人文社会系研究

【連載】JKBooks『WEB版 天皇皇族実録』ついにリリース!:第二回 Web版製作にあたって苦労したこと

2022.11.21

2022年9月よりJKBooksの新商品として『WEB版 天皇皇族実録』(ゆまに書房)の提供を開始いたしました。WEB版公開にあたり、『天皇皇族実録』の魅力を三回にわたってご紹介いたします。前回の第一回目では「天皇皇族実録とは何か」についてご説明しました。続く今回の第二回目は、「Web版製作にあたって苦労したこと」をご紹介させていただきます。

綱文数5万4千件!

Web版では、天皇皇族実録の綱文をすべてテキスト化いたしました。2022年9月にリリースした第1期は、神武天皇から安徳天皇までを収録していますが、綱文の数は5万4千余件あります。人間の目や頭で簡単に把握できる数ではなく、チェック作業などは、骨が折れました。

書籍版の監修者である吉岡眞之先生(国立歴史民俗博物館名誉教授)と藤井讓治先生(京都大学名誉教授)のお二人と、さらに北啓太先生にも監修をお引き受け頂けることとなりました。北先生は宮内庁書陵部の編修課長、宮内庁正倉院事務所長、宮内庁京都事務所長を歴任されていた方です。Web版を作成するにあたって確認が必要な事項についてはすべて先生と相談し、方針を決定いたしました。

たくさんの「某」さん

『天皇皇族実録』には、3千人を越える天皇や皇族が並んでおりますが、「某」と呼ばれる人達が少なからず載っています。生まれてすぐ、あるいは幼くして亡くなった皇子、皇女、皇孫、皇孫女たちです。また、身分の低い家から後宮に迎えられた女性たちも多くは「更衣源氏」「藤原氏」など出自で記されたり、あるいは「某」などと記されていたりします。こうした「某」さん、「藤原氏」さん、「源氏」さんなどは慎重に一人一人綱文と紐づけを行いました。名前の残らなかったことはちょっと残念ですが、逆に言えば、この『天皇皇族実録』を編纂した人たちは、名前の記録の無い皇族までよくぞ調べたと思います。『天皇皇族実録』のその背骨は偉大な名簿であったと納得しています。
なお、作業中にいろいろ発見がありました。宇多天皇の「皇孫女某」は、通称「中務」と言い三十六歌仙の一人で、長生きをした人です。白河天皇の後宮の「某」の中には天皇晩年の寵妃である祇園女御がいました。

「本名」表記について

綱文は昭和11年に書かれたものですので、「空海」「藤原道長」「平清盛」「源頼朝」「藤原定家」など、歴史上の人物は本名で登場しています。例えば下記の例ですと、根拠となる史料である吾妻鏡には、「武衛」としか記述されていませんが、綱文には「源頼朝」と記述されているので、「源頼朝」と検索すれば、こちらの記述を発見するができ、大変便利です。

見分けが難しい文字

昭和11年に脱稿した『天皇皇族実録』の綱文は、漢字仮名交じり文で書かれています。仮名はカタカナが使われており、文語体で、歴史的仮名遣いとなっています。綱文がカタカナ表記であるため、カタカナの「ト」と漢字の「卜」(ボク)など、見分けが難しい文字は、人の目で一つ一つチェックしました。その作業でわかったのは、「卜」(ボク)がたくさんあることです。
「卜」(ボク)がはじめて現れるのは、崇神天皇7年に「八十万神ヲ集メテ其故ヲ卜問」をしたという記述です。それから時々現れますが、天武・持統朝あたりで、陰陽寮が設けられ、その後、「卜」は多くなります。そして朱雀天皇の時から現れる「軒廊御卜」(こんろうのみうら)がその後盛んに行われるようになります。紫宸殿の一角で行われたようです。災害、天候不順、天皇の健康、怪異現象等々について原因をあきらかにし、対策のなども授けられるようです。この占いはどうやら中世も盛んだったようで、調べていくことで日本人の発想や日本文化を探る手立てとなりそうです。

検索時同一視問題について

固有名詞において表記が異なる場合が多々ありますが、ある程度の表記の異同もお互いに検索した場合出るように工夫いたしました。例えば、「太宰府」と表記されている場合と「大宰府」と表記されている場合がありますが、どちらで検索してもヒットします。

但し、だからと言ってすべてを括って検索が便利かというとそうではありません。例えば、お寺の名前です。全国各地、寺院はたくさんあり、「園城寺」「園成寺」「円城寺」「円成寺」は、みな「おんじょうじ」と読みますが、すべて括ると異なる寺も入ってきてしまうので、あえて、一まとめに括ることはしませんでした。「かるのみこ」も複数名おり、「珂瑠皇子」「軽皇子」を一まとめにはしていません。「新嘗祭」と「新嘗会」は別物ですので、あえて区別しています。別々に検索するか「新嘗」で検索して頂く必要があります。

誤植なのか?

単純な誤植も含め、問題がある語句や記述については、すべて監修の先生に伺うことにしております。『堀河天皇実録』の永長2年8月25日の記述に「二十五日、春季御読経アリ」とあります。素人目には、8月(秋)なのに「春季御読経」とはと、「?」マークがつきますが、北先生に伺うと、実際には「季御読経(きのみどきょう)は春・秋の2回行うことになっており、春の「季御読経」が遅れて行われたということで、遅れることは多々あったということでした。このように今回のデータ化にあたっては慎重に作業を行っております。

正字・異体字・作字

漢字は、原則として常用漢字に直しましたが、『天皇皇族実録』は戦前に編修された史料で、古代の皇族・皇妃などに使われている漢字は種々様々です。検索の便宜を考えると、なるべく作字にはしたくないので、代替文字をJIS漢字コードの第3水準、第4水準に直せるかどうかが思案のしどころでした。例えば、垂仁天皇の妃で開化天皇の曾孫に「●瓊入姫命」いう方がいます。この方は12回も綱文に登場します。●部分は「竹かんむりに左側〈角〉右側〈力〉」で表される時と、「草かんむりに左側〈角〉右側〈力〉」で表される時があります。

『日本書紀』では「アザミニイリ」というルビが振られています。北啓太先生に伺い、下記のように致しました。「竹かんむりに〈角〉+〈力〉の字は「筋」の俗字です(大漢和8巻828ページ)。『岩波古典文字大系日本書紀』の校異を見ると、写本の多くには「筋」とあるようで、「筋」は一方では「薊」(あざみ)にも通じるようで、岩波本は「薊」の字を当てていたようです。一方、旧国史大系では「筋」になっています。ここ『天皇皇族実録』の綱文データベースでは、以上を確認してくださった上で原本通りの形(つまり作字)に致しました。

次回、第三回目(最終回)は「『WEB版 天皇皇族実録』の機能や検索するときに気を付けていただきたい点について」をご紹介いたします。

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(紀伊國屋書店 デジタル情報営業部)