人文社会系研究

東京女子大学丸山眞男文庫の資料群とその可能性 ―開設20周年の地点に立って―

2018.11.26

■東京女子大学丸山眞男文庫について

20世紀の世界を代表する知識人・丸山眞男(1914-1996)の蔵書とノート・原稿類は、現在、東京女子大学にて保管され、個人のプライバシーに関わる一部の資料を除き、すべて公開されています。蔵書は、図書が約18,000冊・雑誌が約18,000冊、ノート・草稿類は5,000点以上にのぼります。

生前の丸山は自身の資料を、蔵書の充実に悩んでいる大学や研究機関、自治体の図書館等に寄贈し活用してほしいと考えており、最終的に東京女子大学への寄贈を希望しました。この丸山の意志を汲んだ丸山ゆか里夫人の意向をうけ、丸山の自宅で読書会をつづけていた同大学の卒業生や、丸山の指導をうけた研究者等が奔走し、同大学の受贈が決定しました。1998年9月21日に受贈式が行われ、丸山眞男文庫は誕生しました。本年は、丸山文庫開設から20年の節目を迎えます。

2001年10月、東京女子大学は丸山眞男記念比較思想研究センター(仮称)を発足、資料を管理してゆくための体制を整備しました。2012年度より、文部科学省「平成24年度私立大学戦略的研究基盤形成支援事業」の採択をうけ、研究プロジェクト「20世紀日本における知識人と教養―丸山眞男文庫デジタルアーカイブの構築と活用―」(略称「丸山眞男研究プロジェクト」)を開始。国内外の研究者19名、若手研究者6名により展開された同プロジェクトは、「丸山眞男文庫バーチャル書庫」、「丸山眞男文庫草稿類デジタルアーカイブ」の構築・公開をはじめ多くの成果を発表し、2017年3月末日、完結しました。

丸山眞男文庫バーチャル書庫(トップ画面)

 

丸山眞男文庫草稿類デジタルアーカイブ(トップ画面)

 

丸山文庫所蔵資料の整理・調査から公開にいたる過程は、資料の性質――(1)蔵書と(2)ノート・草稿類――によって分けられ、その後の事業もこの区別にもとづいています。「バーチャル書庫」は蔵書に、「デジタルアーカイブ」はノート・草稿類に対応する新しいシステムです。以下、この区別に沿ってご紹介します。

 

■蔵書の整理・公開から「バーチャル書庫」の構築・公開へ

まず、蔵書のうち、図書を優先して作業に着手し、これらを丸山宅の配列状況に基づいて登録しました。図書館スタッフが精力的に整理を進め、2000年12月、記録用としてその成果を『丸山眞男文庫寄贈図書資料目録』にまとめました。ただし、その後も丸山家から資料の寄贈がつづけられています。現在これらの資料は、東京女子大学図書館OPACによる検索が可能です。

資料の公開にむけて、かつて丸山の指導をうけた研究者が丸山文庫協力の会を発足(松沢弘陽氏、植手通有氏、飯田泰三氏、平石直昭氏、宮村治雄氏、渡辺浩氏。のち苅部直氏、眞壁仁氏、中田喜万氏、河野有理氏が加わる)し、調査・整理に当たりました。整理に当たった研究者たちはまず、丸山による書込み・折込み等(手沢)のない図書・雑誌について、丸山の意志に沿った公開方法が望ましいこと、手沢のある図書・雑誌は厳重に保管する必要があることを確認し、手沢の有無の調査を開始しました。その後の調査・公開の流れはつぎの通り。

2005年4月、手沢のない図書(約12,200冊)を開架書庫にて公開。手沢のあるものは、閉架書庫にて引き続き保管していく体制を整備。
2006年1月より、手沢のある図書(約5,800冊)の該当箇所の調査を開始。手沢のあるページを電子化(PDF化)し、点検作業などを経て2010年7月、当該ページをPDFによって公開。
2010年度より雑誌(約18,000冊)の手沢の調査を開始、図書の公開方針を準用し12年5月に公開。
なお、楽譜類は土合文夫氏(当時、東京女子大学教授)による調査(2011年春~12年秋)をふまえ、13年5月、手沢のないものを公開。手沢のあるものは、2014年3月より段階的に公開を開始し、現在すべて(434冊)が閲覧可能。

『Streichquartett Nr. 15 a moll op. 132』(丸山文庫所蔵、登録番号0198299)

このような整備の過程で、新たな課題が意識されてきました。丸山文庫所蔵の図書類は、丸山宅での配架状況を記録し、それにもとづいて登録番号を付していました。「蔵書の配列順もまた丸山の思想を反映する」という考えにもとづくものです。しかし整備の過程で、手沢の有無にもとづき配架場所を変え、OPACでも配架場所に即した絞込み検索を設定しており、全体像を一覧する機会は失われていました。

「丸山眞男文庫バーチャル書庫」は、そのようななかで構想され、当初の考えを具体化する研究リソースとして、2015年3月公開されました。この「バーチャル書庫」は、ウェブ上に、丸山宅の間取りと各部屋のなかの書棚の状況、各書棚に収められた図書の配列を再現しました。たんに図書の配列を一覧にしただけでなく、丸山宅の間取りまで再現したことで、書斎や併設の書庫に配架された図書の相対的な重要性、応接間や寝室に置かれた楽譜類をつうじた丸山における音楽の意味など、多様なテーマについて探ることが可能となりました。

 

■草稿類の整理・公開から「デジタルアーカイブ」の構築・公開へ

つぎに、ノート・草稿類は、1999年1月より、丸山文庫協力の会メンバーが調査を進めました。当初確認された数量は1,070件。しかし、封筒ごとにまとめられた資料も、段ボール1箱に詰められた資料も、同じ1件と数えることがありました。ここから各資料の精査を進めました。その流れは以下の通り。

(a)まず、調査票の書式を決め、メンバーが分担し、各資料の内容を調査票に書きとめていく作業を進め、2003年秋にこの調査を終了。
(b)次いで、資料検索の便宜のため、分類項目を設け、各資料の分類作業を推進。メンバー1名が全体の不統一や重複を整備。2006年8月、この作業を終了。
(c)資料を一般に提供するにあたり、以上の情報を電子目録として公開するため入力作業を開始。その際、資料タイトルと内容との対応性の確認、重要度の高い資料を電子化(PDF化)し公開するための選定と実務作業等を推進。2009年7月より部分公開を開始し、2011年7月、ほぼすべての資料を公開。

一般公開の開始にあたっては、検索システムをウェブ上に公開し、検索のうえ、閲覧申請を可能にする体制を整備しました。しかし利用者にとって、当初はさまざまな制約がありました。たとえば、PDF資料のため閲覧専用PCを1台設置したことにより、1日1名までの利用に限定したこと、原物資料の申請は、資料保存の観点から1回につき5点までに限定したことなどです。そこで、利用者にとって、事前に申請する資料を厳選するために検索システムは重要でしたが、整理担当者が資料の情報を自由に書き込み、一般に表示できるのはタイトル欄に限られていました。しかも当初は、調査が十分進んでおらず、「政治学関係メモ」などの大まかな名前の資料が、幾つも重複して表示されることもありました。

こうした事情のなかで、「丸山眞男文庫草稿類デジタルアーカイブ」が構想され、2015年6月、公開しました。この「デジタルアーカイブ」は、新しい検索システムと画像閲覧という2つの機能を合わせもっています。検索システムの機能は、前のシステムが抱えていた課題をふまえて、新たに幾つかの項目を立て、それぞれの絞り込み検索を可能にしました。「資料番号」「形態・枚数」などです。これらによって、多角的な検索ができるようになりました。
他方、5年間の「丸山眞男研究プロジェクト」によって資料のデジタル化も大幅に進み、現在では、著作権処理を経た丸山眞男作成の資料はほぼすべて閲覧可能になりました。

「昭和44年度講義 「日本の思想」メモ」(丸山文庫所蔵、資料番号402-3)

ウェブ上で画像を閲覧できない資料は、以前と同様、東京女子大学図書館にて閲覧可能です(所定の手続きが必要)。館内限定の資料も、整理をさらに進めるとともに著作権処理を行い、順次、ウェブ上で公開してゆくことを予定しています(2016年度に岡義武作成資料を公開)。

 

■これからの可能性 : 開設20周年の地点から

原資料の学術的な重要性を知っている、整理を進めてきた研究者たちは、利用者による資料の活用を強く望むと同時に、他方で資料の永い保存を考えています。両者はしばしば矛盾しますが、上で触れたような東京女子大学図書館の利用規程や、インターネット上のさまざまなシステムは、そうした矛盾のなかを進んできた模索の跡でもあります。同時に、東京女子大学丸山眞男記念比較思想研究センターは、これらにもとづく成果を、紀要『丸山眞男記念比較思想研究センター報告』により、一般に公開してきました。現在では、今まで知られてこなかった丸山や同時代の知識人たちの新資料(丸山文庫所蔵)も多数紹介されています。最後に、以下ではこの地点に立って、今後どのような課題があるかを簡単に考えてみます。

この課題を考えるうえで、平石直昭「丸山眞男文庫の意義と可能性について」(2017年3月)が最後に提示している3つの視点は示唆に富むものです。この論文で著者は、第一に、丸山の「個人史」への内在的理解を可能にする点を挙げています。この場合、丸山の内在的理解は、20世紀を生きた一人の知識人を理解することであり、その理解は、他の一人一人への理解に拡がってゆくことを示唆しています。丸山文庫に所蔵されたさまざまな折に書きつけられたメモ(蔵書の手沢をふくむ)は、そうした丸山の経験、思索や葛藤を理解するかけがえのない手がかりです。

自著『日本の思想』への書込み(丸山文庫所蔵、登録番号0201018)

福沢諭吉『文明論之概略』への書込み(丸山文庫所蔵、登録番号0199075)

第二に著者は、丸山文庫所蔵資料によって理解可能になるのは、丸山個人だけでなく、彼を中心とする知識人の交流であると指摘しています。丸山に宛てた書簡(来簡類)のほか、岩波書店より受贈した「平和問題談話会」関係資料(吉野源三郎文書)がその例です。丸山の思想・学問の意味を、他の人物と関連づけて論評するものは今までもありました。しかし丸山文庫所蔵資料は、一つ一つの資料によって、そうした意味を再検証し、事実によって裏づけてゆくことを可能にしました。

第三に、著者は、丸山文庫がアーカイブであり独自の研究組織をもつことから、「知的遺産の継承」を旨とする大学・学問に大きく寄与すること、とりわけ社会科学者のそれとして先駆的な意味をもつことを論じています。狭い研究領域だけのことではありません。学生時代の読書メモや受講ノートなどによって、現代の学生に、学問と向き合った一人の人物を伝える事業も展開しています。

これら3つの「可能性」から導かれる課題の1つは、丸山文庫と同様の意義が他のアーカイブ(個人文庫)にもあることから、そうした他のアーカイブと連携や協力体制を構築してゆくことです。そのことにより、他のアーカイブの原資料をつうじて丸山研究が更に深まることが(またその逆のことも)期待されます。実際、丸山眞男記念比較思想研究センターは、2017年度より、立命館大学加藤周一現代思想研究センター(加藤周一文庫を所管)と協力協定を締結しました。丸山と加藤との人格的・思想的交流は、このようにして新たな形で受け継がれてゆきます。

これらの事業は、研究者をはじめとする資料を活用してゆく人びとに向けた環境整備の一環です。各々の資料は、活用されてはじめて意味をもつことができます。新たに構築・公開され、整備されてきた丸山文庫を通じて、丸山研究、更に日本の人文社会科学の新しい地平を切り拓いてゆくことが期待されます。

 

(東京女子大学 丸山眞男記念比較思想研究センター 川口雄一)

 

*参考
東京女子大学丸山眞男記念比較思想研究センター(ホームページ) 
・東京女子大学丸山眞男記念比較思想研究センター編「丸山眞男文庫及び丸山眞男記念比較思想研究センター関係主要年表並主要人事」『丸山眞男記念比較思想研究センター報告』創刊号(2005年3月)
・丸山眞男文庫スタッフ「丸山眞男文庫バーチャル書庫と草稿類デジタルアーカイブの構築と公開――丸山眞男研究プロジェクト テーマ2成果報告――」『丸山眞男記念比較思想研究センター報告』第11号(2016年3月)
・平石直昭「丸山眞男文庫の意義と可能性について」『20世紀日本における知識人と教養―丸山眞男文庫デジタルアーカイブの構築と活用―』(東京女子大学丸山眞男記念比較思想研究センター編、2017年3月)
・川口雄一「東京女子大学丸山眞男文庫の意義と展望――丸山眞男研究史のなかの位置――」『平成29年度札幌大学創立50周年記念公開講座講演集(第38回) 個人文庫をもつ大学 : その意義と可能性』(札幌大学インターコミュニケーションセンター、2018年)

 

※2018年9月寄稿