The Telegraph Historical Archive はイギリスの高級紙デイリー・テレグラフの創刊号から2016年までの記事を原紙に忠実に再現、全文検索を実現したデータベースです。また、1961年創刊の日曜版サンデー・テレグラフも2016年まで収録します。
ペニー新聞のパイオニアから発行部数最大のイギリス高級紙へ
デイリー・テレグラフは、印紙税が廃止された1855年創刊されました。
印紙税廃止後に発刊が続いた安価な新聞はペニー新聞と呼ばれましたが、デイリー・テレグラフはペニー新聞を代表する新聞です。テレグラフの低価格路線は広範囲の社会階層に新聞をもたらし、創刊10年後には、新聞界の巨人タイムズを発行部数で追い抜き、その後は世紀末に大衆紙デイリー・メールが創刊されるまで、自他共に認める発行部数最大の新聞として、一時代を築きました。
ペニー新聞の誕生
創刊から3ヶ月後、価格を2ペンスから1ペニーに下げることを読者に告知。~ September 17, 1855 ~
「発行部数最大の新聞」
発行部数が50 万部を超えたことを読者に告知。新聞界の巨人タイムズをも凌ぐイギリス新聞の発行部数を誇る新聞にまで成長した。~ January 1, 1886 ~
20世紀に入ると、大衆紙との競争に晒されたテレグラフは一時的に低迷しますが、1937年に1772年創刊のモーニング・ポストを買収、第二次大戦前夜、チャーチル入閣を支持した時、発行部数を急増させます。以後、現在に至るまでイギリス高級紙では最大の発行部数を維持しています。
ジャーナリズム界の寵児ジョージ・サラ
後発の新聞としてイギリス新聞市場を勝ち抜くため、テレグラフは低価格路線だけでなく、内容面でも新しい試みを実践する必要がありました。19世紀においてそれを体現した人物がジョージ・オーガスタス・サラ(George Augustus Sala)です。サラは、世界各地を飛び回り、リンカーン、ナポレオン3世、ガリバルディといった時の人へのインタビューを果敢に試み、その独特の文体とともに、テレグラフの看板記者としての名声を得ただけでなく、ジャーナリズムの新境地を切り開きました。インタビュー記事の導入、ヘッドラインの多用、読者を意識したリーダブルな文体等の特徴は、保守的な文人マシュー・アーノルドから「ニュー・ジャーナリズム」の名の下に批判されますが、これらの要素は、その後のデイリー・メールらの大衆紙の試みを先取りしたものでした。
Punch Historical Archiveより
~ August 27, 1881 ~
ジャーナリズム界の寵児ジョージ・オーガスタス・サラ
アメリカ、アルジェリア、イタリア、ドイツ、ロシア、スペイン、オーストラリア、ニュージーランドと、ジョージ・オーガスタス・サラはテレグラフの特派員として世界各地を赴き、リンカーン、ナポレオン3世、ガリバルディ、ローマ教皇ら世界の要人にインタビューを試みた。それまでの新聞界にはないタイプの新しいジャーナリストであった。
~ (左) January 2, (中) 1864, May 2, (右) 1865, June 26, 1866 ~
チャーチルとの半世紀以上に及ぶ関係
デイリー・テレグラフの歴史の中で、最も深い関わりを持った人物を挙げるとすれば、おそらくウィンストン・チャーチルでしょう。両者の関係は、チャーチルがまだ無名の20代の頃、インド北西部の英軍軍事作戦に青年将校として従軍して記事を寄稿して以来、半世紀以上にも及びました(1937年に買収したモーニング・ポストもチャーチルが寄稿した新聞です)。中でも、第二次大戦前夜、ヒトラーに対するチェンバレン内閣の融和政策にチャーチルが反対の声を挙げたとき、テレグラフはいち早く支持を表明、チャーチル首相就任のための世論を喚起しました。ジャーナリストチャーチルを世に送り出し、政治家チャーチルを側面から支援テレグラフは、チャーチル一個人だけでなく、チャーチルが体現した政治理念やチャーチルを支持した社会階層を考察する際に格好の資料です。
(左) ジャーナリストチャーチルの誕生
チャーチルはインド部族の反乱を鎮圧する軍事作戦に従軍記者として参加した。~ November 9, 1897 ~
(右) チャーチル入閣キャンペーン
チェンバレン首相の対ドイツ宥和政策に反対するテレグラフは、チャーチルの入閣を求めるキャンペーンを展開した。~ July 5, 1939 ~
(左) 第二次大戦回想録
連載開始の告知~ October 22, 1953 ~
(右) テレグラフ創刊100 周年
チャーチルの寄稿~ June 29, 1955 ~
チャーチル追悼特集
~ January 25, 1965 ~
チャーチルの葬列を見送る群衆の列
~ January 28, 1965 ~
多彩な記者、外国特派員
ジョージ・サラ、チャーチルの他にも、デイリー・テレグラフは多彩な記者、外国特派員によって支えられました。19世紀末に編集長を務めた詩人で東洋学者のエドウィン・アーノルド(Edwin Arnold)、普仏戦争のときドイツ軍のパリ入場を他紙に先駆けて報じたジョン・メリー・ル・サージュ(John Merry Le Sage)、19世紀末のアルメニア人大虐殺を報じたエミール・ジョセフ・ディロン(Emile Joseph Dillon)、20世紀前半の名物コラムニスト、ジョン・ベンジャミン・ファース(John Benjamin Firth)、第一次大戦時の英軍のガリポリ作戦を克明に伝えたエリス・アシュミード-バートレット(Ellis Ashmead -Bartlett)、第二次世界大戦の火蓋を切ったドイツ軍のポーランド侵攻をスクープしたクレア・ホリングワース(Clare Hollingworth)、さらには論説委員のマルコム・マッゲリッジ(Malcolm Muggeridge)、演劇評のクレメント・スコット(Clement Scott)、文芸批評・建築批評のジョン・ベッジュマン(John Betjeman)、ジャズ批評のフィリップ・ラーキン(Philip Larkin)、訃報記事のヒュー・モンゴメリー・マッシングバード(Hugh Montgomery Massingberd)ら第一級の記者、ライターがテレグラフを支えました。
イギリス高級紙最大級の発行部数を維持する『デイリー・テレグラフ』の魅力を伝えるデータベース、The Telegraph Historical Archiveをぜひご利用ください。
(センゲージ ラーニング株式会社)
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