万国風刺漫画大全 全4回配本 2020年10月完結
編集・解説:橋本順光(大阪大学文学部)
世界各地の新聞や雑誌から記事を選択、ダイジェストした月刊誌『評論の評論』(The Review of Reviews)は、1890年に英国で創刊、その後、米国版、オーストラリア版も刊行され、世界の情報を手早く通覧できるメディアとして、世界中の読者に広く受け入れられた雑誌です。
この雑誌は、世界各国で発表された時事、社会風刺漫画を特集するコーナー(Caricature of the Month、History of the Month in Caricature、Miscellaneous Cartoons)を設け、テキストだけでなく視覚的にも世界の情勢を伝えることに力を入れました。
『評論の評論』のほぼ毎月号、約20-40点掲載された漫画(主に一コマ漫画)は、英米だけでなく、独仏伊蘭やロシアなどのヨーロッパ、カナダ、オーストラリア、南アフリカ、そして日本、インドなどアジアで刊行されていた新聞・雑誌からも転載され、まさにその時々の世界の動向がこれらの漫画を通して一目で理解できるよう編集されています。
この風刺漫画特集の始まった1890年から短かった平和の時代の終焉と第2次大戦へ向かう1940年までを、Edition Synapse社が第1期から第4期に分けて編集し復刻しています。
万国風刺漫画大全 第4回(全3巻)
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JOHN BULL (to Japan) Ams’erdammer.
編者より
火中の栗を拾う、という名で知られる一コマ漫画がある。ロシアが焼いている栗を、英国が指さしてけしかけ、憤慨した日本が刀に手をかけているという構図である。この絵は、1903年10月13日の『中央新聞』に掲載されて有名になった。そこには「アムステルダーメル」誌より転載とある。では、このオランダの雑誌を日本の記者はいったいどこで目にしたか? そのもっとも有力な媒体として考えられるのが、今回、復刻される『評論の評論』の風刺画コーナーだ。そこにあるブラーケンシーク(Braakensiek)の絵(1903)と並べてみれば、われわれが見知ったのは、これをトレースし、わかりやすく国の名前を人物に書き込み、英訳文もそのまま拝借したことが一目瞭然である。
それでは、『評論の評論』とはどういう雑誌なのか。その名の通り、この英国の月刊誌は、毎月、膨大に出版される雑誌の評論記事を無党派の立場から簡潔に要約し、いわば『リーダーズ・ダイジェスト』誌の先駆けとなった。編集長は、新聞のタブロイド化に貢献し、スピリチュアリズムにもどっぷりと入れ込んだW・T・ステッドである。少女売春の現場に今でいう潜入取材を行い、その余波で『ペルメル・ガゼット』紙を辞職したことはよく知られていよう。その直後、1890年に始めたのが、この『評論の評論』の創刊なのである。
困惑するほど多くの雑誌新聞が乱立した世紀末にあって、一冊で世界の現在と全容が見渡せるような総合誌の出現は、大いに重宝されることになった。国内のみならず、ドイツ語やフランス語のメディアも紹介したほか、ときに日本の『太陽』(1895年創刊)の英語欄までも要約するその目配りには驚かされる。もっともこれら日本の雑誌は同じ手法をまねてダイジェスト記事を多く掲載しており、なかには『評論の評論』の記事をそのまま翻訳することもあったので、おそらくロンドンの本社には『太陽』が送られていたのかもしれない。
ステッドは、新聞で活躍していたころから図版を巧みに記事に織り込んでいた。『評論の評論』でも風刺画や図版はいたるところで引用されている。そうして風刺漫画の増加と重要性にかんがみ、創刊まもなく一コマ漫画のみを集めたコーナーが新設される。最初は数ページだったが、そのコーナーは人気とともに別冊付録のように膨れ上がった。掲載された雑誌の国籍も、日本を含め当時の欧米列強がほぼカバーされ、英語圏にしても、アメリカ、南アフリカ、インド、オーストラリアなど、英国と微妙な関係にあった地域であっても、ご当地の皮肉や怒りの声が丹念に拾われている。
こうした風刺漫画について、その誇張表現には主義主張を越えた類型がみられるとは、古くはサム・キーンの『敵の顔』(1986)、最近では大英図書館での『プロパガンダ-権力と説得-』展カタログ(2013)が強調するとおりだ。しかし、本復刻資料からは、それらの類型が心理学的なだけでなく、極めて歴史的であることが、つまり一つの表現が模倣であれ逆用であれ、直接、参照されて使い回されていったことが明らかになるだろう。ステッドがボーア戦争に反対していたこともあり、『評論の評論』には英国の帝国主義への批判や痛烈な漫画も数多く掲載されていることも、風刺表現が諸刃の剣であることを強く実感させてくれる。タコや吸血鬼など、「敵」を怪物のように描く手法は、容易に「敵」の側でも逆用されてしまうのである。また『ヒンディー・パンチ』など、英国の『パンチ』にみる図像がインドで正反対のメッセージをもった風刺画に書き換えられていることも特筆すべきだろう。おそらく風刺画の描き手も、本欄を大いに参考にしたのではないだろうか。
たとえばセシル・ローズをロードス島の巨人像になぞらえ、アフリカをまたぐ姿で描いたおなじみの『パンチ』の図像(1892)は、トランスヴァールではパロディにされてローズが揶揄され(1898)、インドではカーゾン総督の帝国主義批判に作り替えられた(1904)。ほかにも、1901年に登場して以降、地球を擬人化したキャラクターが各国で散見されるが、これなどまさにグローバルに一コマ漫画が流布していく象徴的な出来事といえるだろう。
『東京パック』ほか日本の風刺画も『評論の評論』には掲載されているが、これも同じ往還のなかで見直すことができよう。その一つ『時事新報』の「ダヴィデとゴリアテ」(1904)は、本欄のたとえば大国オスマントルコに立ち向かうギリシアになぞらえた「現代のダヴィデ」(1897)を原型にしたのではないか。たとえ参照していなくとも、欧米の読者に親しまれた故事と構図を踏まえているからこそ、本欄で紹介されたとことは否定できまい。実際、早くから『太陽』では欧米の風刺画が掲載され、雑誌『新公論』(1904年創刊)など、英語名がThe Tokyo Review of Reviewsというだけあって『評論の評論』の風刺漫画コーナーをほぼそのまま転載していた。『評論の評論』はいわば定型表現の教科書にもなったはずだ。となると、1904年7月号に掲載されたロシアをタコとして描いた日本の宣伝漫画「滑稽欧亜外交地図」も、英国プロパガンダの模倣というより、親しみやすいようあえて定型表現を踏襲し、思惑通り、親ロシア派だったステッドの『評論の評論』に掲載されたと考えることもできよう。
なお『評論の評論』は、電子アーカイブやマイクロフィルムにも一部が収録されている。ただ残念ながら欠本が散見され、挿絵は画家が確認できないからと一律みな省略されるか、あっても特にマイクロの場合、画像が荒くキャプションも読めないことが多い。今回の復刻では、刊行されたすべてのコーナーを収集し、最良の状態から復刻したほか、収録された雑誌新聞の題目も抽出した。キャプションも、描かれている事件や事態が想像できるよう意訳してあり、データベースとしてなら『評論の評論』本体より利用価値が高いかと思われる。
そもそも、この『評論の評論』の風刺画コーナーは、当初、「今月の戯画」というタイトルで始まったが、1901年、「戯画にみる現代史」へと名前を変えた。これは実に的を射た改題といえる。気の利いた作品をわずかばかり楽しむ埋め草のような記事から、戯画を並べるだけで問題の所在とその各国や党派の思惑が一覧できる、無くてはならない人気記事へと大きく成長したことを示唆するからだ。ジョン・M・マッケンジーが古典的名著『プロパガンダと帝国』(1984)で述べたように、世紀転換期は、帝国がこれまでになく意識され宣伝された時期でもある。本復刻は、その国籍と主義主張の多様性ゆえに、帝国意識を否定するにせよ肯定するにせよ、これまでになく刺激的で豊富な事例を提供してくれるに違いない。
(紀伊國屋書店 学術洋書部 永橋)