人文社会系研究

香港110年の歴史の記録

2019.08.27

香港情勢の混乱が各メディアで報道される中、センゲージ ラーニング社Galeより、香港110年の歴史に迫る画期的な電子コレクションがリリースされました。

“China and the Modern World – Hong Kong, Britain, and China (1841-1951)” は、英国国立公文書館が所蔵するイギリス植民地省旧蔵の香港植民地関係ファイル(CO129: War and Colonial Department and Colonial Office: Hong Kong, Original Correspondence)を電子化したものです。香港総督以下の香港政庁と植民地省との往復文書や総督の急送文書に加え、外務省、内務省、陸軍省ら、その他の省庁の文書を通して、1841年から1951年までの110年間に亘る植民地香港の歴史を辿ります。

オリジナル文書は1926年まで年代順にファイリングされてきましたが、1926年以降は主題別にファイリングされるようになりました。香港政庁やイギリス政府省庁関係文書が大半を占める収録文書は、イギリスによる植民地香港の統治の実態を克明に描きます。加えて、同時代の香港や広州等の周辺地域を観察した報告からは重大事件や華人社会の慣習を浮かび上がらせます。さらに、統治の一環としての人口や衛生や犯罪等に関する夥しい統計が収録されている点も見逃せません。

中華圏でありながら大英帝国の一部であるという特性を生かして、110年間に人とモノとカネが行き交う世界最大級の海港都市へと変貌した香港の歴史に関する64万ページに及ぶ資料を収録する本アーカイブは、香港史はもちろん、大英帝国史、中国近代史、東アジア近代史にも新しい光を当てる画期的なコレクションです。

主題例と収録コンテンツ

  • 主題例:教育史、香港華人西醫書院、香港大学、中央書院
    収録コンテンツ例:孫文が学んだ華人西醫書院、アジアのオクスブリッジになるべく創設された香港大学に関する記事のほか、香港の教育史をまとめた資料を収録。

  • 主題例:革命運動、孫文、ホー・チ・ミン、アギナルド
    収録コンテンツ例:孫文の香港追放後に、香港政庁と孫文の間で交わされた書簡からグエン・アイコク(ホー・チ・ミン)やアギナルドなど革命家に関する文書まで、香港に関わりの深い革命家や革命運動に関わる文書を収録。

  • 主題例:外交史、南京条約、天津条約、北京条約、治外法権、99年租借
    収録コンテンツ例:香港島割譲、九龍割譲、新界の99年租借を定めたイギリスと清朝の間で交わされた条約を収録するほか、中国におけるイギリスの治外法権の撤廃に関する第二次大戦中の英中交渉の際の香港の地位をめぐる交渉など、イギリスと中国の外交に関する文書を収録。

  • 主題例:労働史、苦力、移民
    収録コンテンツ例:奴隷に代わる労働力として苦力と呼ばれた下層労働者に対する世界的な需要の高まりを受けて、労働者を募集し西インド諸島、南米、東南アジア各地に送り出す拠点となった香港における労働者の募集、海外移民関係の文書を収録。

  • 主題例:対米ボイコット、対日ボイコット、路面電車ボイコット、省港大罷工、ナショナリズム
    収録コンテンツ例:香港でしばしば発生したボイコットやストライキは政治的安定を損なうものとして植民地政府が常に重大な関心を持って臨んだことは、「ボイコット」という名前の入ったファイルが幾つか収録されていることにも示されている。

  • 主題例:ジェンダー史、妹仔、豬花、売春、児童売買、児童保護、保良局
    収録コンテンツ例:貧しい家庭の娘が売られて豊かな家で家事労働を行なう妹仔(ムイツァイ)を巡っては1920年代から30年代にかけて、ムイツァイ関係の文書を集めた資料集の出版、反ムイツァイ協会の設立など、香港だけでなくイギリスでも大きな関心を集めた。

  • 主題例:人口統計、犯罪統計、政府予算、貿易統計、船舶統計
    収録コンテンツ例:近代的統治を行なう上で統計の整備は不可欠。出生、結婚、死亡等の人口統計、犯罪統計から船舶、貿易統計まで、夥しい統計資料を収録。

  • 主題例:医療・衛生史、ペスト、コレラ、東華醫院、西洋医学、中国医学
    収録コンテンツ例:家屋を消毒し、検疫を行なう権限を付与された潔浄局の設置をめぐる事情、1894年のペスト流行、華人社会における西洋式医療への抵抗、華人系の東華醫院で西洋式医療が受容されてゆく状況など、医療・衛生に関する文書を収録。

香港小史

アヘン戦争後の南京条約によりイギリスに割譲された当時の香港島は、人口1万人足らずの侘しい土地に過ぎず、伝染病が蔓延し海賊が横行するような島は放棄すべし、との意見が英政府内で出されたほど、将来性に乏しい土地と見られていました。

本コレクションが記録する、香港が世界最大級の海港に成長するまでの道のりを、収録コンテンツをまじえてご紹介します。

貿易港として発展

上海等が条約港として開港し、貿易を独占していた広東の地位が低下したことで、香港はアヘン貿易の拠点となります。また、太平天国の乱を逃れた人々が流入し、人口が増大し始めます。さらに、欧米諸国で奴隷制や奴隷貿易が廃止される中で、奴隷に替わる新たな安価な労働力として苦力(クーリー)と呼ばれた下層労働者の供給源の役割をも担うようになります。

商品と労働力供給の流れがグローバルに再編される中で、香港はアヘン貿易と苦力貿易の拠点としての地位を獲得し、ジャーディン・マセソン商会、デント商会、サスーン商会等の外国商社が香港を拠点に活動するようになりました。また、香港上海銀行が創業し、英系オリエンタル銀行や横浜正金銀行が支店を構えるなど、東アジアの重要な金融拠点となります。外国商社と華人商人を仲介したのが買弁(コンプラドール)で、何東[Robert Ho Tung]・何甘棠[Ho Kam Tong]兄弟に代表される買弁は貿易によって富を蓄え、香港の華人コミュニティで大きな影響力を及ぼしました。また、アヘン戦争においてイギリス軍に協力した蛋家出身の盧阿桂[Loo Aqui]や郭松[Kwok Acheong]のように中国社会で差別的境遇に置かれた華人にとって、香港は社会的上昇の機会を提供しました。

根強い華人への差別

しかし香港ではイギリス人と華人の交流は少なく、イギリス人の社交団体への華人の入会制限、ヴィクトリア・ピークでの華人の居住制限など、法制度上でも社会生活上でも、華人への差別は根強く残りました。植民地政府が華人の厚生に関心を払わない中で、華人社会は富裕商人らが中心になり、文武廟[Man Mo Temple]、團防局[District Watch Force]、東華醫院[Tung Wah Hospital]、保良局[Po Leung Kuk]等の組織を設立し、治安、医療、紛争処理、弱者保護の領域で華人による華人のための相互扶助の仕組を生み出しました。

経済的に実力をつけた華人は植民地政府も無視できない存在になり、その声を政策に反映させるために統治機構への登用を始めます。植民地政府の立法局と行政局は官僚から選ばれる官守議員と一般社会から選ばれる非官守議員で構成されていましたが、伍才(伍廷芳)[Ng Choy, Wu T’ing-Fang]、周壽臣[Chow Shou-Son]、何啓[Ho Kai]、韋玉[Wei Yuk]、劉鑄伯[Lau Chu Pak]、羅旭龢(ロバート・コートウォール)[Robert Kotewall]、曹善允[Tso Seen Wan]らの華人エリートは非官守議員として立法局や行政局に参画しました。

革命運動と香港

中国本土において革命運動が展開する中で、革命の震源地広州に隣接する香港は独自の役割を担います。自らの革命思想は香港で鍛え上げられたと、晩年の孫文が回想している通り、モノや人や思想が行き交う香港は武器や資金の調達、革命家の養成に格好の拠点でした。フィリピンの革命家アギナルドも一時期亡命先として香港を選び、グエン・アイコク(ホー・チ・ミン)は香港でベトナム共産党を結党しました。

労働運動と経済政策

上海における中国共産党創設という同時代状況の中で、1920年には香港で100以上の労組が誕生し、工員ストライキ(1920年)、海員ストライキ(1922年)、省港大罷工(1925年)など、労働運動が展開されました。革命運動は華人ナショナリズムの発揚とも結びつきました。香港における華人ナショナリズムは中国本土と連動しつつ、しばしばボイコット(不買運動)として発現しました。米国での華人排斥に端を発する反米ボイコット(1905年)、辰丸事件を契機とする反日ボイコット(1908年)、辛亥革命後に減価した鋳貨流通禁止措置に端を発する路面電車ボイコット(1912)、北京の五・四運動と連動した反日ボイコット(1919年)、上海租界での五・三十事件に端を発する対英ボイコット(省港大罷工)(1925年)など、香港の歴史は幾多のボイコットで刻印されています。

 香港の経済社会政策は同時代のイギリスや世界の政策潮流とも響きあいました。ダム、道路等の公共事業が進み、児童保護法制や労働保護法制が整備されたのは、イギリスにおける自由放任主義から福祉国家への転換が香港に波及したことに因ります。

妹仔、苦力

ジェンダーや性労働の領域も世界の動向から影響を受けずにはいませんでした。貧しい家庭の娘が売られて豊かな家で家事労働を行なう妹仔(ムイツァイ)や海外に渡航した苦力向けの性労働者として人身売買や誘拐によって強制的に海外に送られた豬花(チョカ)といった女性を取り巻く問題はすでに19世紀末に宣教師や旅行者から問題視されていましたが、1920年代に女性権利拡張運動が世界的に展開される中で、イギリスのメディアや議会で取り上げられ、反ムイツァイ協会が設立されるなど、香港を超えて国際的に注目を集めました。

日本の中国侵略と香港

1930年代以降の日本の中国侵略は香港の帰趨に大きな影響を及ぼしました。1937年に日中戦争が勃発すると、香港政府は直ちに中立を宣言します。中国国内の企業や銀行の本社が移転し、避難民が流入した香港は、中国向け金融サービスの提供や抗日戦のための軍需生産により経済活動が拡大しました。共産党八路軍の支部や孫文未亡人宋慶齢による抗日運動支援団体が設立されるなど、それまで警戒していた中国共産党や中国国内の革命運動との関係も改善しました。防衛努力も空しく1941年12月に日本軍の侵攻を受けた香港は以後3年8ヶ月間、日本軍に占領されます。日本軍は香港在住のイギリス人、アメリカ人を逮捕し、住所と職がない中国人に香港退去を命じたため、占領時代を通じて香港の人口は減少しました。

日本の統治に協力した一部の名士を除き、大半の華人は消極的服従の態度を貫きました。イギリスは日本占領後を見据えた香港の将来を構想しました。英政府内には香港放棄の意見があったものの、香港を放棄しないとの方針を固め、香港再建の青写真を描きました。日本降伏後の香港はインフレ、失業、劣悪な衛生に見舞われましたが、経済は急速に回復し、中国本土における国共内戦の混乱を逃れる人々が流入しました。

日本侵攻時の総督マーク・ヤングが復帰し、立法局や行政局に占める華人の比率拡大を含む急進的改革案を提示しましたが、イギリス政府の反対を受け、穏健な改革が実行に移されました。中国本土の企業が本社を移転させたことで、香港はイギリスにとって東アジアにおける経済の拠点として重要な役割を担い続けます。

世界最大級の海港へ

鄙びた漁村に過ぎなかった香港は、英領植民地100年の歴史の中で、混乱する中国本土と比較して政治的経済的安定を享受し、人とモノとカネのネットワークの結節点として世界最大級の海港へと変貌しました。中国領ではなくイギリス領であり続けることを選んだ華人社会に支えられ、イギリスは第二次大戦後も香港を手放すことなく、1997年まで統治し続けます。

Handwritten Text Recognition(HTR) 手書文字認識

Galeのデータベースはこれまで、活字資料についてOCR(光学文字認識)によるフルテキスト検索を実装することで、一字一句のレベルまで資料を隈なく探すことを可能にし、デジタル時代の新しい研究をサポートしてきましたが、この度、新規アーカイブに関して、手稿資料についてHTR(手書文字認識)によるフルテキスト検索を実装しました。

 手稿資料がフルテキスト検索できるようになることは、手稿資料を頻繁に利用する歴史研究において画期的なことであり、書誌情報からは予測ができない意外な発見への道を開きます。

※”China and the Modern World – Hong Kong, Britain, and China (1841-1951)”は、教育機関等の法人のお客様に買切契約でご提供しています。個別にお見積り申し上げますので、株式会社 紀伊國屋書店までご用命ください。

(センゲージ ラーニング株式会社)

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