大学における「履修主義・教授主義」から「修得主義」への変化は必ずしもここ数年間で起きたことではない。その兆しは早くも1980年代から見られる。文部科学省による修得主義への移行宣言が「3つのポリシーの策定及び公表の義務化」であるとすれば、2008年度末の中教審答申で言及された「学士課程教育」という当時のわが国ではまだ聞きなれない呼称の登場はその予告編である。しかし、実際には、それ以前から「学士課程教育」へと導く流れが大学の教育現場には生れつつあった。
修得主義を教育プログラムと教育方法の二側面からとらえ直してみると、教育プログラムとしては、1980年代後半から盛んにその必要性が叫ばれるようになった初年次教育とキャリア教育の取り組みが、その最初期のかたちかもしれない。これらはいずれも学習者中心の教育プログラムであると同時に、その学習成果が問われるものであった。同時期にはまた、講義中心の授業方法を見直そうとする動きが一部の大学教員の間で見られ始めた。この動きは、学生による授業評価アンケートに代表される授業改善のためのFD活動へとつながっていく。学生参加型授業の模索、いわゆる現在のアクティブ・ラーニングの黎明期とも呼べる時代である。依然として講義中心の授業が多い時代ではあったが、教育方法は明らかに修得主義へと舵を切りつつあった。さらに、1990年代になるとディスタンス・ラーニング(現在のe-Learning)の登場もあいまって、分散協調学習の意義が見出されるようになる。分散協調学習自体が修得主義へとつながるものであると同時に、それが集合協調学習への橋渡しをするものであることもわかってきた。現在では反転授業(flipped learning)と呼ばれるオンラインによる講義を予習として受講し、教室ではアクティブ・ラーニングという手法もこの時代から始まったといえるだろう。
このように見ていくと、ここ30年間ほどの高等教育にあって、大学教員の、とりわけ研究こそが主体であると自認する教員にとって、修得主義への流れは教育に対する価値観の転換を促すものであったといえるだろう。実際のところ、大学が初年次教育やキャリア教育のプログラムを整え、授業でアクティブ・ラーニングを行うことを要請することに違和感や反発をもつ教員は少なくない。したがって、FD活動は必然的に修得主義教育の意義づけや内容についての研修に向かわざるをえない。だが、当然のことだが、大学教育の表面を整えるだけでは十分ではない。教員各人が納得して学生と向き合わない限り、新しい時代を生きる学生を育てることはできないからだ。
そこで、こうした問題を抱える大学に提案したいのがフェア・プロセスと呼ばれるマネジメント手法である。フェア・プロセスは修得主義を大学に定着させるうえで二つの点から有用である。ひとつはフェア・プロセスが知識労働を主たる労働とする大学の文化に適合しやすいこと。もうひとつは伝統的な履修主義・教授主義が中心の大学において修得主義のような価値観の転換を図る提案がなされたときに、フェア・プロセスが教員間の対話を促進する機能をもつことである。ここでは前者を織り込みながら、後者の側面を中心に見ていきたい。
フェア・プロセスが修得主義を定着させるうえで有用なマネジメント手法となり得るのは、修得主義という概念が日本ではまだ比較的新しい考え方であり、教員がその概念を大学教育の一要素として受容するためには、研究と教育に基づく自らのこれまでの大学観を再定義する必要があるということを前提にしているからである。なおかつ、そこには大学についての自らの価値観そのものの見直しを迫られるという要素もある。というのも、修得主義はその概念理解に加えて、教育活動という行為が恒常的に要求されるからである。
概念理解にとどまるならば、少なくともここ10年間ほどにわたって大学生に接した経験をもつ教員であれば、修得主義教育の実施に必ずしも反対しないだろう。しかし、自らが初年次教育科目やキャリア教育科目を担当するとなると、また、たとえ専門分野であってもアクティブ・ラーニングの授業を担当するとなると、まったく話は別である。それは、自分の専門とする学問分野の研究・教育目標から遠くかけ離れた行為のように感じられるからである。同時に、自分のなすべき務めでもないと考えるからである。
こうした教員に欠けているのは、大学のおかれている状況が変化しつつあり、修得主義はたんに高等教育の新しい提案ではなく、変化する大学の基本となる考え方であるという認識である。結局のところ、修得主義は、自分の専門とする学問分野が現在どのような状況におかれているか、より先鋭にいえば、自分の専門分野の学問的可能性と限界を専門の研究者・教育者として正しく認識しているかどうかにかかわってくる。そのうえで、修得主義を自分の専門分野と関連させて受容しようとするとき、必要になるのが、社会と大学の変化を理解するだけでなく、変化する大学に能動的にかかわろうとする教育者・研究者としての前向きな姿勢である。
もちろんこれは、修得主義を提案する文部科学省や、大学の上位者の言動に積極的に賛同すべきであるというレベルの話ではない。修得主義を自分自身と大学にかかわる根本的な問題であるとひとまず受けとめたうえで、疑問は疑問として、納得のいかないことは納得のいかないこととして、徹底的に上位者なり同僚と対話する必要は常にある。人間が最終的な結果だけでなく、その結果に至るプロセスにも公平性を求めることを前提とするフェア・プロセスは、たとえどのような反対意見や否定的意見であってもなおざりにすることは決してない(Kim & Mauborgne, 2008)。反対意見や否定的意見と対話を重ねることで両者の間の緊張関係が解けるだけでなく、新たな価値観を創出する絶好の機会になる。修得主義という概念が大学教育におけるイノベーションのひとつであるとの観点に立てば、そうしたイノベーションは、異なるアイデアや価値観の交換から生まれてきたものであることは自明の理である。逆にいえば、相反するアイデアや価値観が過不足なく対話できるだけの信頼関係が築けるところにこそ新たなイノベーションもまた存在する。大学のように知識労働を主たる労働とする職場において「フェア・プロセスをなおざりにすると、アイデアや進取の精神の喪失といったかたちで高い機会コストを被ることになる(Kim & Mauborgne, 2008, p.79)。」
『フェア・プロセス:協力と信頼の源泉(Fair Process: Managing in the Knowledge Economy)』において、W.チャン・キム(W. Chan Kim)とレネ・モボルニュ(Renee Mauborgne)は、フェア・プロセスは人間の基本的欲求であるという。だれもが、組織のなかでの役割が何であれ、一個人として評価されたい、自分の知性を尊重してもらいたい、自分のアイデアを真摯に検討してもらいたいと思い、たとえ自分のアイデアや意見が通らなくても意思決定が合理的であることに納得したいと考えている(Kim & Mauborgne, 2008)。そうしたことをふまえたうえで、キムとモボルニュはフェア・プロセスの基本原則を提示する。いわゆる「エンゲージメント」「説明」「具体的な期待」の三原則である。次回は、これら三原則の大学組織への適合性を検討してみたい。
参考文献
W. Chan Kim & Renee Mauborgne,Diamond Harvard Business Review編集部訳(2008)「フェア・プロセス:協力と信頼の源泉」“Diamond Harvard Business Review” 2008年8月号,pp. 68-83
W. Chan Kim & Renee Mauborgne,(1997)“Fair Process: Managing in the Knowledge Economy”, Harvard Business School Publishing Corporation
(玉川学園 理事・玉川大学 教授 菊池重雄)