました。
この『日本滞在記』は二度目の来日における自らの経験を、率直ながらユーモアに富んだ筆致で記したもの。当時の日本人の習俗はもとより、出島の検使や通詞の接待要求や珍事、さらにはオランダ船員の意趣返しまで生き生きと描かれています。
なお帰国後のコーニングは1855年アムステルダムで自らの商社を設立しますが、その四年後には開国に踏み切った日本へ三度向かい、横浜で約二年間貿易事業に携わりました。
稀少。石版のタイトル葉には、六人の役人を接待する船長を描いたヴィニェットがおかれています。
シェイス《日本開国へのオランダの努力》初版
CHIJS, Jacobus Anne van der. Neêrlands streven tot openstelling van Japan voor den wereldhandel. Uit officieele, grootendeels onuitgegeven bescheiden toegelicht. Te Amsterdam, bij Frederik Muller, 1867.
¥396,000
8vo, pp. xiv, 530, (2) errata and table of contents; sporadic light foxing, but a very good copy in modern cloth on boards, title gilt to the spine, lightly rubbed, spine faded. Cordier BJ 588; Wenckstern I. 106.
著者シェイスは1831年ライデン生まれ。ライデン大学で法学を修めたのち蘭領東インド政庁に勤務。バタヴィア公文書館の館長も務め、1905年にバタヴィアで死去するまで少なからぬ著書を刊行していますが、その多くは蘭領東インドの史料集。
本書はバタヴィア政庁にある豊富な日本関係史料をもとに、日本の鎖国主義とその開国へ向けたオランダの外交的成果とを詳らかにしたもので、アメリカの威圧的な外交交渉に対する批判も込められています。
リューペ編《フリースの北東日本探検》初版
LEUPE, Pieter Arend. Reize van Maarten Gerritsz. Vries in 1643 naar het noorden en oosten van Japan, volgens het journaal gehouden door C. J. Coen, op het schip Castricum. Naar het handschrift uitgegeven en met belangrijke bijlagen vermeerderd door P. A. Leupe. Met de daarbij behoorende kaart en eenige fac-similés, en geographische en ethnographische aanteekeningen, tevens dienende tot een zeemansgids naar Jezo, Krafto en de Kurilen, en stukken over de taal en voortbrengselen der Aino-landen, van Jonkheer P. F. v. Siebold. Amsterdam, Frederik Muller, 1858.
¥330,000
8vo, pp. (2), 440; with a folding leaf of lithographed facsimile and a large lithographed chart of Nemuro and Kunashiri Straits (folded, partly coloured by hand); sporadic light foxing, mild browning throughout, the folding chart with a few short clean tears at margins; a very good copy, bound in cloth on boards, original printed front wrapper mounted to the cover. Pagès 644; Cordier BJ 356.
1643年オランダ東インド会社は日本の北東海域へ二度目の探検隊を派遣しました。かねてからスペインやポルトガルの船員の噂となっていた、この海域にある金銀に満ちた島を発見する試みは失敗したものの、隊を率いたフリースは蝦夷や千島列島を発見し、正確な測量を施すなど画期的な成果をあげました。とはいえその航海の詳細を知らせる原資料は十九世紀半ばに至ってようやく発見されています。カストリクム号の操舵手コルネリス・ヤンスゾーン・クーンの執筆した航海日誌の手稿本は、ヨハン・ホイデコペル・ファン・マールセフェーンの蔵書にあったもので、書肆フレデリク・ミュラーを介してリューペに編纂が託され、1858年に公刊されました。これは単に航海の記録であるにとどまらず、アイヌとその松前藩との交渉などを伝える貴重な資料としても知られるもの。
本書の後半は、航海記録に対する「地理学的・民族学的註解」として、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトによるフリースの航海とアイヌに関する研究を収録し、アイヌの民族と言語、生産品などについて詳しく論じています。この部分は独立して翌年英訳も刊行されました。
なお本書は、1851年に創設された蘭領インド言語・地理・民族学王立研究所による刊行文献 (Werken) の一つ。「第二部別巻」(Tweede Afdeeling, Afzonderlijke Werken) に位置づけられるもので、ちなみに第一部は1853年に創刊した Bijdragen です。現存する本書の中には、これらのシリーズ表示を掲げたハーフ・タイトルと別タイトル葉がタイトル葉に先行し、原装表紙においてもシリーズ表示を掲げたものがあります。上掲本はこれら二葉を含まないほか、現在の表紙に貼り込まれている原装表紙もシリーズ表示を含まず Reize … のみを示しています。先後関係は詳らかでありませんが、一般向けと研究所関係向けとが同時に刊行された可能性も考えられましょう。
ファン・ダイク《ファン・ベルヘムの六年間》初版
DIJK, Ludovicus Carolus Desiderius van. Zes jaren uit het leven van Wemmer van Berchem, gevolgd door iets over onze vroegste betrekkingen met Japan, twee geschiedkundige bijdragen. Amsterdam, J.H. Scheltema, 1858.
¥176,000
8vo, pp. (8), xii, 78; (2), 42, (2) blank; with 2 leaves of facsimile of van Berchem’s autograph; bound in original printed wrappers, spine creased and worn at head and tail, corners frayed, front cover partly chipped, faint waterstaining to the upper margin throughout, edges dusty. Pagès 647.
ファン・ベルヘム (1580-1653) はオランダ東インド会社の将官、東南アジアにおけるオランダの伸長に貢献したことで知られます。本書は東インド会社の史料に基づくベルヘムの伝記研究であり、彼が日本沿岸にも到達していたことも記録されています。後半はリーフデ号漂着以来の初期の日蘭関係についての考察。
(学術洋書部)