弊社では今年4月より、『戦後博覧会資料集成』と題して、昭和20~30年代にかけて開催された、博覧会に関する資料を刊行している。
日本における博覧会の歴史といえば、昭和45年の万国博覧会を思い出される方も多いだろう。だが、戦前・戦中・戦後を通じて、日本各地で数多くの博覧会が開催されていたことは、今や忘れられている感が強い。
本シリーズ所収の資料で言えば、大阪における復興大博覧会(昭和23年)、旭川における北海道開発大博覧会(昭和25)年など、地方における都市の再建、経済の復興を展示するものが多かった。また、珍しいところでは、奄美大島の復興博覧会(昭和22年)、石垣島の八重山復興博覧会(昭和25年)という、米軍政下の離島における博覧会もあった。娯楽の乏しかった時代、演奏会やスポーツ大会もあり、島民にとっては一大イベントであったことは想像に難くない。
戦後の博覧会を見る際に、注目すべきは戦前との連続性である。例えば、昭和25年に西宮市の阪急球場でアメリカ博覧会が開催された。その内容はアメリカの歴史、民主主義や経済的な豊かさを宣伝し日本人のアメリカ観を象徴するものであった。しかし、全く同じ場所で、支那事変聖戦博覧会(昭和13年)、大東亜建設博覧会(昭和14年)という、日中戦争を宣伝する博覧会が開催されたという事実は、忘れてはならない(画像①、②、③、④参照)。
画像①:『アメリカ博画報』より、アメリカ博覧会会場図(昭和25年)。
画像②:『支那事変聖戦博覧会大観』より、支那事変聖戦博覧会会場空撮(昭和13年)。
画像③:『大東亜建設博覧会大観』より、大東亜建設博覧会会場図(昭和14年)。
画像④:阪急球場跡地にある記念碑。ここで戦争の博覧会があったことは記されていない(平成31年4月3日、ゆまに書房松本撮影)。
また、昭和23年には、伊勢市で平和博覧会が開催されたが、同地では昭和5年に神都博覧会が開催され、国史・国体をテーマとした展示も行われた。
戦前の国粋的、軍国的なテーマから戦後の平和主義、アメリカ賛美への変わり身の早さから、「プリンシプルのない日本」と批判することは容易い。
だが、博覧会の計画・運営に携わった人物に注目してみれば、違った面も見えてくる。西宮市では鍛冶藤信という装飾業者が、戦前には日中戦争の戦場再現に、戦後にはホワイトハウスの大型模型の作製に心血を注ぎ、大きな呼び物となった(画像⑤、⑥参照)。
画像⑤:『大東亜建設博覧会大観』より、パノラマで再現された日中戦争の戦場。
画像⑥:『アメリカ博画報』より、会場に再現されたホワイトハウスの模型と米軍楽隊。
また、伊勢市において戦前・戦後の博覧会を主催したのは北岡善之助という人物であった。北岡は生涯を通じて、博覧会による伊勢の振興という目標を追い続け、合計4回の博覧会を主催したことから「伊勢の博覧会男」という異名を取った。こうして見ると、博覧会には時代毎に異なった方向性があるとはいえ、これを実現せんとする者の強烈な意志なくしては、存在しないイベントであると言えよう。
戦後史における博覧会を如何に評価するか。この問題には多くの議論が尽くされるべきであるが、まずは本書を繙き、当時の人々と共に非日常の空間を楽しもうではないか。
(株式会社ゆまに書房 出版部 松本 和久)
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