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【洋古書】トリゴー《日本殉教史》初版(1623年)、プティジャン《口宣》初版(1871年)

日本における布教と殉教の歴史を生々しく伝える17世紀と19世紀の文献二点、初版

関連ワード:キリシタン 古書 宣教 布教 日本 洋書  更新日:2024.10.22

日本における布教と殉教の歴史を生々しく伝える17世紀と19世紀の文献二点をご紹介いたします。

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—以下、「紀伊國屋書店 古書目録 2020」より—

トリゴー《日本殉教史》初版
TRIGAULT, Nicholas.  De Christianis apvd Iaponios trivmphis sive de gravissima ibidem contra Christi fidem persecvtione exorta anno MDCXII vsq. ad annum MDCXX.  Cum Raderi avctario et iconibvs Sadelerianis.  Monachii, [Raphael Sadeler], 1623.

¥1,980,000

4to, pp. (16), 518, (1) privilege, (1) emblematic engraved device of Raphael Sadeler; engraved title to the initial leaf, 17 full-page engraved illustrations in text; gatherings 2H and 2I converted, minor printing fault to the engraved title, light dampmark and worming to the upper corner of the initial few leaves (touching the engraved border of the title-page); some soils by damp to a few leaves in gathering Z affecting text, a short clean tear to upper margin of 2S2 (no loss); overall a very good sound copy in contemporary calf, spine elaborately gilt in compartments, gilt central pieces to the covers, later manuscript paper label to the spine (rebacked with original spine laid down, corners restored, some scratches to the covers); from the library of the American Board of Commissioners for Foreign Missions, with ex-libris on front pastedown.  Pagès 169; Cordier BJ 295; Alt-Japan-Katalog 1564; De Backer-Sommervogel VIII. 242; Streit V. 1305; Laures 353.

ニコラ・トリゴーはドゥエーの出身。1529年カンブレーの和約以来フランドルはスペインの領土となっていました。1594年十七歳でイエズス会に加わり、ヘントの学院で修辞学を講じる傍ら、東洋布教の準備として自然科学や東洋語を学んでいます。1607年リスボンから出航しゴアとマカオを経由して北京に到着しますが、中国赴任二年足らずでロンゴバルドの命により帰還の途につきます。イエズス会の中国布教に山積する政治的問題を処理し、典礼文書の中国語訳や中国人司祭の叙階に対する教皇の認可を求め、さらに資金的な援助を乞うのがその任務でした。1613年二月にマカオをたち、ゴアから陸路エジプトを経てローマに到着したのは1614年十月。四年間のヨーロッパ滞在でその目的をほぼ達し、再び中国へ戻っています。この間ジョアン・ジラン・ロドリゲスの日本年報(1609年から1612年)をまとめた日本布教録 Rei Christianae apud Japonis commentarius (1615) をアウグスブルクで刊行しています。

トリゴーの手になるもう一つの、四折版五百頁余に及ぶ日本布教録が本書、De Christianis apud Japonios triumphis (1623) です。1612年から1620年にかけての日本における布教と殉教の模様が描かれ、同時代の文献として最も浩瀚なものに数えられます。本文は1612年から1616年まで各年について記した五章に分かれ、巻末に1617年以降の殉教者列伝ならびに本書に記された殉教者一覧が加えられています。これら二つの補篇はマテウス・ラデルスの手になるもの。十七点の銅版挿図はいずれもキリシタンに対する凄惨な拷問・処刑の模様を描き、苛烈な弾圧と同時にキリシタンの決然たる信仰心を伝えています。

巻頭には銅版タイトル、巻末最終葉にはミュンヘンの出版者ラファエル・ザーデラーの銅版商標。なお巻頭に置かれた献辞は前バイエルン公ヴィルヘルム五世宛て、末尾に「1618年四月リスボン」とあり、序文も1618年四月五日リスボンにて」云々と記されています。また巻末殉教者一覧も西暦の表記法が1616年を境に途中から変わっています。恐らくは1616年までの日本殉教録としてトリゴーが執筆したのはヨーロッパ滞在中のことで、五年後にようやく出版された際、ラデルスによる追補が施されたのでしょう。

同時代の牛革装(背などに補修)。若干の汚損が本文葉などに見られるものの保存状態は良好。アメリカン・ボード旧蔵本。

プティジャン《口宣》初版
PETITJEAN, Bernard.  [A Pastoral letter in Japanese by the Bishop of Japan, February 1871].  [Yokohama?, 1871].

¥220,000

Single leaf (786 x 274 mm), printed on recto only; entirely lithographed, with the Bishop of Japan’s coat of arms at the end of the text; folded, creased along edges, some rubbing and short clean tears along the folds (touching the text but without serious loss of letters), lightly spotted.  Laures 74.  

石版刷り、一枚もの。1865年に完成した大浦天主堂で長崎の隠れキリシタンを発見したプティジャンは翌年日本司教に叙階されますが、1868年浦上で信者の存在が公になると明治政府による大規模なキリシタン弾圧がはじまりました。プティジャンが第一回ヴァティカン公会議に出席していた1870年一月には浦上キリシタンの総流罪が実施されています。

配流されたキリシタンを慰撫し信仰を鼓舞するため、日本に戻ったプティジャンがまず上梓したのがこの司牧書簡です。「それがし長崎に帰てのちおよそ二月あつて、日々に其の許どもにてがみをおくらんと思ひをり候てもただいままでふでの不足ありて、その事かなわされどもこんにち天主の御かげをもつて日本の切支丹のてをかり・・・このてがみをかかせ申可候」と執筆まで日が過ぎた事情を伝えています。「長崎のたてやまといふところにくるすにつけられ天主たいしてころされなされし二十六人の事をおもいいだすべく候、てうどこんにちそのべやとすたちのおうきなる祝日なれは・・・」と日本二十六聖人の祝日に言及があることから、1871年二月五日の成稿か。また末尾に「明治三年庚午十二月」とあり、西暦では1871年二月十八日までに相当します。

プティジャンはキリシタンたちのために教理書や祈祷書を数多く刊行しており、その大半は1868年六月ド・ロ神父とともにフランスから将来した石版印刷機によるもの。浦上キリシタン総配流に際してこの印刷機はフランス船に積まれて難を逃れたと伝えられ、出版活動も途絶えます。印刷が日本で再開されたのは、司牧書簡を執筆したのちプティジャンとド・ロが移った横浜でのことです。

この書簡の最後には日本司教の紋章が捺されており、ほぼ同一の紋章は『ろざりお記録』や『聖教日課』にも見られます。司牧書簡における紋章はやや不鮮明ですが、これは石版印刷の原版作成時に遡るもの。他に散見する文字の欠損などからも、この書簡が石版印刷によることは明らかでしょう(ただしラウレス、高祖敏明ともに整版と著録します)。片岡弥吉はこれを横浜教会における最初の石版印刷物と推定しています。

(学術洋書部)

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