■ はじめに
洋書(学術系)担当者の視点から、2021年3月の新刊書『ブックウォーズ:出版界のデジタル革命』をご紹介したい。刊行後すぐに通読したところでは、この十年ほどの出版界で何があったのかを理解し、未来を見つめるのにふさわしい本と考える。然るべき方の眼に止まり本格的に取り上げられることを願って、以下かんたんに概要に触れておく。
■ 書誌
John B. Thompson, Book Wars: The Digital Revolution in Publishing
Polity Press, 2021. XV + 511 p.
Print ISBN:9781509546787 (Hardcover)
■ 著者について
著者ジョン・B・トンプソンは、社会学者で、ケンブリッジ大学名誉教授。元々は理論的な仕事で知られていたが、最近20年ほどは出版産業の研究に精力を注いでいる。その最初の成果といえるモノグラフBooks in the Digital Age (2005) では学術出版の世界、続くMerchants of Culture (2010/2012) では一般書の世界を取り上げ、各々その包括性で類を見ない業績となっている。また自らも社会学者ギデンズらと独立系出版社Polity Press(本書の発行元)を立ち上げ、経営に携わった実績もある出版人。
Books in the Digital Age (2005)
Merchants of Culture (2010/2012)
■ 出版社の内容紹介文(試訳)
本書は、書籍出版産業が我々の時代の大規模な技術的革命とぶつかりあった波乱の歳月の物語を語る。電子書籍の急伸から、セルフパブリッシングの爆発的進展、オーディオブックのますます高まる人気まで、本書Book Warsは、我々の社会のもっとも歴史ある成功した創造的産業の一つを見舞った破壊的な技術変化のありさまを包括的かつ詳細に説き明かす。
出版は、他の部門と同様に、デジタル革命により揺れ動いた。この産業を500年にもわたって支えてきた基盤―言葉とイメージを印刷本のかたちでパッケージ化し販売すること―に、記号的コンテンツを迅速かつ安価に蓄積、操作、伝送することを可能にした技術が、疑問符を突きつけたのだ。出版社と小売業者は、新たな製品やサービスを提供する新興勢力の増殖に直面して、これまで最も深く保持してきたいくつかの原則や信念に挑戦を受けることになった。出版社と新規参入勢力(世界観の異なる巨大テクノロジー企業を含む)の間で熾烈な抗争が巻き起こり、古い産業が突如として脚光を浴びることとなった。ブック・ウォーズが幕を開けたのだ。
この新旧の抗争の中では、多くの場合、電子書籍が中心的な位置を占めてはいたが、著者トンプソンは最も根底的な変化は別のところで起きていたのだと主張する。紙の本は注目すべきレジリエンスを備えた文化的形態であることが示されてはきたが、デジタル革命は別のかたちで、いまや前例のない力をふるい新たな出版形態を次々と隆盛に導く新たなプレーヤーを生み出すことで、出版産業を変容させてきたのだ。何よりも重要なことは、デジタル革命は広く情報・コミュニケーション環境全般を変容させ、デジタル時代における自らの役割を再定義しようとする出版社にとって新たな課題とともに新たな機会を生み出したということである。
このグーテンベルク以来の最大の試練に直面する書籍出版産業の比類ない記述は、書物とその未来に関心あるすべての人の必読書となるだろう。
■ 読んでみて一言
トンプソン教授の前二著は刊行時に読んでいて、関係者多数への詳細なインタビュー調査を通じて、巷でありがちな(技術万能的な)出版未来論では見えてこない現場のリアリティを浮き彫りにするアプローチが圧巻だったが、本書も期待に違わず充実した内容だった。
重要な前提として、前著Merchants of Cultureと同じく、英米の一般書(trade publishing)に対象を絞っているので(「緒言」参照)、学術出版の話を期待する人には肩透かしになる。ただし、デジタル化の中でのコンテンツの行方をめぐる話でもあり、学術と一般を問わず関心を持つ人は多いだろう。また、これ自体は学術書でありながら、まるでノンフィクションのようにcover to coverで読み通さずにはいられない面白さも保証できる。
本書の研究は、大半が2013-2019年に行われた(「緒言」)。通読したところでは、それ以前の大きな流れも踏まえながら、概ね2000年代後半から2010年代いっぱいの変化に的を絞っている。なお、書籍の製作にかかる時間からいって、一年程度のタイムラグは通常だが、2020年の世界を襲った新型コロナウイルスとロックダウンについても、本文中で1回(p. 443)、脚注で2回(p. 189とp. 431)、言及がある。アマゾンに対抗する書店を応援すべく2020年1月に立ち上げられたbookshop.orgの6月時点の好調ぶりも言及されている。コロナ前に存分に動き回って調査した成果を、そうしたことが困難になろうとしていた時にまとめて考察しているわけで、現在望める最新の研究成果といえる。
著者は、本書執筆のために180人もの関係者に新たなインタビューを実施した(前著での280人へのインタビューも一部利用されている由)。大小の出版社のCEO、編集やマーケティングの現場を統括するスタッフから、著者、エイジェント、グーグルやアマゾンの内情に通じる関係者まで、実に多士済々のプレーヤーの語りを通じて、各々の「フィールドの論理」を明らかにしている(理論的にはフランスの社会学者ブルデューの「界の論理」を援用している)。個々の生々しい人間たちの行動論理から、組織や業界のそれなりの構造が浮かび上がってくるのが、人間同士のつながりが今でも重視される出版界の分析にふさわしいし(インタビューはほぼ対面で実施した由)、興味津々で読み進めることができる。
出版界のデジタル化と言われて、誰もが思い浮かべるのは、電子書籍だろう(第1章)。もっとも、著者によれば、電子書籍の急伸は全体のストーリーの一部でしかない。実際に出版社が最近20-30年間で成し遂げたのは、製作、版権管理、発注、倉庫管理、セールス、納品などのサプライチェーン全体のIT化であり、同じコンテンツを紙の本でも電子書籍でも送り出せるのが本質である。電子書籍は、同じ本のハードカバーやペーパーバック(そして近年急伸しているオーディオブック)と並ぶ、もう一つのフォーマットなのだという本書の議論は、別のかたちの電子書籍への挑戦が概ね挫折した後では(第2章)、共通認識となりつつある。英米では電子書籍が2013-2014年頃にピークを迎えた後、意外と落ち着いてしまったのも事実である。現実は、紙が電子に全面的に置き換わるというにはまだ遠く、著者が言うところの複数のフォーマットが共存するmixed economyが当面は続くだろう(第12章)。
本書の中でも最も刺激的な話は、やはり大手出版社とグーグルやアマゾンとの(裁判闘争を含む)熾烈な抗争だろう(主に第4・5章)。多くのことを忘れていたが、これぞまさにBook Warsである。当時、出版社への批判も多かったが、究極的には、デジタル時代のコンテンツを誰が担うのかという闘いでもあった。デジタル化のまさに破壊的な影響を受けた音楽業界の二の舞にならないために、出版社はどう考え動いたかというのが読みどころだ。コンテンツこそが生命線である出版社に対して、巨大プラットフォーム企業はユーザー行動履歴のビッグデータを広告配信や他のビジネスに利用でき、コンテンツは顧客基盤拡大の手段に過ぎないともいえる(情報資本information capitalの蓄積こそ彼らの力の源泉)。アマゾンは米国の書籍市場でプリントの45%前後、電子書籍の75%以上のシェアを占めるという推計が示されているが(p. 430-431)、これはいかなる書店チェーンもなし得なかった未曽有の市場支配力だ。セルフパブリッシング(第7章)やオーディオブック(第10章)といった成長市場にも手を広げるアマゾンのエコシステムはあまりに巨大で逃れ難いが、一強に生殺与奪の権を握られるのも極めて危うい。米国の独占禁止法の適用是非を含む著者の詳細な議論は、今まさに動いている大手出版社のさらなる合併話や巨大プラットフォーム企業の規制をめぐる動向の重要な背景となる。
もちろん、従来の出版社の「ゲイトキーパー」的な役割は、デジタル時代の消費者が生産者ともなり得る経済の中では、大きな変容を迫られている。セルフパブリッシング(第7章)やソーシャルメディアの投稿サイト(第11章)は、素人の玉石混淆のアウトプットを編集者ではなく読者が選り分け育てることで、中にはメジャーな出版(紙/電子)にもつながる新たなコンテンツの供給源として、無視できない存在となった。ネット時代ならではの「クラウドファンディング」が、出版にもどんどん応用されている現実にも瞠目させられる(第8章)。本を書きたい人が読みたい人から資金を募り、目標金額に達すると出版企画が実現する(クラファンのための出版社も存在する)。これは従来の出版社が(既刊書の成績と編集者の嗅覚を頼りに)まず本をつくって、それから売り方を考えるのとは逆で、最初から(購入の意思を示した)たしかな読者層が見込まれるわけだから、マーケティングの手法としても画期的である。書籍の存在が知られるために依然重要なリアル書店の苦境も、visibilityとdiscoverablityの問題を顕在化させ、出版社に読者への直接的なアプローチを促している(第6章)。また、メディア産業全体の変化といえば、動画配信サービスが急速に(コロナ禍でさらに)シェアを拡大したが、ネットフリックスの書籍版ならぬ「ブックフリックス」と題された第9章は、サブスクリションを取り上げている(面白いが書籍ならではの課題は多い)。
いずれにせよ、ますますデジタル情報環境に移行している読者のふるまいが、これからの読書のかたち、これからの書籍のかたちを左右していくのは間違いなく、未来を見つめながらあまり先走りし過ぎずに一歩前に踏み出すために、本書の議論はおさえておいていいはずだ。中でも、セルフパブリッシング時代の到来で「出版」そのもののハードルは下がったものの、それを世の中に知らしめようとしたら全く別の話であるとして、これからも出版社が果たしていく主要な機能を「コンテンツの創造・キュレーション」「金融投資とリスクを取ること」「製作・デザイン」「広報・普及」の四つに大別して論じている箇所(p. 451-456)が重要だ。より大きな次元の話としては、巨大プラットフォーム企業がデータを独占する「監視資本主義」でいいのかという問いもあり、ますます「加速化」する社会の中で、絶え間なく注意を奪う(スクリーン中心の)メディア環境が日常化している今日、かえって読書が開く別の世界、別の時間のありかたが見直されているかもしれないということがある。500ページを(筆者は紙で)ずっと読まずにいられなくなった本書は、書籍的なコンテンツの力を身を以て示してくれた。
最後に、気になった点を一つ。本書は書籍出版という産業の分析であるから、最新の数量的データも充実していて、数多くの図表で示されているが(例えば、ある出版社の電子書籍の売上に占めるシェアのジャンル別変動など、他では得られないデータも豊富)、電子時代にかえって出版データの正確性の問題が出てきている事情も窺える。例えば、出版点数を調べるためには、まずはBowkerのBooks in Printデータベースに登録されているISBNの統計が手がかりになるが、同じ本の紙版(の複数のフォーマット)と電子版(の複数のフォーマット)、さらにオーディオブックにもISBNが採番されるパターンが増えた一方(p. 174-175)、最大のシェアを誇るアマゾンのセルフパブリッシングはISBN登録不要のため統計から漏れるタイトルも激増する(p. 259-263)。本書に続く本格的な出版研究を期待するものの、基礎的なデータである出版点数さえも推定が難しく、巨大プラットフォーム企業がデータ公開になかなか応じない状況は、大きな壁となる。本書の著者の調査力は凄まじく、アマゾンでの売上を自力で推定する匿名のソフトエンジニアData Guyにまでインタビューしているが、この分野でも今後はデータサイエンティストが突破口を開くのかもしれない。
■ 購入のご案内
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■ 関連書
出版の産業面に焦点を当てる本書に対して、読者(あるいは教育者)の立場から読書のかたちを考えたい方には、同時期の新刊書から下記をおすすめ。最新の研究の最前線からの、紙の本/電子書籍/オーディオブックの各フォーマットの賢い使い分けを提案。
Naomi S. Baron, How We Read Now : Strategic Choices for Print, Screen, and Audio
Oxford University Press, 2021. 320 p.
Print ISBN:9780190084097 (Hardcover)
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(紀伊國屋書店 書籍・データベース営業部 野間)