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【洋古書】ポコック《東洋誌》初版

1737年から4年以上に及んだエジプト、中近東各地の学究的大旅行の記録。図版多数。

関連ワード:エジプト オスマン帝国 中近東 人類学 古書 東洋学 洋書 考古学  更新日:2025.01.14

18世紀前半の英国人聖職者・エジプト学者ポコックによるエジプト、パレスチナ、シリア、メソポタミア、キプロス、クレタ島、ギリシャ、小アジアを巡る大旅行の詳細な記録『東洋誌』は、当時のオリエントに関する貴重かつ信頼できる情報源として、ヨーロッパの知識階級の人々の東洋への関心、そして考古学とりわけ古代エジプト学、人類学、建築等の広い領域に長く影響を及ぼした書物です。

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—以下、「紀伊國屋書店 古書目録 2020」より—

ポコック《東洋誌》初版
POCOCKE, Richard.  A Description of the East, and some other countries.  London, printed for the author by W. Bowyer, 1743-45.

¥1,540,000

Folio, two volumes bound in three (Vol. 2 in two parts); pp. (2), vi, (8), 310; xi, (1) errata, 268; vii, (1) errata, 308; 75 leaves of engraved plates in Vol. 1 (numbered 1-32 and 34-76; Pl. 33 never issued) and 103 leaves of plates in Vol. 2 (Pl. 1-103), engraved dedication leaf at the beginning of Vol. 2 (by Grignion after Gravelot); engraved vignette to the title-page of each volume (Vol. 1 by Gravelot; Vol. 2 by Grignion after Gravelot); a few engraved plates with clean tears affecting the images but without loss, a couple of plates slightly cropped, occasional mild browning and foxing, but a good copy, bound in contemporary calf, gilt, spines elaborately gilt in compartments, contrasting morocco title labels to the spines, darkened, joints cracked, some spine ends chipped, corners bumped and worn.  Blackmer 1323; Weber II. 513; Atabey 965.

リチャード・ポコックが自らの足で中近東を経巡った記録。直接の見聞が乏しかった当時にあって貴重な情報源として知られたもの。

ポコック (1704-1765) はサザンプトンの出身。オクスフォードで教会法の学位を得たのち、母方の従弟ジェレミア・ミルズとともにグランド・ツアーへ出立します。ミルズは後年考古学に少なからぬ業績を残し、トマス・チャタトンの『ローリー詩集』再版(1782年)編者としても知られることになります。

二人は1733年フランスとイタリアへ向かい、翌年ミルズの聖職着任のため帰国しますが、再び1736年からオランダ、ドイツからオーストリア、ハンガリー、バルカン半島への旅に赴きました。ミルズが1737年に帰国したのち、ポコックはさらに単独で東方へ向かう計画を立てます。まず同年九月末アレクサンドリアに到着し、東方教会のアレクサンドリア主教コスマスにも面会。メンフィスの遺構などを訪ねたのち、十二月には上エジプトへ向けて出発します。デンデラ、テーベからフィラエに達し、カイロに戻るとシナイ半島へと旅を続けました。エルサレムの次にはプリニウスの言及を確かめるべく死海に浸って浮力を体験し、パレスチナ北部からバルベックの神殿遺跡へと歩を進めました。さらにキプロス、クレタなどを経た後ギリシャへ。クレタ島ではイディ山の登頂にも挑んでいます。またトローアドの沿岸を巡る際には、ヒサルリクの丘を古代トロイの場所として推定しています。

ケファリニア島からシチリア島メッシナに着いたのは1740年十一月のこと。北上してヴェスヴィオ山に二度登頂、その後ドイツに入って各地を旅したのち、1741年六月にはシャモニーのメール・ド・グラス氷河へ到達した最初の旅行者となっています。英国への帰還は翌1742年。

この『東洋誌』はポコックの大旅行の記録であり、第一巻でエジプト、第二巻第一部はパレスチナ、シリア、メソポタミア、キプロス、クレタ島、同第二部ではギリシャ、小アジア、トラキア、最後にヨーロッパ諸国が記されています。地理や自然、社会風俗から建築・遺跡にいたる多面的な記録には、当時の西洋人が得ることができなかった知見が豊富に含まれ、本書は高い評価を受けました。合計百七十三葉に及ぶ銅版挿図も視覚的情報としてこの評価に大きく貢献しています。ポコックの「観察とその文章・地図・図解による記録とは質が高く、余人に先駆けたものであったため、ヨーロッパの美術や建築におけるエジプト趣味の復興を促し、後世失われてしまった数多くの事物を記録した功績において、彼はフレデリク・ルズヴィ・ノルデンやカルステン・ニーブールに比肩すべきもっとも重要な中近東の旅行者に数えられることになった」(エリザベス・ベイジェント)。

1754年から翌年にかけて独訳がエアランゲンで刊行されたほか、1772年には仏訳が上梓されています。なおこの仏訳には「原著第二版から」の翻訳と記されているものの、本書の英語原本には再版がなく、十九世紀に入ってからピンカートンの旅行記集に本文が採録されるのみです。

同時代の牛革装(背などに傷みあり)。銅版図譜のうち二点が製本の際にわずかな欠損を生じているものの、保存状態は概ね良好。上掲本はダブリン大学トリニティ・コレッジが1772年賞品として授与したもので、ひらにコレッジの紋章が金箔押しで加えられているほか、授与の旨を記した銅版蔵書票も見られます。

(学術洋書部)