人文社会系研究

新疆、チベット、雲南、ビルマにおける大国間のグレート・ゲーム

2019.09.25

19世紀後半から20世紀初頭にかけて中国辺境地域で展開された英露両大国間の情報戦、グレート・ゲームの最中、イスラーム教徒の反乱、各国の探検や発掘調査、辛亥革命、第一次世界大戦、ロシア革命以後の新しい国際関係といった様々な動きが起こりました。渦中に置かれた中国、インド、ロシア(ソ連)、新疆、チベット、ビルマ、パキスタン、中央アジア諸国では、国境画定をめぐり、幾多の交渉と紛争が発生します。

センゲージ ラーニング社Galeが提供する“China and the Modern World – Diplomacy and Political Secrets(1869-1950)” は、大英図書館が所蔵するインド省文書のうち、政務・機密部門文書、ビルマ局文書、軍事部門文書の三シリーズの中の中国関係の文書4,204点を精選してご提供するものです。これらの文書は、インド省関係者が新疆、チベット、雲南の各地域に関する情勢を記録、報告した報告書、覚書、書簡、諜報日誌、探検日誌、地図等を収録します。


Routes in Sinkiang. Simla: GSI, 1926. (1926)

  • 収録資料: タイプ打ち文書(フルテキスト検索に対応)、 手稿、地図、写真他
  • 収録資料の期間: 1869年-1950年
  • 言語と総ページ数: 英語、226,000ページ
  • 原資料所蔵機関: 大英図書館
  • 編集顧問: ジョン・キャロル(香港大学歴史学部)、 チ・クワン・マーク(ロンドン大学ロイヤル・ ホロウェイ校歴史学部国際史上級講師)
  • 解説:本データベースのEssays and Resourcesコーナーで提供しています。
    • 「英領インドと中国辺境、1869年-1950年:大英図書館所蔵インド省文書英インド政庁政治・諜報記録集」(アレクサンダー・モリソン、オックスフォード大学ニューカレッジ歴史学フェロー兼チューター)
    • 「インド省文書に見る中国:三つのケーススタディ」(ジョナサン・サハ、リーズ大学)

インド省文書を通して見る外交官、軍人、政治家、探検家、パンディットらの諜報戦

ムガール帝国滅亡後に施行された1858年インド統治法により東インド会社は廃止され、インドはイギリス政府の直接統治下に置かれました。植民地経営は新設されたインド省に継承されます。イギリスは大英帝国繁栄の礎として、植民地インドの維持と防衛に最大限の人的・経済的・軍事的資源を注入しました。

当時、ロシアは中央アジアを支配下に収め、インド北西部への進出の機会を窺っていました。一方で、イギリスは1880年代にビルマ全土を英領インドに併合し、インドの準州とします。これによりインドはインドシナを支配域に収めるフランスとも対峙するようになりました。

この国際関係の中で、イギリスは死活的に重要な植民地インドの周辺地域に緩衝地帯を設けるべく、勢力圏の拡大を試みました。インド周辺地域は、新疆からチベットを経て雲南に到るまで、大半は中国の辺境地域です。この地域は19世紀後半、イスラーム教徒が反乱を起こすなど、政情が不安定になる中で、ヨーロッパ列強は介入の機会を伺っていました。各国から送り込まれた人々はこれらの辺境地域に潜入し、政情を探りました。こうして天山山脈、崑崙山脈、カラコルム山脈、ヒマラヤ山脈の高峰に抱かれた秘境が、俄かに諜報と情報戦が展開する国際政治・外交の最前線となったのです。


TIBET AND THE SURROUNDING REGIONS, Military Report on Tibet. Calcutta: GSI, 1910. (1910-1912) 

また、この時代は、新疆(西域)やチベットの秘境を目指して各国が探検隊を派遣、遺跡の発掘を巡り、国際政治とは別次元での競争が繰り広げられました。しかし、国際政治の諜報活動と学術的な調査活動は無関係であったわけではなく、探検を通じて地図の空白地帯を地図化するという学術的作業は諜報活動を行なう上で不可欠の役割を担いました。

これらの探検や学術調査を支援したのが王立地理学会です。王立地理学会は学術支援に止まらず、グレート・ゲームの立役者でもあります。イギリスのチベット侵攻を指揮したフランシス・ヤングハズバンドが会長を歴任したことにも示されている通り、大英帝国の外交・安全保障に深く関与しました。


Younghusband Report for the Royal Geographical Society, 20 Mar 1918-28 Mar 1918

また、インド各地の測量を行なっていた英インド政庁の測量局は、土地勘があり、現地語に通じた現地の人々を密偵(パンディット)として雇用し、商人や巡礼者に変装させて、辺境地域の測量に当たらせました。

さらに、イギリスやロシアは現地の長老(アクサカル)を協力者として、その人脈を活用し、他国の外交官や探検家の監視に当たらせました。インドと中国の辺境を舞台とする諜報活動は、イギリス、ロシア、フランスの外交官、軍人、中国の政治家、官僚、各国の探検家やプラントハンター、大国が雇ったパンディットやアクサカルら、多種多様な人物によって繰り広げられました。

本アーカイブはインド省文書を通して、新疆、チベット、雲南、ビルマにおける大国の諜報活動、これらの地域の情勢、探検家による遺跡発掘・調査活動を明らかにします。また、中印国境紛争、新疆ウイグル自治区のウイグル族による独立運動、チベットにおける民主化運動等、現在に至るも根本的解決を見ることなく、火種がくすぶる諸問題の種が撒かれた歴史的経緯、さらには、王立地理学会や王立アジア協会などの学術団体とイギリスの外交・安全保障政策との関わりをも明らかにします。

新疆・東トルキスタン

古来、西域と呼ばれた中央アジアはトルコ系民族が多いことからトルキスタンとも呼ばれていました。パミール高原を境に東西トルキスタンに分かれ、そのうち東トルキスタンは18世紀に清の統治下に置かれ、新疆と呼ばれるようになりました。1860年代にはコーカンド・ハン国の軍人ヤクブ・ベクがカシュガルに侵攻し、独立政権を樹立しますが、陝甘総督の左宗棠がこれを破り、清は新疆の治安を回復、新疆省として清朝行政区の中で再編しました。

19世紀末に新疆は列強の領土的関心を引きます。ロシアとイギリスがカシュガルに領事館を設置、ペトロフスキーとジョージ・マカートニーがグレート・ゲームで鎬を削りました。中華民国時代は、不安定な国内政治とロシア革命による動乱の中にあって楊増新の巧みな政治力と外交術により、新疆は平和を維持しますが、1920年代末の楊暗殺後は政治的に不安定になりました。1930年代には再三にわたりイスラーム教徒が反乱を起こし、1940年代には一時期、イスラーム教徒により東トルキスタン共和国が建国されました。中華人民共和国建国後に人民解放軍が新疆に入り制圧、以後新疆ウイグル自治区として現在に至っています。

新疆では各国の探検家が発掘競争を繰り広げました。古代インド文書を入手したハミルトン・バウアー、ニヤ遺跡発掘のオーレル・スタイン、楼蘭の古都とロプ・ノールを発見したスヴェン・ヘディン、トルファン発掘のアルベルト・グリュンヴェーデルとアルベルト・フォン・ル・コック、ヤクブ・ベク統治下のヤルカンドに派遣されたダグラス・フォーサイス使節団、大谷光瑞らの西本願寺探検隊ら、各国の探検、発掘活動は諜報活動と深く関与しながら展開しました。


Part 5 Chinese Turkestan: Travellers; Sir Aurel Stein (1930-1933), 1930-1933

チベット

18世紀以降チベットは清朝の保護下に置かれ、駐蔵大臣がラサに駐在し内政に影響力を及ぼしました。イギリスは19世紀初頭、チベット近隣のネパール、シッキム両王国を保護国化し、チベットを勢力圏に置くことを図ります。イギリスの脅威を前にチベットは清の威信が低下する中、大国ロシアに接近、友好関係を築きます。これを警戒したイギリスは、チベットとの外交・通商交渉が物別れに終わると、1904年フランシス・ヤングハズバンド率いる軍がラサへの軍事侵攻を強行、ラサ条約を締結し経済的権益を確保しました。清朝も趙爾豊率いる軍隊が1910年にラサに入城するも、辛亥革命による清朝崩壊により軍は駆逐され、1913年チベットは独立を宣言しました。


Tibet: Question of Ratification of Convention Which it is Proposed to Negotiate at Lhasa, August 1, 1904

翌年、チベットの地位確認のために英インド政庁、中華民国、チベット代表が会談したシムラ会議では、チベットの自治が確認され、イギリスに有利な形で英領インドとチベット間の国境が画定されましたが(マクマホン・ライン)、中国は調印を拒否、将来に禍根を残します。

イギリス全権代表ヘンリー・マクマホンは2年後、パレスチナのアラブ人居住区に関するフサイン=マクマホン協定を結び、パレスチナ問題の種を蒔くことになりますが、シムラ会議によって撒かれた種は1960年代に中印国境紛争として表面化します。シムラ会議後、チベットはイギリスの影響下に近代化を進めますが、これにはダライ・ラマ13世の相談役として助言を行なった外交官チャールズ・ベルの果たした役割が無視できません。しかし、この関係は中華人民共和国建国後、人民解放軍がラサに入城するとともに終焉を迎えました。

19世紀以来、謎に包まれたチベットはヨーロッパ人の想像力を掻き立て、多くの探検家がラサを目指してチベットに潜入しました。しかし、チベットは門戸を閉ざし、ウィリアム・ロックヒル、アニー・テイラー、スヴェン・ヘディン、ヘンリー・サヴェッジ・ランドーら、多くの欧米探検家はラサを目指しながらも目的を果たすことができませんでした。その後、アメリカ人のウィリアム・モンゴメリー・マクバガンがラサ潜入を果たし、ダライ・ラマに謁見、アレクサンドラ・ダヴィッド=ネールは白人女性として初めてラサ入りに成功しました。


Dr. McGOVERN at Darjeeling

また、仏教学者の河口慧海はすでに1901年に中国人と偽ってラサに密入国し、1年ほどの滞在期間中、ダライ・ラマに謁見しました。それ以前には、河口にチベット語を教え親交を結んだインド人サラト・チャンドラ・ダスが、チベットで測量を行なうべくインド測量局に雇われ、測量術を習得し、チベット入りし、ラサでダライ・ラマに謁見しています。チャンドラ・ダスの他にも、数千キロを踏破し正確な測量を行なったナイン・シンとキシェン・シン、ツアンポー峡谷を探検したキントゥプら、インド測量部に雇われた伝説的なパンディットにより、チベットはその地勢が明らかにされました。

ビルマ・雲南

雲南では、1850年代に回族が清朝に対し反乱を起こし、独立を宣言しましたが、清朝に鎮圧されました。

北東部で雲南に隣接するビルマは、第一次・第二次英緬戦争を経て半分近い国土がイギリスに併合されました。ビルマを支配下に収めつつあったイギリスは、通商路確保のために雲南に関心を示し、インドシナを植民地化しつつあったフランスも雲南への進出を目論み、雲南は俄かに列強の目が注がれる国際政治の舞台となりました。

このような状況の中で1875年、ビルマと雲南間の通商路確保のための現地調査を行なっていた北京イギリス公使館のレイモンド・マーガリーが中国人に殺害される事件が発生しました。イギリスはこの事件を最大限に利用し、事件後締結された芝罘条約で、国境地帯での通商権益の獲得に向けて大きな一歩を踏み出します。

イギリスはまた、第三次英緬戦争を経てビルマ全土を併合し、英領インド帝国の準州とします。同時に、清朝との間で条約を締結し、ビルマと雲南の境界画定に向けて調査を行なうことを決定しました。国境をめぐる交渉と紛争は、ビルマと清朝崩壊後の中華民国の間でも引き継がれる一方で、1930年代後半に日中戦争が勃発すると、イギリス、アメリカは中国国民党を支援するためにビルマから雲南にかけて道路(援蒋ルート)を敷設します。


Construction of Burma-China Road, 16 Oct 1940-26 Jan 1943

ビルマでは1930年代以降独立運動が激しくなり、独立運動家の一部には日本と連携する動きもありました。ビルマ・中国間の国境をめぐる交渉と紛争は、ビルマ独立と中華人民共和国建国後の1960年に収束しました。

本データベースの登場人物

最後に、本データベースが収録する資料で言及されている人物の一部をご紹介します。新疆、チベット、雲南、ビルマ地域の近代史、中国近代史、中央アジア近代史、インド近代史から大英帝国史、西域探検史、チベット探検史、外交史、国際関係史、軍事史まで、関連領域が非常に広いコレクションであることの一端を示します。

英インド省

  • ダファリン卿[インド総督]
  • ジョージ・カーゾン[インド総督]
  • チャールズ・ハーディング[インド総督]
  • モーティマー・デュランド[インド政庁外務大臣]
  • ヘンリー・マクマホン[インド政庁外務大臣]
  • トマス・ジョージ・モントゴメリー[インド測量局]

新疆・東トルキスタン

  • フ ランシス・ヤングハズバンド [英、カシュガル総領事]
  • ジョージ・マカートニー[英、カシュガル総領事]
  • ニコラス・フィッツモーリス[英、カシュガル総領事]
  •  A.R.B.シャトルワース[英、カシュガル代理領事]
  • ロ ジャー・ロイド・ケニオン[英、カシュガル総領事]
  • パーシー・サイクス[英、カシュガル総領事]
  • パーシー・イサートン[英、カシュガル総領事]
  • ク ラーモント・スクライン[英、カシュガル総領事]
  • ロバート・ライアル[英、カシュガル総領事]
  • ジョージ・ギラン[英、カシュガル総領事]
  • フ レデリック・ウィリアムソン[英、カシュガル総領事]
  • ジョージ・シェリフ[英、カシュガル代理領事]
  •  J.W. トムソン-グローヴァー[英、カシュガル総領事]
  • ケネス・パックマン[英、カシュガル総領事]
  • ハリー・ジョンソン[英、カシュガル総領事]
  • エリック・シプトン[英、カシュガル総領事]
  • マイケル・ジレット[英、カシュガル総領事]
  • レ イモンド・イサーリントン-スミス[英、カシュガル総領事]
  • エリック・タイクマン[英、外交官]
  • チ ャールズ・マレー[英、パミール紀行]
  • ニ コライ・ペトロフスキー[ロシア、カシュガル総領事]
  • セルゲイ・コロコロフ[ロシア、カシュガル総領事]
  • ブ ロニスラフ・グロムチェフスキー[ロシア、探険]
  • ニコライ・プルジェワルスキー[ロシア、探険]
  • ダ グラス・フォーサイス[英、ヤクブ・ベク使節団]
  • ロバート・ショー[英、フォーサイス使節団]
  • フレデリック・ベイリー[英、情報将校]
  • スチュワート・ブラッカー[英、情報将校]
  • ロジャー・トレッドウェル[米、外交官]
  • ハミルトン・バウワー[英、軍人]
  • アブドゥル・ハミド[パンディット]
  • バドルド・ディン[イギリス側アクサカル]
  • カマル・ジャン[ロシア側アクサカル]
  • ヤクブ・ベク[コーカンド・ハン国軍人]
  • 左宗棠[中国清朝、陝甘総督]
  • 楊増新[中華民国、新疆省主席]
  • 金樹仁[中華民国、新疆省主席]
  • 劉文竜[中華民国、新疆省主席]
  • 盛世才[中華民国、新疆省主席]
  • 馬仲英[中華民国、イスラーム教軍閥]
  • ホ ージャ・ニアーズ[東トルキスタン共和国大統領]
  • オーレル・スタイン[英、探検]
  • スヴェン・ヘディン[スウェーデン、探検]
  • アルベルト・グリュンヴェーデル[独、探検]
  • アルベルト・フォン・ル・コック[独、探検]
  • エルズワース・ハンティントン[米、地理学]
  • 大谷光瑞[日本、西本願寺探検隊]
  • 渡辺哲信[日本、西本願寺探検隊]
  • 橘瑞超[日本、西本願寺探検隊]
  • 野村栄三郎[日本、西本願寺探検隊]

チベット

  • ダライ・ラマ13世
  • コルマン・マコーレー[英、ラサ使節計画]
  • フランシス・ヤングハズバンド[英、ラサ遠征]
  • ジェイムズ・マクドナルド[英、ラサ遠征司令官]
  • ジョン・クロード・ホワイト[英、シッキム政務官]
  • チャールズ・ベル[英、シッキム政務官]
  • ウィリアム・キャンベル[英、シッキム政務官]
  • フレデリック・オコナー[英、シッキム政務官]
  • フレデリック・ベイリー[英、シッキム政務官]
  • ヘンリー・モースヘッド[英、探検]
  • フ レデリック・ウィリアムソン[英、シッキム政務官]
  • ヒュー・リチャードソン[英、シッキム政務官]
  • ベイジル・グールド[英、シッキム政務官]
  • アンドリュー・ダルグレイシュ[英、探険]
  • デュトルイユ・ド・ランス[フランス、探検]
  • フェルナン・グルナール[フランス、探険]
  • ネイ・イライアス[英、探険]
  • ジョージ・ペレイラ[英、探険]
  • アニー・テイラー[英、宣教師]
  • ジョージ・シェリフ[英、プラントハンター]
  • フランク・ラドロー[英、プラントハンター]
  • フランク・キングドン=ウォード[英、プラントハンター]
  • ア レクサンドラ・ダヴィッド=ネール[フランス、探険]
  • ア ーノルド・ヘンリー・サヴェッジ・ランドー[英、探検]
  • ウ ィリアム・モンゴメリ・マクガバン[アメリカ、探検]
  • ウ ィリアム・ウッドヴィル・ロックヒル[アメリカ、外交官]
  • モーリス・ウィルソン[英、登山家]
  • エリック・シプトン[英、登山家]
  • ピョートル・コズロフ[ロシア、探検]
  • サラト・チャンドラ・ダス[パンディット]
  • キシェン・シン[パンディット]
  • ナイン・シン[パンディット]
  • キントゥプ[パンディット]
  • 趙爾豊[中国清朝、駐蔵大臣]
  • 河口慧海[日本、仏教学者]
  • 寺本婉雅[日本、東本願寺、仏教学者]
  • 青木文教[日本、西本願寺、チベット学者]
  • 多田等観[日本、仏教学者]
  • 矢島保治郎[日本、冒険家]

雲南・ビルマ

  • アシュリー・イーデン[英領ビルマ弁務長官]
  • リヴァース・トンプソン[英領ビルマ弁務長官]
  • チャールズ・バーナード[英領ビルマ弁務長官]
  • チ ャールズ・クロスウェイト[英領ビルマ弁務長官]
  • ア レクサンダー・マッケンジー[英領ビルマ 弁務長官]
  • フレデリック・フライアー[英領ビルマ弁務長官]
  • ヒュー・バーンズ[英領ビルマ弁務長官]
  • ハーバート・ホワイト[英領ビルマ弁務長官]
  • ハーヴェイ・アダムソン[英領ビルマ弁務長官]
  • バー・モウ[ビルマ、独立運動]
  • アウン・サン[ビルマ、独立運動]
  • 李経羲[中国清朝、雲貴総督]
  • 唐継尭[中華民国、南方軍閥雲南派]
  • 李根源[中華民国、南方軍閥雲南派]
  • 竜雲[中華民国、南方軍閥雲南派]
  • 山縣初男[日本、軍人]
  • 国分正三[日本、南機関]
  • 金子豊治[日本、ラングーン領事]
  • 久我成美[日本、ラングーン領事]

 

(センゲージ ラーニング株式会社)

※“China and the Modern World – Diplomacy and Political Secrets(1869-1950)” は、香港110年の歴史を記録したデータベース、“China and the Modern World – Diplomacy and Political Secrets(1869-1950)”と同じ、”China and the Modern World”シリーズでご提供します。

“China and the Modern World – Diplomacy and Political Secrets(1869-1950)”ご紹介記事「香港110年の歴史の記録」はこちら

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