※「第二次世界大戦期 難民・強制移動関係文書集について」(センゲージ ラーニング株式会社作成)はこちら
※本稿でご紹介するデータベースRefugees, Relief, and Resettlement Forced Migration and World War IIが、Library Journal誌の選ぶ2020年のBest Reference Databaseの1つに選定されました。
難民の発生と難民問題
ユダヤ民族の歴史を思い出すまでもなく、難民や強制移動は古くから存在していましたが、空前の規模で多くの難民が発生したのは、第一次大戦後に多民族が共存していた帝国が崩壊した後のことです。
1930年代にはナチスやスターリニズムの迫害を逃れ、ユダヤ人をはじめとする多くの人々が生まれ故郷を離れることを強いられました。この経験を経て、難民保護のための制度的枠組が構築されます。1948年の国際人権規約に難民保護の条項が盛り込まれ、1951年には難民の地位に関する条約が成立、また、その前年には国連難民高等弁務官事務所が開設されました。
しかし、ベトナム戦争後のボートピープル、ソマリア、スーダン、エチオピア等のアフリカ諸国の難民、アフガニスタン難民等、内戦や飢饉を原因とする難民の発生は止まることなく、21世紀にはシリア難民、ロヒンギャ難民など、難民問題は国際政治に重くのしかかっています。
アカデミズムの世界での難民研究
アカデミズムの世界に目を向けると、難民が国際政治で注目を集めるのに伴い、難民研究が始まります。
1980年代には学術雑誌が創刊され、以後、論文が増え、概念や方法論を巡る議論が進み、難民研究の学問的土台が整備されます。難民研究は、政治学、国際関係論、法学、経済学、社会学、心理学、人類学、開発研究等の様々な分野を横断する学際的な性格を持つ一方で、現に進行している問題への対処を迫られる必要性から、その関心は政策的、実務的な性格を持つ傾向が強く、難民の歴史研究は立ち遅れました。しかし、労働者、女性、黒人、奴隷、性的マイノリティ、障害者、先住民族など、従来の歴史研究の対象とされることのなかった「忘れられた人々」の歴史を復元する試みが20世紀後半に大きな波を形成する中で、同じく忘れられた人々である難民についても、その歴史研究の必要性が次第に認識されるようになりました。
Refugees, Relief, and Resettlement Forced Migration and World War II
Refugees, Relief, and Resettlement Forced Migration and World War IIは、1930年代から第2次大戦を経て1950年代までの約30年間における難民、強制移動の実情に光を当てるべく、イギリスとアメリカの政府文書や非政府機関の文書を電子化して提供するものです。
データベースの概要
- 時期:1933年~1960年(大半は1935年から1950年)
- 原資料所蔵機関:英国国立公文書館、大英図書館、米国国立公文書館、世界ユダヤ人救済機関
- 機能: ページ送り、画面拡大・縮小、全画面表示、輝度・コントラスト調整のビューワ機能の他、印刷、PDFファイルのダウンロード、OCRテキストのダウンロード、書誌自動生成、書誌情報のエクスポート、メール送信、ブックマーク、Google Drive/Microsoft OneDriveへの保存、検索語に関する文書の主題の分布や検索語の出現頻度を視覚化するTopic Finder
やTerm Cluster等。
英国政府関係資料
- Refugee Records from the General Correspondence Files of the Political Departments of the Foreign Office, Record Group 371, 1938-1950.
〈 英外務省政務局一般書簡ファイル難民記録集(英国国立公文書館FO371)〉
英国国立公文書館が所蔵する外務省文書の中からFO371に収録される政務局一般書簡ファイルの難民関係資料を収録。
- Refugee Files from the Records of the Foreign Office, 1938-1950.
〈 英外務省記録集難民ファイル(英国国立公文書館)〉
- 英国国立公文書館が所蔵する外務省文書の中から、以下のシリーズに収録される難民関係文書を収録。
- ドイツ・オーストリア管理局(Control Office for Germany and Austria)
- 外務省・外務植民地省大使館・領事館、連合国オーストリア委員会(Allied Commission for Austria)
- ドイツ管理委員会(Control Commission for Germany)
- バチカン公使館
- 外務省領事課
- サー・アンソニー・イーデンの非公式文書(Private Office Papers)
- 外務省条約課
- 政治難民に関する政府間委員会(ベランジェ委員会)
- 外務省ドイツ局財務課
- 上記2コレクションにおける難民の対象地域:
イギリス、イタリア、ハンガリー、ノルウェー、アルバニア、フランス、スペイン、ポーランド、ロシア、アラブ、 ドイツ、ギリシア、ルーマニア、ウクライナ、シリア、オーストリア、 ブルガリア、バルト海諸国、アルメニア、エチオピア、 ベルギー、チェコ、ラトビア、ユーゴスラビア、中国
Displaced Persons in the Middle East. Code 48 File 772. 1947. MS Refugee Records from the General Correspondence Files of the Political Departments of the Foreign Office, Record Group 371, 1938-1950 FO 371/66734. The National Archives (Kew, United Kingdom).
- Refugee Records from the War Cabinet, the Colonial Office, the Defence Office, the Home Office and the War Office, 1935-1949
〈 英戦時内閣、植民地省、国防省、内務省、陸軍省難民関係記録集(英国国立公文書館)〉
- イギリスの植民地省の以下の地域に関する書簡:
バハマ、ウインドウォード諸島、タンガニーカ、モーリシャス、 英領ギアナ、リーワード諸島、英領ゴールド・コースト(黄金海岸)、フィジー、英領ホンジュラス、ジブラルタル、ナイジェリア、中東、ジャマイカ、キプロス、北ローデシア、パレスチナ、トリニダード、ケニア、ニヤサランド、西インド諸島、東アフリカ、ソマリランド
- チェコスロヴァキアの難民信託に関する内務省のファイル
- 復興官房局(Reconstruction Secretariat)、英国統合参謀派遣団(British Joint Staff Mission)、中東委員会に関する戦時内閣のファイル他、
- ハンキー卿ら閣僚の文書
- 地中海作戦における連合国軍、本土軍司令本部関係の陸軍省ファイル
Ethiopian Refugees. 1940-1942. MS Refugee Records from the War Cabinet, the Colonial Office, the Home Office and the War Office, 1935-1949 CO 733/424/8. The National Archives (Kew, United Kingdom).
- Refugee Records from the Public and Judicial Department Collections of the British India Office, 1939-1952.
〈英インド省総務・法務局コレクション難民関係記録集(大英図書館)〉
- 英領植民地インドには、第二次大戦中と戦後、アジアやアフリカの難民が避難した。本コレクションは、タイ、ビルマ、中国のほか、旧日本軍占領地域からの難民の苦難を記録する。
Employment and Treatment of Hong Kong Government Employees Evacuated to India (Dec 1943-Jul 1945). December, 1943-July, 1945. MS Refugee Records from the Public and Judicial Department Collections of the British India Office, 1939-1952 IOR/L/PJ/8/423. British Library.
米国政府関係資料
- Records of the Department of State Relating to the Problems of Relief and Refugees in Europe Arising from World War II and Its Aftermath, 1938-1949.
〈 第二次大戦中並びに第二次大戦後のヨーロッパにおける難民並びに難民救援の諸問題に関係する国務省記録集(米国国立公文書館)〉
- 1938年から1949年までのヨーロッパの難民救援に関する米国国務省文書:
医薬品等の救援物資のヨーロッパへの搬送事業を行なう米国赤十字への国務省の支援、占領国の民間人への救済事業、外国救済・復興事業局(Office of Foreign Relief and Rehabilitation Operations)、大統領戦時救済統制局(President’s War Relief Control Board)、国連救済復興機関(UNPRA)、対欧州物資供与機関(ケア)(Cooperative for American Remittances to Europe, C.A.R.E.)による戦後の救援活動、元大統領ハーバート・フーヴァーを大統領飢饉委員会議長とする1946年のヨーロッパとアジア訪問、マーシャルプランに象徴されるヨーロッパ再建における救援事業が取り上げられる。
- ヨーロッパの難民の問題:
初期の文書では、ナチスの迫害から逃れたユダヤ人難民への対応策を協議するため、米国の呼びかけで開催された1938年のエビアン会議など、ユダヤ人難民に対する米国の関心の高さを浮き彫りにする。エビアン会議では、政治難民を救済するための常設的機関の設立が合意され、政治難民のための政府間委員会(Intergovernmental Committee on Political Refugees)の本部がロンドンに創設された。その他の米国政府省庁、米国外の政府、民間機関による救済への取り組みも扱われている。
- 戦後の文書:
共産主義化した東欧からの難民、エビアン会議後にユダヤ人難民の受け入れを表明した中米ドミニカ共和国でのユダヤ人難民の定住、ジャーナリストのリントン・ウェルズ夫妻がフランクリン・ローズヴェルト大統領の要請を受け、ユダヤ人居住地の候補地を探るべく、アフリカを訪問し、アンゴラを推薦するまでの事情、ヨーロッパから世界各地への難民の密航、ユダヤ人のパレスチナへの不法移民、ポーランド亡命政府首相シコルスキとメキシコ政府の間の合意に基づくメキシコのサンタローザでのポーランド人難民キャンプの建設と戦後の閉鎖、ケニアにおける難民キャンプ、ユダヤ人の救援を目的としてローズヴェルト大統領により開設された戦争難民局(War Refugee Board)、ニューヨーク州オスウィーゴのフォートオンタリオにおける緊急難民避難所の開設と閉鎖、ヨーロッパの連合国総司令部における難民と強制移民に関する諮問委員会(Advisory Committee on Refugees and Displaced Persons)の創設、ソ連によるバルト三国の併合に伴う難民のスウェーデンへの避難、第二次大戦終結直後のポーランドとチェコスロヴァキアからのドイツ人の強制退去に伴う問題、戦後における難民の本国帰還、難民に関する政府間委員会の解散等の問題が扱われている。
U.S. State Department Records Related to Calamities, Disasters, and Relief Activities, February 13 1946 File. January 29-February 20, 1946. TS Records of the Department of State Relating to the Problems of Relief and Refugees in Europe Arising from World War II and Its Aftermath, 1938-1949. National Archives (United States).
非政府機関関係資料(世界ユダヤ人救済機関)
- Archives of the Central British Fund for World Jewish Relief, 1933-1960
〈世界のユダヤ人救済のための中央イギリス基金アーカイブ〉
- ヒトラーのドイツ首相就任直後の1933年にユダヤ系イギリス人のグループにより、世界のユダヤ人救済のためのイギリス中央基金(Central British Fund for World Jewish Relief)が創設された。基金はオーストリアとドイツのユダヤ人が置かれた窮状を示す証拠となる文書を入手し、対策の実施をイギリス政府やユダヤ人団体に促す一方で、教授、教員、科学者、弁護士、医者、実業家ら、ナチス政権成立後に解雇されたユダヤ人の亡命支援事業に着手した。その後、ナチスの迫害から逃れた難民やホロコーストの生き残りを支援する活動に従事するが、1939年頃までに基金が枯渇し、金融機関からの当座貸越とキリスト教協議会や内務省からの支援により活動をかろうじて継続した。戦後はユダヤ人難民の財産の原状回復と本国帰還の支援活動も行なった。
- 本コレクションは、同基金の活動全般を記録する。収録資料は同基金の活動を記する他、1938年と1939年のオーストリアにおけるユダヤ人の状態に関するノーマン・ベントウィッチ(Norman Bentwich)の報告書、ベントウィッチとアドルフ・アイヒマンの議論の記録、ドイツのユダヤ人を救済するために世界のユダヤ人社会の代表がロンドンに集まり1933年に開催された会議の議事録、基金の創設に関する記録、1933年5月16日から1962年までの基金幹事会の議事録等の貴重な資料も収録。また、アデン、オーストリア、ベルギー、ブラジル、カナダ、エジプト、フランス、ドイツ、ジブラルタル、ギリシア、インド、アイルランド、ジャマイカ、ケニア、レバノン、モロッコ、オランダ、ニュージーランド、ニヤサランド、ポーランド、ローデシア、ルーマニア、上海、南アフリカ、イスラエル、パレスチナでの基金の活動をカバーする国別ファイルも収録される。
- 非政府機関が難民救済に果たした役割を記録するものとして貴重。
Jewish Relief Newsletters. November, 1945-October, 1949. TS Archives of the Central British Fund for World Jewish Relief, 1933-1960 149. World Jewish Relief.
日本関係文書の例
※すべて、上記の英国政府文書に含まれているものから抜粋。
※以下のタイトルはファイル名です。各ファイルの中に様々な文書が収録されています。
- 第二次英日交換(1942年8月)
- 英日交換̶日本の民間人を運搬する交換船に二人のドイツ人の役人をオーストラリアから乗船させる提案(1943年7月)
- 英日交換̶インドで強制収用された日本人のリスト(1944年)
- 英日交換(1943年12月~1945年9月)
- イ ギリス領における日本の政府役人と特定民間人の避難:第一次英日交換(1941年12月~1948年2月)
- 外国人規制の日本人への適用(1940年7月20日~10月25日)
- 対日戦争発生時の対応(1941年12月6日)
- 外国人規制の日本人役人への影響(1940年5月30日~7月)
- 外国人規制のイギリス国内の日本人への影響(1941年1月21日~2月7日)
- 日本、中国占領地域、タイ、インドシナからの避難(1942年1月19日)
- 連合国国民の日本からビルマへの避難(1941年7月8日)
- 連合国国民の日本からビルマへの避難(1941年7月23日~8月6日)
- 連合国国民の日本からビルマへの避難(1941年8月7日)
- 連合国国民の日本から大英帝国への避難(1941年2月19日)
- 連合国国民の日本から大英帝国への避難(1941年3月3日~3月4日)
- 連合国国民の日本から大英帝国への避難(1941年3月27日~4月)
- 連合国国民の日本から大英帝国への避難(1941年3月26日~4月9日)
- 連合国国民の日本から大英帝国への避難(1941年4月25日~5月8日)
- 連合国国民の日本から大英帝国への避難(1941年5月1日~5月14日)
- 連合国国民の日本とタイから大英帝国への避難(1941年3月18日~3月25日)
- オーストリア系ユダヤ人の日本から大英帝国への避難(1941年8月7日~8月30日)
- チェコスロヴァキア国民の日本からの避難(1941年3月25日)
- チェコ、その他の連合国国民の日本からの避難(1941年4月18日~5月7日)
- チェコ、その他の連合国国民の日本からの避難(1941年5月23日)
- ハンガリー人、ルーマニア人、フィンランド人、日本人の扱い(1941年12月12日~16日)
- ポーランド人の日本からビルマへの避難(1941年8月9日~10月2日)
- ポーランド人の日本からビルマへの避難(1941年8月21日~12月1日)
- ポーランド人の日本からビルマへの避難(1941年11月22日)
- ポーランド人の日本からビルマへの避難(1941年12月2日)
- ポーランド人の日本からニュージーランドへの避難(1941年6月25日~27日)
- ポーランド人の日本からニュージーランドへの避難(1941年7月14日~15日)
- ポーランド難民の日本経由での避難(1941年2月1日~10月20日)
- 三人のリトアニア人の日本からの避難(1941年6月6日~7月8日)
- イギリス人の日本からの全般的避難(1940年10月~1949年9月)
- イ ンドにおける日本人の強制収用:インド及びその他の地域での日本人強制収容所の状態(1941年12月~1946年3月)
- 中国、東南アジア、南西太平洋の占領地域における朝鮮人と日本人(1945年2月9日~3月5日)
- 中国、東南アジア、南西太平洋の占領地域における朝鮮人と日本人(1945年3月4日)
- 中国、東南アジア、南西太平洋の占領地域における朝鮮人と日本人(1945年4月16日)
- 日本、中国占領地域、タイ、インドシナにおけるルクセンブルク国民(1942年1月17日)
- 国際機関へのドイツと日本の加盟と国際会議における両国の代表(1947年5月20日)
- 日本におけるポーランド難民(1941年)
- 日本軍占領地域からのイギリス人の本国送還とイギリス領からの日本人の本国送還:第二次交換(1943年6月~1944年5月)
- 日本人ミリー・ヨシ氏への勾留命令の撤回(1942年2月24日)
- 日中戦争:難民の中国からの避難(1937年8月15日~1938年1月4日)
- 日中戦争:上海の難民への対応(1938年2月2日~11月2日)
- 日中戦争:収容能力の不足による難民入国制限(1938年5月30日~6月1日)
- 日中戦争:中国南部非武装地域における難民収容所設置の提案(1938年6月1日~1939年1月11日)
- 日中戦争:難民(1939年1月17日~12月5日)
- 米日交換(1943年5月~1947年10月)
Evacuation of Poles from Japan to Burma. 22 Nov. 1941. MS Refugee Records from the General Correspondence Files of the Political Departments of the Foreign Office, Record Group 371, 1938-1950 FO_371_29205_W13958. The National Archives (Kew, United Kingdom).
20世紀の前半から半ばにかけての時代は、グローバルな規模で生まれ故郷を離れることを強いられた人々の存在を政治家、官僚、知識人らが意識し始めた難民史の原点となる時代です。Refugees, Relief, and Resettlement Forced Migration and World War IIは、この時代の難民に関する資料を提供する初めての電子リソースです。
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