昭和戦前期、雑誌王・野間清治は報知新聞社長として、新聞の定期購読者定着を狙って主婦・子ども向けの附録誌『日曜報知』(1930~1937)や『婦人子供報知』(1931~1937)を刊行した。
このたび、柏書房はこの2誌の完全復刻を開始した。
近代日本のマス・メディア史、大衆文化史、文学史を研究するうえで貴重な一次資料となる同誌復刻の意義について、解題を執筆いただいた京都大学教授・佐藤卓己先生にお話を伺った。
――まず、昭和戦前期の新聞・雑誌の状況はどのようなものだったのでしょうか?
佐藤 『日曜報知』や『婦人子供報知』が刊行された1930年代は、いわゆる「マスメディア時代の幕開け期」にあたります。これまで近代日本における「マス・コミュニケーション元年」はふつう1925年あたりと考えられてきました。なるほど1924年元旦号で『大阪毎日新聞』、『大阪朝日新聞』が百万部達成を宣言しています。同じ年12月には大日本雄弁会講談社から「百万雑誌」を謳う『キング』が創刊されており、翌1925年の3月22日(いまの放送記念日)に東京放送局はラジオ放送を開始しました。国会で普通選挙法が成立する4日前です。
しかし、こうした新聞・雑誌・放送が文字通りの「マスメディア」、すなわち全国紙、国民雑誌、全国放送に発展するのは1930年代初頭ですね。『キング』は1927年新年号で空前の120万部を達成して名実ともに「百万雑誌」となり、ラジオ放送も1928年11月に昭和天皇御大典実況を契機に全国中継が実現します。新聞でも1930年元旦に大阪毎日新聞社の系列紙『東京日日新聞』が百万部達成を宣言し、『毎日新聞』『朝日新聞』といった大阪系新聞の全国紙化が本格化します。経済力のある両紙は「公正販売」の名のもとに、新聞の定価販売制を要求し、まず首都圏5大紙体制から『国民新聞』『報知新聞』『時事新報』が脱落しました。ただし、元警察官僚・正力松太郎が1924年に買収した『読売新聞』は、「ラヂオ版」「婦人欄」導入やアメリカ・プロ野球団招聘などイベント事業で部数を伸ばし、『朝日新聞』『毎日新聞』に迫る勢いをみせていました。今日まで続く三大紙体制が誕生したのもこの1930年代です。今回復刻された『日曜報知』は、この衰退期にあった『報知新聞』が起死回生の販売攻勢として投入した無料附録誌です。報知新聞社はその後、読売新聞社に買収されたため、簡単な社史しか残っていないので、報知新聞史の研究史料としても特に貴重なものです。
――この時期の主な雑誌の復刻・電子化の現状についてお知らせください。
佐藤 新聞は「日刊の年代記」とも「世界史の秒針」とも言われます。特に現代史を調べる際、研究者がまず手にするのが同時代の新聞・雑誌といえるでしょう。ここで新聞と雑誌を区別しないのは、戦前には雑誌の多くが新聞紙法(1909―1949年)の下で出版されていたからです。もちろん、政治や経済のニュースを扱わない学術雑誌や文芸雑誌は出版法(1893―1949年)の下でも発行できました。しかし、「出版法の雑誌」では時事的なニュースが扱えないため、一般向けの雑誌はほぼ「新聞紙法の雑誌」となっていました。たとえば、1923年に菊池寛が文芸雑誌として創刊した『文藝春秋』は、1926年に時事的な内容も扱うべく出版法から新聞紙法に登録変更しています。こうした例は珍しくなく、右翼雑誌『原理日本』も歌学雑誌から思想戦雑誌へと進化するなかで、1928年に新聞紙法の雑誌となっています。つまり、一般に読まれる雑誌とは法的には「新聞紙」だったわけですね。もちろん、報知新聞社が発行する『日曜報知』や『婦人子供報知』もこの意味では「新聞紙」です。
こうした新聞紙法の対象だった「新聞紙」こそ、現代史研究の中心的な史料です。ただ、研究者の新聞紙へのアクセスには大きな歪みがありました。例えば、現代史研究の記述で『朝日新聞』からの引用が圧倒的だったのは、縮刷版が戦時期を含めて刊行されていたためです。戦前の首都圏では『東京日日新聞』が最も政治的な影響力がありましたが、長らくマイクロフィルムでの閲覧しかできませんでした。『大阪毎日新聞』も戦時期は縮刷版がなく、朝日新聞に比べて使い勝手が悪かったことはまちがいありません。それ以外の縮刷版を発行しなかった(発行する体力がなかった)新聞社の記事は埋もれてしまいます。そのため、現代史は資料的に「朝日新聞史観」の様相を呈していたと言えなくもなかったわけです。
ただし、創刊の明治期に遡及した紙面の電子化では、『読売新聞』が先駆けとなりました。1999年に読売新聞社が発売したCD-ROM「明治の読売新聞」のインパクトは非常に大きかったと思います。これを機に歴史関係の論文で読売新聞を引用した研究が急増したことはまちがいないでしょう。今日では、朝日新聞は「聞蔵」、毎日新聞は「毎索」、読売新聞は「ヨミダス歴史館」と、それぞれデータベースがあり、戦前期の紙面も簡単に見ることができます。一方で、戦時統合で消滅した『国民新聞』、『報知新聞』、『時事新報』など戦前期の紙面を確認することは、マイクロフィルムを利用する以外にないのが現状です。
――今回復刻される『日曜報知』『婦人子供報知』は現在、どこにどのような状態で所蔵されていますか? また、研究者はアクセスしやすい雑誌でしょうか?
佐藤 『日曜報知』全262号と『婦人子供報知』全143号は報知新聞社が発行した附録雑誌ですが、当時の報知新聞社社長は「雑誌王」野間清治でした。野間は大日本雄弁会講談社の社長であり、この雑誌の編集作業も実は大日本雄弁会講談社内で行われていました。その経緯からすれば、講談社の資料室にこの雑誌に関連する史料があるかもしれませんが、まだそこまで調査していません。
また、現在の報知新聞社もこの雑誌のバックナンバーを所有しているわけではありません。1938年10月16日に野間清治は急逝し、大日本雄弁会講談社は報知新聞の経営から完全に手を引きました。その後の報知新聞の歩みを簡単に見ておきましょう。野間の後、社長には頼母木桂吉、三木武吉と政治家が就任しますが、経営難は続き1941年8月に読売新聞社が報知新聞社に出資することが決まります。正力松太郎読売新聞社長が会長として乗り込み、1942年7月の株主総会で読売新聞社との合併が決まりました。同年8月5日から『読売新聞』は『読売報知』の題字で刊行されています。しかし戦後、1946年5月1日に題字から「報知」が消えて『読売新聞』に戻っています。もっとも、今日も「報知」の文字は読売新聞傘下のスポーツ紙に残っていますが、戦前の資料類は引き継がれておりません。
こうした変遷のため、報知新聞社の歴史も戦前の『報知七十年』(報知新聞社、1941年)と戦後の『世紀を超えて―報知新聞百二十年史 : 郵便報知からスポーツ報知まで』(報知新聞社1993年)という簡単な社史があるばかりです。
では、通常の所蔵先、たとえば国立国会図書館は『日曜報知』をどれくらい持っているのでしょうか。NDL-OPACでは以下の通りです。
「29, 41-50, 133-134, 136-260 (欠: 199, 206)」
かなりの欠本がある状態です。また、こうした雑誌バックナンバーの所蔵先としてまず最初に当たるべき日本近代文学館、国文学研究資料館、東京大学近代日本法政史料センター明治新聞雑誌文庫も、かなり欠本が多いようです。
日本近代文学館「1, 3-8, 10-27, 29-105, 107-135, 137-197, 199-201, 203-228, 230-244, 246, 248-250, 253-260, 262」
国文学研究資料館「7, 13-17, 21-23, 26, 31, 33-34, 38-39, 41-82, 84-130, 139, 149, 152-153, 174, 176, 178, 181-183, 194, 198, 201-202, 205-206, 209, 211, 214-215, 217, 221-223, 226, 229, 235-236, 248」
東京大学明治文庫「1-8, 10-27, 29-135, 137-231, 233, 235-237, 239-244, 247, 251-261」
また、伝統ある新聞学科をもつ上智大学、「雑書」所蔵では定評のある関西大学も、この『日曜報知』を集めようとした形跡があります。
上智大学「1-8, 10-23, 25, 27-31, 33-35, 37-38, 40-100, 240-253, 255-262」
関西大学「18-23, 25-27, 29-31, 33-35, 37-38, 40, 108, 110-111, 150-153, 155-156, 158-159, 173-176, 179-181, 184-185, 187-189, 191-192, 202-206, 208, 210, 212-213, 217-219, 225-226, 235-242, 244-246, 248-249, 262」
欠号だらけですが、『日曜報知』はまだましです。各図書館をめぐれば、どうにかその全体像に近づけます。しかし、『婦人子供報知』に至っては、そのアクセスに多くの困難が伴います。国立国会図書館の所蔵は欠号は四冊(39,45,73,143)と少ないものの、そのほかでまとまった所蔵が確認できるのは日本近代文学館ぐらいです。
日本近代文学館「1, 4-70, 77, 79-81, 83-85, 88, 99-100, 102-103, 105-107, 109-110, 112, 114-116, 118, 127, 131-133, 139」
いずれにせよ、今回『日曜報知』と『婦人子供報知』の全号が復刻されることは、これまで研究に立ちふさがっていた障害を取り除くものだと言えるでしょう。
(京都大学大学院 教育学研究科 教授 佐藤卓己)
※聴き手 柏書房 編集部 山崎孝泰
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