International Herald Tribune 1887-2013とは
International Herald Tribune 1887-2013は1887年の創刊から2013年10月までの『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』の記事を搭載するデータベースです。
創刊当初の紙名は、『ニューヨーク・ヘラルド』ヨーロッパ版、その後『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』ヨーロッパ版を経て、『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』へ変更されました。電子化に際しては原紙を直接スキャニング、OCR処理を施し、フルテキスト検索を実現しています。ナチスドイツ占領期の1940年6月12日から1944年12月21日までは発行が停止していたため収録されていません。また一部権利関係により、不掲載の記事があります。
『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』(IHT)を継承する形で現在の『ニューヨーク・タイムズ』(NYT)国際版が発行されたため、IHTは以前からNYT 国際版として発行されてきたと見なされることがありますが、IHT がNYTと記事を共有するのは、NYT がIHT の100% 親会社になった2002年以後のことで、それ以前のIHT はNYT が共同所有者だった時代を含め、独自の編集体制の下で発行されてきました。
20世紀における世界のアメリカ化と異文化に対するフランスの態度の変化を克明に記録
19世紀末パリで創刊されたIHTは、世紀末、ベルエポックから二つの大戦を経て、米ソ冷戦、ポスト冷戦時代まで、パリからフランスとヨーロッパと世界を観察しました。当初、少部数で発行された新聞は、第一次大戦後パリを訪問するアメリカの実業家、文化人、旅行者が増加するのに伴い発行部数を増加させます。
第二次大戦後はアメリカの覇権の下、アメリカの視点からヨーロッパと世界の出来事に切り込み、パリ以外にも製作・販売拠点を拡大、世界のアメリカ化、英語化に伴い160カ国以上で販売されるグローバルな新聞に成長しました。
20世紀前半はアメリカ人などの異邦人を魅了していたフランスも、20世紀後半には異文化に対する姿勢に変化が見られるようになります。政治の世界では、ド・ゴール時代にアメリカとは距離を置いた独自外交を進める一方で、文化のレベルではマクドナルドに代表されるアメリカ文化が日常生活のありふれた光景になります。
IHTは、20世紀における世界のアメリカ化と異文化に対するフランスの態度の変化を克明に記録しています。
多彩なコラムや執筆陣
IHTの歴史には、多彩なコラムや執筆陣が名を残しています。
- 戦間期のセーヌ左岸カルチエ・ラタンを紹介した”In the Latin Quarter” や”Latin Quarter Glimpses”
- エリオット・ポール(Elliott Paul) やユージン・ジョラス(Eugene Jolas)ら戦間期パリのアメリカ人作家
- 大西洋単独飛行でパリに降り立った直後のリンドバーグへの単独インタビュー
- 30年代、ドイツ、イタリア、ソ連からファシズム、共産主義の動向を伝え、ドイツのソ連侵攻を予測した伝説的特派員ラルフ・バーンズ(Ralph Barnes)
- 80年代以降多くの時評を寄せたヘンリー・キッシンジャー
- 1960年代以降40年以上に亘りコラムの連載を続けたウィリアム・パフ(William Pfaff)
- ”Paris After Dark” や”Art Buchwald” で半世紀以上に亘りユーモア溢れるコラムを書き続けたアート・バックウォルド(Art Buchward)
- ”Our Times in Rhyme” で韻文形式による時評という新境地を開拓した詩人ポーリン・クロフォード(Pauline Avery Crawford)
- スポーツ関係のコラムニストで、劇作家ユージン・オニールを魅了したスパロー・ロバートソン(Sparrow Robertson)
- “Today and Tomorrow”のコラムを長期連載したウォルター・リップマン(Walter Lippmann)
- ”Inside Europe”などインサイド物で名高いジョン・ガンサー(John Gunther)
- 30年代後半”On the Record”で時事問題にシャープに切り込んだドロシー・トンプソン(Dorothy Thompson)
- 30年代のスタヴィスキ疑獄事件に端を発するパリの大暴動を間近で観察したウィリアム・シャイラー(William Shirer)
- ロバート・キャパとともにソ連を訪問、探訪記を寄稿したジョン・スタインベック
- ラジオやテレビなどメディア批評の分野で一時代を築いたジョン・クロスビー(John Crosby)
- ファッションを批判的に取り上げ、ファッション批評の新境地を開拓したアイベイ・ドーシー(Hébé Dorsey)
IHTは、1930年代ファシズムに宥和的な論調に傾きました。しかし、紙面がファシズム一色に染まったわけではなく、バーンズやトンプソンやシャイラーなど反ファシズムの立場のコラムも同時に掲載されました。この時代のIHTには、共産主義に対する防波堤としての役割をファシズムに期待する世論とファシズムにおける自由の抑圧を批判する世論が相克した時代状況がそのまま映し出されています。
バナー・ヘッドラインと写真を使い、映像の時代に相応しい紙面作りを追求
『ニューヨーク・ヘラルド』国際版時代のIHTを見てすぐに目に止まるのは、その大胆な紙面作りです。『ザ・タイムズ』、『テレグラフ』、『デイリー・メール』など、同時代のイギリスの新聞が一面に広告を掲載していた時代に、IHTは一面にバナー・ヘッドラインを使い、トップニュースが一目で分かるような紙面作りを行ないました。20世紀初頭、映画の到来を前に、新聞人たちは新しい紙面作りを追求しました。大胆な見出しと写真を多用したIHTの紙面は、映像の時代20世紀に相応しい新聞の見本とも言えるものであり、国際的な新聞というイメージも手伝い、映画人によっても注目され、しばしば映画の中で使われてきました。
1909 マリネッティ、仏紙『フィガロ』に未来派宣言を発表
未来派の詩人マリネッティと批評家ハーシュがパリのパルク・デ・プランスで決闘(April 17, 1909)
1909 ディアギレフのロシアバレエ団、パリデビュー
シャトレ座でのアンナ・パブロワとニジンスキー(June 5, 1909)
1912 豪華客船タイタニック号沈没
「タイタニック号ニューファンドランド沖で沈没、情報は錯綜、大惨事の恐れ」(April 16, 1912)
1913 ストラヴィンスキー『春の祭典』、シャンゼリゼ劇場で初演
「演奏中一部の聴衆が激しく不満の意思表示を行ない、騒ぎが拡大し照明が灯され、静寂が戻ると照明が消された」(June 3, 1913)
1913 藤田嗣治渡仏
「フジタ氏は4 年前からパリに滞在する日本人画家で、その独創的で力強い画風は本物の個性を示している」(November 27, 1918)
1914 オーストリア皇太子夫妻サラエボで暗殺、第一次大戦へ
「オーストリア皇太子フェルディナント大公と皇太子妃、サラエボをパレード中に暗殺」(June 29, 1914)
1915 イギリス客船ルシタニア号、ドイツ軍潜水艦により撃沈
100人以上の自国民が乗っていたアメリカではドイツ非難の声が高まった(May 8, 1915)
1917 ダンサーのマタ・ハリ、スパイ容疑で銃殺刑
「オランダのダンサー、マタ・ハリはスパイ活動と敵国への内通により昨日朝、ヴァンセンヌで処刑された」(October 16, 1917)
1917 ロダン死去
「ロダンの死により、フランス精神の最も剛健で男性的な側面を体現する人物をフランスは喪失した」(November 18, 1917)
1918 第一次大戦終結
「月曜日朝5 時40 分に休戦合意、11時に交戦状態を停止」中央の肖像画は「連合軍を勝利に導いた男たち」として、中央にフォシュ元帥(仏)、左下から時計回りにアルベールベルギー国王、ダグラス・ヘイグ元帥(英)、ジョン・パーシング将軍(米)、アルマンド・ディアス将軍(伊)(November 12, 1918)
1919 ヴェルサイユ条約調印
左側の写真はヴェルサイユ宮殿鏡の間での調印式、右側の写真は会場を後にするドイツ全権代表団(June 29, 1919)
1919 シルヴィア・ビーチのシェイクスピア・アンド・カンパニー書店
「パリの書物愛好家ならシェイクスピア・アンド・カンパニー書店を見逃すはずはあるまい」(December 23, 1920)
1922 ジ ェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』、シェイクスピア・アンド・カンパニー書店から限定出版
「話題の書、ジェイムズ・ジョイス著、シェイクスピア・アンド・カンパニー書店、豪華版1,000 部限定」(April 17, 1922)
1922 ムッソリーニ、イタリア首相に就任
経済を好転させ欧州で最も安定した国家を築いたと、社説で首相就任10 周年にムッソリーニを賞賛(October 27, 1932)
1925 ジョセフィン・ベーカー、シャンゼリゼ劇場でパリデビュー
パリに到着した黒人ダンサー一団の中心スターとしてジョセフィン・ベーカーを紹介(September 24, 1925)
1927 リンドバーグ、大西洋単独飛行に成功
パリで熱狂的歓迎を受けた後、アメリカ大使館に身を潜めていたリンドバーグを探し出したラルフ・バーンズ記者は単独インタビューに成功した(May 22, 1927)
1928 ガーシュイン『パリのアメリカ人』作曲
ニューヨーク・フィルと『パリのアメリカ人』を演奏し、指揮者デビュー(September 9, 1929)
1933 スタヴィスキ疑獄事件
「パリの暴徒議会を襲撃、軍出動」政界疑獄事件を発端とする大暴動は2 年後の人民戦線内閣成立の契機となった(February 7, 1934)
1934 ヘンリー・ミラー『北回帰線』パリのオベリスク出版より刊行
「ジョイス『若き芸術家の肖像』以来最も鮮烈な作品」とのハーバート・リードの推薦文付き(September 16, 1935)
1938 ナチスドイツ、オーストリアを併合
今や既成事実であるとして、社説でナチスドイツによる併合を追認(March 14, 1938)
1938 ミ ュンヘン会談で対独宥和政策が頂点に。ドイツ、ズデーテン地方を併合
ヨーロッパの新しい時代の到来を告げるものであると、社説で会談の成果を歓迎(October 1, 1938)
1938 ドイツでユダヤ人への迫害(水晶の夜事件)
「反ユダヤ主義の波ドイツを席巻、警察が傍観する中シナゴーグが放火炎上」(November 11, 1938)
1939 第二次大戦勃発
「ドイツ軍、ポーランドを侵攻、フランスとイギリス総動員命令」(September 2, 1939)
1944 パリ解放、発行再開
ポーリン・クロフォードが発行再開初日に寄せた詩(December 22, 1944)
1945 ナチスドイツ無条件降伏
「目撃者が語るベルリンの廃墟」「ナチス無条件降伏」写真は勝利に歓喜するタイムズスクエアの群衆(May 8, 1945)
1947 アメリカ封じ込め政策
封じ込め政策を理論的に基礎付けたジョージ・ケナンのX 論文に対するリップマンの批判的検討( September 2, 1947)
1947 創刊60周年
トルーマン大統領の祝電(October 5, 1947)
1948 スタインベック、A Russian Journal連載(写真キャパ)
ロバート・キャパとともに2ヶ月ソ連に滞在、普通の市民の日常生活を観察した(January 14, 1948)
1948 ボ クシングのタイトルマッチでフランス人のマルセル・セルダン、アメリカ人のトニー・ゼールを倒す
セルダンの勝利の知らせにパリ市民はパリ解放以来とも言える歓喜に沸いた(September 23, 1948)
1949 コカコーラ、パリで販売開始
「発売はパリ市民が気付かないほど控えめだった。コカコーラの担当者いわく、『フランス人はアメリカ流宣伝には反応しません。私たちはフランス人をアメリカ化しようとしていると思われたくないのです』」(December 31, 1949)
1954 ディエンビエンフー陥落。フランス、インドシナから撤退へ
「56日間の包囲を経てディエンビエンフー陥落」写真はベトナムの外相、副大統領と会談するフランス外相(May 8, 1954)
1957 アート・バックウォルドのコラムArt Buchwald始まる
ピカソの大ファンである恋人のためにピカソの署名入りの絵を手に入れて欲しいとのアメリカ人青年の依頼を前回のコラムで紹介。ピカソと食事の約束をしていた写真家が偶然そのコラムを読み事情を説明すると、ピカソはその場で宛名入りの絵を描いた。絵は写真家からバックウォルドに届けられ、コラムで紹介された。(February 25,1958)
1958 フランス、ナボコフ『ロリータ』を発行停止処分
「良俗に反する」として発行停止に。『チャタレイ夫人の恋人』も同様の処分を受けた(December 5, 1958)
1960 フランス初の核実験
「サハラでのフランスの核実験、世界の批判を招く」(February 15, 1960)
1963 ド・ゴール、イギリスのEEC加盟申請を拒否
イギリスのEEC 加盟を拒否し、アメリカに対してはミサイル供与の申し出を撥ね付け、独自外交を追求した(January 15, 1963)
1963 アメリカでモナ・リザ展
アメリカでの展示はアンドレ・マルロー文化大臣の肝入りで実現した。写真はお披露目会でのマルロー夫妻とケネディー大統領夫妻(January 10, 1963)
1968 パリ5月革命
「パリの暴動、最悪の暴力に発展」学生の反乱は労働者のゼネストに発展、翌年のド・ゴール退陣の契機となった(May 25-26, 1968)
1972 マクドナルド、フランスに一号店
フランスの典型的な郊外の町クレライユにオープン。記事は、開店を待ちかねてパリから来たフランス人少女たちの無邪気な様子を伝えている。(September 6, 1972)
1989 フランス革命200周年
「壮観なパレード。フランス、革命200 周年を祝う」写真はシャンゼリゼ通りを行進する共和国親衛隊(July 15-16, 1989)
(センゲージ ラーニング株式会社)
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