人文社会系研究

【連載】歴史ドラマ時代考証担当者と現役大学院生が語る『ジャパンナレッジ版 史料纂集・群書類従』活用法 第3回

2025.03.21

2025年1月10日に、JKBooks「Web版史料纂集第3期」がリリースされました。リリース約2カ月前の2024年11月21日に図書館総合展で、大学院生の百瀬顕永氏、歴史ドラマ時代考証担当者の大石泰史氏をお招きしフォーラムを開催しました。※

本連載では、そのうちの一部を編集、抜粋してご紹介します。連載第3回は歴史ドラマ時代考証担当者の大石泰史氏の講演の様子をお届けします。「ジャパンナレッジ版 史料纂集・群書類従を使った時代考証のススメ」と題し、歴史ドラマのリアリティーがどのように作られていくのかを、オンラインデータベースの活用方法も交えながら、お話しいただきました。どうぞお楽しみください。

なお第1回・第2回目までの記事はこちらよりご覧いただけます。

※本フォーラムの動画はこちらで公開しております。

【大石泰史氏】戦国大名の今川氏を中心に東海地域の戦国時代の研究を継続的に行う。「おんな城主 直虎」(NHK)の時代考証、「麒麟がくる」(NHK)、「どうする家康」(NHK)、「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(NHK)の古文書考証など、歴史ドラマの時代考証・古文書考証を数多く担当。

「ジャパンナレッジ版 史料纂集・群書類従を使った時代考証のススメ」

古文書考証とは

Web版「史料纂集」・「群書類従」を使って、どのような時代考証・古文書考証が可能になるのかということをお話しさせていただきたいと思います。

時代考証と古文書考証がどういうものかご説明しますと、まず、歴史ドラマを制作する際には時代考証というものが存在していました。これはその歴史ドラマの中のすべてが、舞台である時代にマッチしているのかどうかをチェックするというものでしたが、近年は文章や文字に特化した考証も行われるようになりました。それが古文書考証です。ただ、文字表現というものには限界がございます。今でもしゃべり言葉・書き言葉というようなものがありますが、手紙等に書かれている言葉は当然のことながら書き言葉です。古文書考証では、主に歴史上の書き言葉を理解したうえで、時代によってどのような表現がなされていたかといったことを考慮し、それを文字に表して映像に反映させています。

例えば、誰それが自殺したという意味合いの言葉として、時代劇などでは「自害」といったシーンが言葉とともによく出てきます。その際、現代人である私たちは「切腹」、腹を切るというような意味を想起しやすいと思います。ですが、実際に中世に書かれた手紙(古文書)には、ほとんど「自害」や「切腹」という言葉は出てまいりません。自殺したという意味合いの言葉としては、「生害(しょうがい)」もしくは「相果(あいはて)」といった文言で文書の中に出てまいります。しかし、中世を舞台とした歴史ドラマの中で、「生害」や「相果」という言葉が出た時に、視聴者が咄嗟に意味を理解していただけるかとなりますと、やはり難しい。

ドラマ制作者側の思いとしては、やはり視聴者が理解しやすい「自害」や「切腹」と言う言葉を使いたいので、考証担当者としてはその言葉を使用することに問題がないかを考えます。Web版「史料纂集」・「群書類従」等を使って「自害」「切腹」という言葉を調べてみますと、中世に書かれた日記や記録類(古記録)では、それらの「自害」や「切腹」という言葉も、一応使われていることがわかります。つまり、手紙(古文書)ではあまり使われていないものの、日記(古記録)等では使われているので、当時言葉としては存在していなかったわけではないことがわかります。つまり、ドラマで使用しても許容できるという判断となり、視聴者が瞬時に見てわかるという点を重視し、あえて「自害」を使っているのだということを、ご理解いただければと思います。

 

 

Web版「史料纂集」で考察する中世の「封式」

ところで、中世は「礼」というものを重視していた時代でありました。礼とは「社会の秩序を保ち、人間相互の交際を全うするための礼儀作法・制度・儀式・文物など」(日本国語大辞典)のことをいい、これは織田信長・豊臣秀吉・徳川家康という中世最末期の人たちもそれに縛られていた「規則」のようなものでした。

それは文字の世界にも存在しています。文字に対する礼は「書札礼(しょさつれい)」と呼ばれており、パッと見て皆さんにもすぐにわかる点として「封式」などが知られています。「封式」と申しますのは、「文書・箱・袋などの閉じ方、ふさぎ方」(日本国語大辞典)のことで、要するにどのような形状で文書が送付され、それが現代まで留まっていたのかというものです。現代でも、手紙を出す時には封筒に入れる習慣がありますが、中世でも同様に、文章の書かれた紙(これを「本紙(ほんし)」と呼びます)とは別の紙に手紙を包んで相手に届けていました。ジャパンナレッジLibに収録されている『国史大辞典』で封の方法を見ていくといくつか事例が提示されています。まず以下が「折封(おりふう)」というものでして、これは多くの戦国大名が使用していたものですので、残存量が非常に多いと言われています。

「封の方法」―『国史大辞典』(吉川弘文館)ジャパンナレッジLibより

ただ、単に包んでいるだけですと、手紙を届ける過程で第三者が中身を覗きやすいというデメリットがあります。こうした無関係の人に手紙を読まれるのを避けたいということで、覗かれにくくするために当時の人たちが作成した封の方法に「切封(きりふう)」や「捻封(ひねりふう)」などといったものもあります。

「封の方法」―『国史大辞典』(吉川弘文館)ジャパンナレッジLibより

このような封の形を見れば、手紙の発信者と受け取り手の身分差もわかるということがあります。実際に、Web版「史料纂集」を使って、手紙を送る相手によって「封」がどのように使いわけられているのか調べてみようと思います。とは言いましても、いまはジャパンナレッジに搭載されている『史料纂集』はまだ室町時代、戦国時代も前半のものに限られております。さらには現在検索できる史料に出てくる人物たちというのは、やはり貴族が非常に多くなっておりますので、そういった時代性、階層というようなものにも縛られることはご了承ください(※編集注:2025年1月にWeb版「史料纂集」3期がリリースされ、現在は江戸初期までカバーするようになりました)。

こうした条件を踏まえてジャパンナレッジで改めて調べてみたところ、非常に興味深いことがわかりました。まず、戦国大名が多く使用していた「折封」ですけれども、それを貴族が使用した事例は、一件も検索されないということがわかりました。その一方で、「切封」の方がどちらかというと多く使用されています。つまり、Web版「史料纂集」の調査結果から、武士は「折封」、貴族は「切封」を用いる傾向があるという推測が成り立ちます。

左:Web版「史料纂集」で「折封」を検索した結果
右:Web版「史料纂集」で「切封」を検索した結果

貴族は「切封」を用いる傾向があると仮定した上で、更に「切封」がどのように用いられていたのか調べてみましょう。室町時代後期の貴族である三条西実隆(さんじょうにし・さねたか)の日記、『実隆公記(さねたかこうき)』と呼ばれる史料があります。これは、戦国時代の前期における当代随一の文化人とされた三条西実隆の日記で、東京大学史料編纂所が原本を所有しています。この史料は、もともと実隆宛に書状=手紙等が届けられたものの、当時は紙が貴重であったため、その裏面を彼が日記として使用し、その状態のまま現代に遺されたものです。そのため、日記に用いられる紙の裏=紙背(しはい)の文書は、戦国時代に実隆宛として発給された文書であることが明らかです。それを対象に「切封」という文字を探してみると、1,117件ヒットしました。

Web版「史料纂集」で『実隆公記』を指定し「切封」を検索した結果

ただ、その「切封」には上記検索結果のように、「ウハ書」と記された箇所を看て取ることができます。この「ウハ書」は「上書(うわがき)」のことで、「切封上書(きりふううわがき)」「切封端裏書(きりふうはしうらがき)」などと記されています。その「上書」というのは、何らかの文字が記載されているというような意味です。『史料纂集』では傍注として示しています。

『史料纂集』では史料原本の体裁がどのようなものだったのか傍注に記載されています。

1件ずつ調べてみますと、ただ「切封」とのみ書かれているものは28件しかありませんでした。

『実隆公記』 「切封」検索結果の内訳
切封ウハ書 1,033件
うち、1件(ウは書き)+1件(判読不能)
切封端裏ウハ書 36件
礼紙切封 10件
うち、2件(切封礼紙)
懸紙切封 3件
うち、1件(切封懸紙ウハ書)+1件(切封礼紙ウハ書)
凡例 5件
端裏切封 2件
うち、1件(編集者注)
切封のみ 28件

この結果を見ると、どうやら「切封」を用いる際には「上書」、文字が書かれるのが当たり前で、文字が書かれていないと逆に不自然だったと考えられます。

「封の方法」―『国史大辞典』ジャパンナレッジLib及び、大石氏のレクチャーを元に作図

今回は『実隆公記』という貴族社会に限定された史料ですが、Web版「史料纂集」の第3期以降で予定されている戦国期の武家文書等が搭載された段階で新たに検索をかけてみれば、さらに詳細なことがわかるかと思います。

宛名の位置、誰に宛てて出すか

冒頭で私たち研究者は、「書札礼」というものを重視するという話を少し申しましたけども、その際には「故実礼書(こじつれいしょ)」というものを見ております。

この「故実礼書」とは『群書類従』の中に入っておりまして、「宗五大草紙(そうごおおぞうし)」、あるいは「大舘常興書札抄(おおだちじょうこうしょさつしょう)」という二冊を主に使用しております。なぜこの二冊を使用するかと言いますと、両者は、伊勢あるいは⼤舘という武家の⼀族がメモをしていたもの、もしくは自身が作成した書状の写しを⼀冊にまとめたもので、16世紀初頭、1520年くらいまでのものを中心に扱っており、おそらく当時の武将たちもそれに類似したものを参照していたであろうことがある程度わかっているからです。

左:Web版「群書類従」『宗五大草紙』大永8年(1528)
右:Web版「群書類従」「大館常興書札抄」成立年不明

まず「宗五大草紙」を見てみますと、非常に興味深いことが書かれております。この本文下の画像の左側に、黄色い四角で囲った枠がございます。ここに「名の書所。上中下の事」と書かれていますが、この「上中下」というのは宛名の高さを示しております。すなわち例文の日付(十月九日)である「十」という文字よりも、宛名が上にあるか、あるいは下にあるか、それとも並んでいるか、ということです。宛名が日付より上に書かれていれば発信者が受け手を上に見ていた、すなわち敬意を示していたことがわかり、逆に下に書かれていれば発信者は下に見ていたということがわかります。

Web版「群書類従」『宗五大草紙』大永8年(1528)

さらにその宛所の上部に、「謹上(きんじょう)」あるいは「進上(しんじょう)」という「上所(じょうしょ)」と呼ばれるものが書かれているかどうかというようなことも私たち研究者は気にしております。「上所」が記載されるということは、それだけで宛名の人物を敬っているのです。

さらにもう一つ、宛名の部分には非常に興味深いところとして、ブルーで囲ったものがあります。「一、同あて所次第の事(おなじく、あてどころしだいのこと)」ということで、これは敬うべき順番の話ということです。そして「第一賞翫(だいいちしょうがん)」というのは、最も敬うべきことというような意味ですが、それは「家人(けにん)」、すなわち家臣の名前を宛名の部分に書くことなのだ、というふうに書かれております。つまり「家人」を宛名にした場合は、相手に対する最大の敬意を示しているというわけです。

よって、私どもがドラマでこういった手紙を用意する場合、宛所の高さ、要するに日付よりも高い位置に書くのか、下の位置に書くのか、あるいは宛所を直接の宛所ではなく、その家の家臣に宛てて出すのか、などを気にしながら作っているのです。

料紙の大きさ

次は文書が書かれた紙そのものについてです。手紙の本文が書かれた「料紙(りょうし)」の大きさや使われ方にも、差出人と受け取り人の関係性が反映されますので、私どもは気を配るようにしています。

例えば「竪紙(たてがみ)」というのは、紙を折ったり、切ったりせずに使う方法です。正式な文書の場合や、目上の人に礼を尽くす時に用いられます。

石塚勝『歴史をひもとく藤沢の資料 別巻中世文書』(藤沢市文書館、2021年)より作図

一方で、紙を半分に折る「折紙(おりがみ)」というのは、略式の文書の場合や、少し気やすい相手に送る時に用いられます。

石塚勝『歴史をひもとく藤沢の資料 別巻中世文書』(藤沢市文書館、2021年)より作図

ですので、手紙を書く際に「竪紙」という形式で書くのか、それとも「折紙」という形式で書くのか、それだけで相手との関係がわかります。つまり、歴史ドラマに出てくる登場人物AからBに手紙を送る場合、そのAよりもBの方が身分が低いのであれば、Aは宛所を低く書き、さらにはこの「折紙」で出してもおかしくないだろうというようなことを、古文書考証では気を配っているということになります。

 

連載第3回目をお届けしました。次回も大石泰史氏による「ジャパンナレッジ版 史料纂集・群書類従を使った時代考証のススメ」の続きをお届けします。

(デジタル情報営業部)

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