人文社会系研究

20世紀前半のアメリカの大衆娯楽雑誌『リバティ』をフルカラーでデータベース化

2021.04.26
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アメリカ娯楽雑誌『リバティ』のデータベース化

センゲージ ラーニング社Galeが提供するLiberty Magazine Historical Archive, 1924-1950は、20世紀前半のアメリカの大衆誌『リバティ』の創刊から廃刊までの全号を電子化し、原紙を忠実にフルカラーで再現、OCR処理を施しフルテキスト検索を実現したものです。

『リバティ』は、タブロイド紙『ニューヨーク・デイリー・ニュース』発行人のジョゼフ・パターソンと『シカゴ・トリビューン』発行人のロバート・マコーミックの二人の新聞人によって創刊されました。

アメリカという国家とアメリカ人の意識を表象するのに最もふさわしい言葉

創刊に当たり誌名を公募し、応募のあった名前の中から「アメリカという国家とアメリカ人の意識を表象するのに最もふさわしい言葉」(創刊号の論説欄)として「リバティ」が選ばれました。(誌名を公募するために準備号が2回発行されましたが、本データベースには準備号も収録されています)

万人のための週刊誌

「万人のための週刊誌(A Weekly Periodical for Everyone)」との副題を掲げたように、『リバティ』がターゲットにしたのは大衆です。大衆向けの雑誌であれば、すでにパルプ・マガジンという通俗的物語を提供する安価な雑誌が出回っていましたが、『リバティ』がパルプ・マガジンと異なっていたのは、大衆の関心を引きつけるためにフィクションだけに頼らなかったことです。

1920年代、アメリカでは自動車、電化製品が一般家庭でも購入できる大衆消費財として普及し始め、映画、ミュージカル、ベースボール、ボクシング、ジャズなど、様々な娯楽が大衆向けに提供される一方で、古い因習は廃れ、新しいモラルを持った人々が社会に登場していました。後にジャズ・エイジ、アスピリン・エイジ、狂乱の20年代などと回顧される1920年代は、同時代人にとっても面白い話題に満ちていました。このような時代のニーズを汲み取るために出版人は新しい雑誌の創刊に挑みます。

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禁酒法の時代、『リバティ』は禁酒も好んで取り上げました

ヘンリー・ルースによって創刊された週刊誌『タイム』(1923年創刊)もその一つですが、パターソンとマコーミックは、『タイム』のようなニュースという切り口でも、パルプ・マガジンのようなフィクションという切り口でもなく、忙しい現代人向けの娯楽雑誌というコンセプトを打ち出し、『リバティ』を世に送り出しました。なお、忙しい読者のために用意されたのが通読時間(Reading Time)です。編集部の人々が記事を読み通すのにかかった時間を平均し、「5分40秒」のように各記事の冒頭に記入しました。

有名人による寄稿

有名人(セレブ)は『リバティ』のキラーコンテンツで、映画俳優、ミュージシャン、スポーツ選手らの話題が創刊当初から紙面を飾りました。記事主題として有名人が取り上げられたばかりでなく、みずから一文を寄せた有名人も少なくありません。

グレタ・ガルボの「私はなぜ結婚しないのか」
アリー・ピックフォードの「いろいろあった私がそれでも幸せな理由」
ベティ・デイヴィスの「そう、退路を断ちなさい」
レスリー・カーターの自伝「赤毛の女性の肖像」
ベーブ・ルースが引退後に寄稿した「過去の人と言われて」
ベーブ・ルースのライバル、ルー・ゲーリッグの「俺がベーブ・ルースを嫉妬しているって?」

など、俳優やスポーツ選手が人生や幸福を語ったものが目立ちます。

音楽では、1940年代後半に掲載された”Records” 欄に、フランク・シナトラ、ビング・クロスビー、ベニー・グッドマン、ルイ・アームストロングら、有名ミュージシャンがレコード・アルバムの短評を寄せています。私生活を綴った記事や自伝、回想録で取り上げられた有名人は俳優、歌手から作家、スポーツ選手、政治家に及びます。

チャーリー・チャップリン エドガー・フーヴァー
マリー・ドレスラー トマス・E.デューイ
ジーン・ハーロウ ウッドロー・ウィルソン
リリアン・ギッシュ セオドア・ルーズベルト
バーバラ・ラ・マー ジョン・L.サリヴァン
イングリッド・バーグマン ジミー・ウォーカー
ロバート・テイラー ルディ・ヴァリー
バーナード・ショー マンフレート・フォン・リヒトホーフェン
コナン・ドイル

 

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グレタ・ガルボに関する記事

エンターテイメントとしての社会風俗

社会風俗面では、新しいタイプの若者が格好の話題を提供しました。特に、古い因習や規範に縛られない若い女性の行動やファッションは「フラッパー」や「イット・ガール」として世間の耳目を集めました。『リバティ』は、元祖フラッパーのコリーン・ムーアやデパート店員がデパートのオーナーを誘惑する映画『イット(あれ)』で主役を演じ、セックス・シンボルとして一世を風靡したクララ・ボウなど、有名女優をフィーチャーする一方で、断髪、喫煙、美容整形など女性の間に広がった流行にも光を当てています。

エンターテインメントとしての政治

『リバティ』の手にかかると政治もエンターテインメントと化します。イタリアのムッソリーニ、ドイツのヒットラー、ソ連のスターリン、イギリスのチャーチル、インドのガンジーなど、従来の枠に収まらない新しいタイプの政治家が登場したこの時代、エンターテインメントとしての政治の話題には事欠きませんでした。

ムッソリーニの知られざる一面を描いた「ムッソリーニ:女性の偶像」、ヒトラーの別荘の使用人だったポーリン・コーラーによる「ヒトラーの別荘での日々」、謎の死を遂げたスターリン夫人ナジェージダ・アリルーエワの生涯を追った「スターリンの妻の奇妙な生と死」、チャーチルの首相就任直後、チャーチルがアメリカ人の血を受け継いでいることを示した「ウィンストン・チャーチルとアメリカ人の母親」、性的禁欲の宣誓に背いたとの噂が流布していることに対してガンジー自ら包み隠さず語った「私の性生活」など、日常生活、女性、家族、性といった大衆好みの視点からの記事が目立ちます。

『リバティ』に最も取り上げられた政治家

数ある政治家の中で『リバティ』に最も取り上げられた政治家を挙げるとすれば、フランクリン・ルーズベルトでしょう。『リバティ』は1930年代初頭に経営不振に陥り、タブロイド紙『デイリー・グラフィック』社主で告白雑誌『トゥルー・ストーリー』を成功させたバーナー・マクファーデンに売却されます。ルーズベルトと交友関係にあり、その政策を支持していたマクファーデンは、ルーズベルトや夫人、娘、母に寄稿の機会を与えたばかりか、ミステリー好きのルーズベルトが提供するプロットを基にヴァン・ダイン、ルパート・ヒューズ、ジョン・アースキンらの作家が書き上げたミステリーを掲載するなど、ルーズベルト寄りのスタンスを鮮明にします。

創業者が政府の介入を嫌う共和党支持者だった『リバティ』は、20年代の小さな政府から30年代の大きな政府へのアメリカ政治の転換と軌を一にするように、社主が変わることによってその政治的スタンスを転換させたのでした。

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フランクリン・ルーズベルトに関する記事

作家・批評家による寄稿

『リバティ』に寄稿した作家、批評家には、ジャズ・エイジの旗手スコット・フィッツジェラルド、アメリカ人として初めてノーベル賞を受賞したシンクレア・ルイス、戦間期を代表する作家、大衆作家、ミステリー作家、SF作家、脚本家、ユーモア作家が含まれます。『リバティ』はまた、エンターテインメント小説の宝庫でもあり、これらを原作として100作を超える映画が生まれました。

スコット・フィッツジェラルド アガサ・クリスティ
シンクレア・ルイス エドガー・ライス・バローズ
セオドア・ドライサー ジョン・モンク・サンダース
シャーウッド・アンダーソン ブルース・バートン
ヘンリー・ルイス・メンケン アーヴィング・ウォレス
ジョン・ドス・パソス ジョン・オハラ
リチャード・ライト フィンリー・ピーター・ダン
マーガレット・ミッチェル ルイス・ブロムフィールド
エドナ・ファーバー マッキンレー・カンター
ダシール・ハメット バーナード・ショー
E.S.ガードナー H.G.ウェルズ

20世紀前半アメリカ大衆文化の証言

映画、野球、ボクシング、ミュージカル、ジャズ、サーカス、ミステリー、大衆小説などのエンターテインメントから、新しい女性たちの社会風俗、さらには犯罪まで、『リバティ』は20世紀前半のアメリカの大衆文化と社会風俗を活写しています。

空前の繁栄に沸いた20年代から大恐慌に見舞われた30年代を経て戦中戦後の40年代まで、現代アメリカの大衆文化の証言者として『リバティ』は不朽の価値を持っています。

(センゲージ ラーニング株式会社)

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