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高等教育における価値観の転換とフェア・プロセス(下)―【連載】変わる高等教育

2018.02.07

フェア・プロセスの三原則は「エンゲージメント」「説明」「具体的な期待」である。「エンゲージメント」とは、大学組織を構成する教員一人ひとりに影響が及ぶ大学の意思決定に教員を巻き込み、積極的に意見交換を行い、アイデアを募ることである。当然そうしたマネジメント手法は反対意見に対して許容力を示すにとどまらず、ときに積極的に反対意見を奨励することになる。「エンゲージメント」は大学の意思決定においてより強力な知恵の獲得につながる。具体的にいえば、上位者から提案された方策が「エンゲージメント」によってより強力な方策になることが可能であると同時に、上位者に対しては反対者を納得させるだけの力をもった意思決定を促す効果もある(Kim & Mauborgne, 2008)。

大学組織が修得主義への転換という意思決定を行う場合に、各教員は授業や学生指導の経験からこれまでのやり方に限界を感じているにしても、修得主義という聞き慣れない考え方への根深い警戒感がある。また、教員によっては過大な科目担当負担や学内行政負担があり、たとえアクティブ・ラーニングが優れた教育手法であるとしても、積極的には推進しがたいと考えているケースもある。「エンゲージメント」はこうした教員たちが意思決定に向けて対話を行なうことで、対話の結果に対してコミットメントすることを可能にする(Charan, 2002)。また、何よりも対話による「エンゲージメント」は、時代と社会の変化によって生じる大学の役割を、上位者と下位者が同じレベルで共有し、それぞれが大学組織のために何をしなければならないかということを情況からの命令として設定し直す機会を与えてくれる。

「説明」とは、意思決定者が意思決定の意義にとどまらず、その決定に至ったプロセスを教員一人ひとりが理解し、納得するように説明することである。「エンゲージメント」において各教員が意思決定にかかわったとしても、必ずしもその意見やアイデアが採用され、新しい意思決定に盛り込まれるとは限らない。たとえ自分の意見が採用されなくても、納得できる説明があれば、教員は大学の意思決定を理解し、最悪の場合でも決定に不信感をもつことはない(Kim & Mauborgne, 2008)。

教員によっては修得主義ではなく、これまでの履修主義・教授主義の改良・改善によって教育改革を推進しようと考える者がいる。こうした考えをもつ教員に対して大学の新しい方針としてまだ経験したことのない修得主義を提案する場合に、まず重要なのは、対話を促進し、各教員が大学の意思決定に巻き込まれていることを自覚できるようにすることである。結果として、修得主義への転換が意思決定された場合には、「説明」は、たんに修得主義に転換することによる大学のメリット(たとえば、大学ユニバーサル化時代における転換の妥当性など)の説明にとどまらず、決定までに至った両者の対話のプロセスを確認する機能をもたなければならない。

具体的には、修得主義への転換が決定されるまでにどのような対話=議論がなされたか、また、各教員にどのような手続きで代案が求められ、それらはどのように意見交換されたかなどについて丁寧に確認する機能が「説明」にはある。そうすることで、自分の意見が通った、通らなかったという直接の利害関係を越えた高度な組織形成が可能になる。「説明」は、教員が大学組織に対して不信感をもつことを防ぐことができると同時に、教員と大学組織の「学習を強化する強力なフィードバック・ループとなる(Kim & Mauborgne, 2008, p.76)」可能性を秘めている。最初は講義方法の改善で対応できると考えていた教員にまったく異次元の、別の新しい考え方を提案し、さらに自覚的に担当してもらう場合には、こうしたフィードバック・ループは絶対に欠かせないものである。

「エンゲージメント」と「説明」に比べると、フェア・プロセスの第三の原則である「具体的な期待」は、大学においてはその展開が現状では困難である。日本の多くの大学は企業と異なり、教員に対する、特に教員の教育面に対する評価システムが未整備であるからだ。通常、意思決定された事項はルール化される。当然その仕事に携わる人間は(自らに寄せられる)具体的な期待に基づき行動し、その成果によって評価される。評価基準が示されなければ、自らの行動の目標どころか計画すら定まらない。キムとモボルニュが「フェア・プロセスにおいては、新しいルールや方針が何かよりも、新しい目的や中間目標は何か、だれが何に責任を負うのかが理解されることがよほど重要である(Kim & Mauborgne, 2008, p.76)」と語るとき、大学組織内の教育評価システムが正しく機能していることが前提となる。大学組織に完成されたかたちでのフェア・プロセスを適用させようとする場合には、教員の教育評価システムの確立が急務である。

ここまで見てきたように、フェア・プロセスは学内・学部内の合意形成ではない。フェア・プロセスは意思決定を行うにあたり、最良の決定に到達するための開かれたプロセスであり、決定までの手続き的公正さを保証するものである。フェア・プロセスの手法を導入したからといって、適切なビジョンを示し、新しい提案を導入しようと考える学長や学部長の権限が低下するものでもない(Kim & Mauborgne, 2008)。むしろフェア・プロセスによって新しい提案に対する反対意見や懸念される考えと正しく向かい合うことで、もともとのビジョンやプログラム案が強化され、より高度な成果を生み出すことが可能になる。フェア・プロセスは組織がもっとも優れたアイデアを選択しようとするさいに、ほかのすべてのアイデアにチャンスを与えると同時に、アイデアが採用されなかった教員たちに対しては大学組織への信頼とコミットメントを保持するものである(Kim & Mauborgne, 2008)。

大学組織におけるマネジメント手法としてのフェア・プロセスのメリットは、教員間の対話の促進にある。手続き的公正を前提にした対話の積み重ねこそが、大学教員の資質を高め、教員の主体的な大学組織とのかかわりを実現する。一方、履修主義・教授主義から修得主義への転換は、教員各自の教育・研究のコンテクストによってその受容のありようが異なる。また、大学それぞれのコンテクストによっても受容のありようが異なる。したがって、大学組織の高位者・下位者を問わず、一教員や一部の教員グループのみで必要な答えを用意できるものではない。ましてや修得主義はこれからの学士課程教育の中心に据えられるものであり、その推進は、すべての教員にかかわる問題でもある。それだけに、転換に向けての取り組みには、公正さと対話による意見交換が必要となる。だが、それは逆にいえば、大学における転換への取り組みが、教員の大学組織への信頼と責任の醸成につながるということでもある。修得主義実現のプロセスは、大学を意思決定力のある組織体に変革するチャンスにもなるのである。

 

参考文献
1.W. Chan Kim & Renee Mauborgne,Diamond Harvard Business Review編集部訳(2008)「フェア・プロセス:協力と信頼の源泉」“Diamond Harvard Business Review”
2008 年8月号,pp. 68-83
W. Chan Kim & Renee Mauborgne,(1997)“Fair Process: Managing in the Knowledge Economy”, Harvard Business School Publishing Corporation

2.Ram Charan,スコフィールド素子訳(2002)「対話が組織の実行力を高める」“Diamond Harvard Business Review” 2002年1月号,pp. 82-93
Ram Charan,(1995)“Conquering a Culture of Indecision”, Harvard Business School Publishing Corporation

 

(玉川学園 理事・玉川大学 教授 菊池重雄)