人文社会系研究

英国とアジア400年に亘る交渉史を記録するデータベース

2023.01.20

英植民地省東アジア関係文書データベース

センゲージ ラーニング社Galeより、英国国立公文書館所蔵、英植民地省東アジア関係文書を提供するデータベース・シリーズ State Papers Online Colonial, Asia が登場しました。2022年10月に第1部がリリース、完成時には4部構成を予定しています。

※第2~4部は、2023年から2025年にかけて順次リリースする予定です。

「第1部:東アジア、香港、威海衛(Far East, Hong Kong, and Wei-Hai-Wei)」は、植民地香港、山東半島北岸の英国租借地威海衛、並びに東アジア・東南アジア地域に関連する資料を収録します。収録年代は19世紀から20世紀が中心ですが、東インド会社関連の資料は例外的に16世紀に遡って収録します。

植民地行政の分離独立

長く内政と外交を管轄する国務大臣の下に置かれていた植民地行政は、1768年の植民地担当大臣職の創設により、専任大臣の管轄下に置かれるようになりました。

1782年の行政機構改革により内務省と外務省が創設されたのに伴い、植民地行政は内務大臣の管轄下に置かれました。さらに1801年には植民地行政は陸軍・植民地担当国務大臣に移管されます。そして、1854年に陸軍と植民地の行政機関が分離し植民地のみを管轄する植民地省が創設されます。

国務大臣が内政と外交を管轄していた時代を経て、外務と内務が分離し、さらに植民地行政が分離独立した過程は、文書に即して見れば内政から外交、植民活動まであまねくカバーしていた時代の国務文書(この時代の内政と欧州外交関係の国務文書を電子したシリーズが State Papers Online)が専門分化し、植民地に特化した国務文書が編纂されてゆく過程です。植民地省文書を電子化する本シリーズをState Papers Online Colonialと命名した所以です。

400年に亘る英国とアジアの交渉史

植民地行政が組織的に整備され、世界の広大な地域が英領植民地としてイギリス帝国に編入されるに伴い、植民地省は規模と権限を拡大、外務省とともに帝国行政を支える基幹行政機関となります。

植民地省創設から一世紀後、第二次大戦後の脱植民地化の中で植民地省はコモンウェルス省と合併し、さらに外務省に吸収合併され、その歴史的役割を終えました。

本シリーズは東インド会社が独占的な貿易に従事していた植民地省創設以前の近世から、植民地省が有力な政府機関としてイギリス帝国の植民地行政を担った帝国主義時代を経て、脱植民地化の時代に至る文書群を収録することで、400年に亘る英国のアジアとの交渉の歴史に植民地統治の視点から光を当てます。

手稿資料の全文検索を実現

収録文書は活字資料、タイプ文書に加え、手稿資料に関しても手書文字認識(Handwritten Text Recognition, HTR)による全文検索を実装した画期的な電子リソースです。

手稿資料のページイメージから検索語が出現する箇所をハイライト表示しています。

英領植民地だけでなく、中国を始めとする東アジアの地域事情を広くカバー

収録文書は、植民地統治、植民地の周辺地域の国際情勢、植民地住民の生活実態を克明に記録します。英国による植民地統治の実情だけでなく、英領植民地でない国・地域の動向をも記録する文書群として、外務省文書と双璧をなすものです。

東アジアの英領植民地は、最も拡張した時代でも香港、シンガポール、マレー半島、ボルネオ、ブルネイ、サラワク、太平洋島嶼部等、一部の地域に限られました。

その外部の中国、朝鮮、日本等の国々は経済的にはイギリス帝国の圧倒的影響下に置かれていたものの、政治的には主権を維持していました。とりわけ広大な市場である中国の動向には植民地省も無関心ではいられませんでした。

収録文書には、これらの英領植民地以外の地域事情に関する多くの文書が収録されています。中国をはじめとする東アジア地域の従来の歴史研究においては、英領植民地を対象とする場合を除けば、主として外務省の文書が利用されてきました。

植民地省のアジア関係文書が電子化されたことで、これまで外務省文書によって描かれてきた英国とアジアの交渉史が新たな視点から光を当てられます。同じイギリス帝国の行政機関でありながら、対外政策を巡り角逐することもあった植民地省と外務省の文書を突き合わせることによって、新しい東アジアの歴史像が描かれることが期待されます。

コレクションと収録文書(例)

16世紀~19世紀前半 19世紀後半~20世紀前半 20世紀後半

16世紀~19世紀前半

CO77 East Indies Original Correspondence, Entry Books, etc. (1570-1856)
英国政府が植民地支配する以前の東アジア地域と交わした文書群です。植民地行政が独立する以前に植民地政策や貿易政策を管轄した商務院(Board of Trade)の文書を含みます。大半を占める英国政府の受信文書の他、特許や権利付与を記録する発信文書の控え、マドラス、ボンベイ、ベンガルへの発信文書、国務大臣の発信文書も含まれます。

エリザベス女王から中国皇帝への書簡(1596年) 東インドに関する国王の宣言(1623年)
英国商人が東インドでの交易を許される確かな理由(1600 年) アンボイナでの英国人の処刑(1624年)
東インドから購入される商品(1600年) 東インド貿易が王国に齎す力と富に関する覚書(1624年)
エリザベス女王からスマトラ国王への書簡(1601年) 国務大臣サー・エドワード・コンウェイから東インド会社総裁モリス・アボットへの書簡(1624年)
バンテン国王から国王ジェイムズ1世への書簡(1605年) アンボイナでの英国人に対するオランダ裁判の不正に関する声明(1624年)
東インド交易に携わるロンドン商人のソールズベリー伯爵への請願(1611年) 東インド会社とペルシア貿易に関する覚書(1626年)
東インド会社総裁の枢密院への請願(1614年) 東インド会社から国務大臣クックへの書簡(1628年)
東インドにおけるイギリス人の敵対行為に対するポルトガル人の苦情(1618年) 国王チャールズ1世のバンテン国王への書簡(1629年)
東インド会社の国王への請願(1619年) スラトのイギリス人とポルトガル人の紛争(1630年)
バンテン王国の事業の現状(1622-1623年)

※カレンダー
本シリーズのCO77/1からCO77/4までの初期の文書(1570年から1634年)については、19世紀後半に国立公文書館のノエル・セインズベリー(W. Noel Sainsbury)により編纂されたカレンダー(要綱)を収録します。カレンダーは文書を要約したもので、文書理解の補助資料として使われてきました。各巻の長大な序文は文書で扱われている出来事やその歴史的背景を説明しており、極めて資料的価値が高いものです。

  • Calendar of State Papers, Colonial Series, East Indies, China and Japan, 1513-1616.(1862)
  • Calendar of State Papers, Colonial Series, East Indies, China and Japan, 1617-1621.(1870)
  • Calendar of State Papers, Colonial Series, East Indies, China and Japan, 1622-1624 (1878)
  • Calendar of State Papers, Colonial Series, East Indies, China and Persia, 1625-1629.(1884)
  • Calendar of State Papers, Colonial Series, East Indies and Persia, 1630-1634.(1892)

文書表示画面では文書とカレンダーを左右見開きで表示することができます。

19世紀後半~20世紀前半

CO537 Colonial Office and predecessors: Confidential Original Correspondence(1878-1952)
本データベースの最大シリーズです。Original correspondenceは当初、植民地省の受信書簡のみを意味していましたが、後に発信書簡の下書きや添付文書も含まれるようになりました。香港、威海衛だけでなく、アジア全域に関する文書を含みます。CO537はアジア以外の地域もカバーする7,873ファイルの膨大なシリーズですが、本データベースはアジア関連の864ファイルを収録します。

◆香港

香港における中国人連隊(1878年) 阿片と麻薬の取引(1923年)
香港との電信(1888年) 戦時における民間人への食糧供給(1924年)
香港とシンガポール間の電信(1888年) 国民党の活動(1946年)
香港近郊の中国の要塞(1890年) 移民規制政策(1946年)
九龍半島における新防衛線の創設(1918年) 日本占領以前及び占領期における契約の有効性(1946年)
インド人守備隊の増加(1920年) 中国軍による香港船積み施設の利用(1946年)
新憲法の提案(1946年) 国防大臣の訪問(1949年)
英国の武器の香港からベトナムへの密輸(1947 年) 中国の現状:インド、パキスタン、セイロンの利害(1949年)
九龍城砦(1948年) 中国軍艦の香港海域への侵入(1949年)
澳門における共産主義者の活動(1948年) 中国共産党の対香港政策(1949年)
中国民主連盟(1948年) 広東鉄道(1950年)
香港義勇団:報酬と手当(1948年) 香港漁船体への海賊の攻撃(1950年)
中国への武器供給(1948年) 陸軍大臣の香港訪問(1950年)
香港における共産主義者の活動の対策(1948年) 想定される中国の台湾攻撃の香港への影響と米国の介入(1950年)
移民統制:中国人難民の流入(1949年) 中国政府戦時国債の販売(1950年)
中国の現状:仏領インドシナを含むフランスでの反響(1949年) 香港における窮乏中国人の救援(1950年)
中国共産主義者の外交的承認の検討(1949年) 朝鮮半島と台湾への米国の介入:香港での反響(1950年)
戦争勃発時におけるイギリス人の香港からの避難(1949年) 香港からの資産移転(1951年)
スターリングポンドの切り下げ 米国産綿花の香港への輸出禁輸(1951-1952年)
香港防衛:グルカ兵の利用(1949年)
東南アジアの植民地と香港への米国産コメの調達(1951年)
中国の現状:東南アジアと極東での反響(1949年)

◆日本

朝鮮人難民金玉均を日本から香港へ追放する日本政府の提案(1886年) 日本の艦隊の廃棄(1947-1948年)
欧州の戦争と日本の態度(1914年8月7日) 日本の賠償金:植民地内での配分(1948年)
東南アジア司令部からの日本人の送還(1946年) 欧州復興計画:日独輸出品最恵国待遇に関する米英二国間合意(1948年)
降伏日本軍人の東南アジアからの送還とセイロン人労働者による代替(1947年) 戦争被害請求委員会:日本の賠償(1948年)
極東委員会:対日講和条約作業部会(1947-1948年) 日本との貿易合意(1950年)
日本の賠償金の送付方法(1947-1948年) 日本と朝鮮からの英国民の避難(1951年)
日本の在外資産(1947-1948年) 日本の漁業:極東漁業協定の提案(1951年)

CO882 War and Colonial Department and Colonial Office: Confidential Print: Eastern (1843-1952)
植民地省や内閣での回覧用に印刷された重要文書です。香港、海峡植民地、ラブアンからセイロン、モーリシャス諸島まで、広大な地域をカバーします。

◆香港

香港の防衛に必要な軍事力(1843年) 香港:ムイツァイ制度(1921年)
香港:植民地通貨の現状に関する植民地大臣と香港総督の間の書簡(1860-1863年) 香港:罷業と不買運動に関する書簡(1925-1927年)
香港の衛生状態に関するチャドウィック氏の報告(1882年) 香港とマラヤにおけるムイツァイ制度(1934-1940年)
香港と中国港湾都市からの苦力の移民(1907年)

◆海峡植民地

海峡植民地:阿片農園に関するジョホールのスルタンとの合意覚書(1885年) 海峡植民地:通貨問題に関する書簡(1903-1911年)
香港と海峡植民地における阿片消費に関する書簡(1883-1896年) 海峡植民地:シンガポールの公衆衛生に関する書簡(1923-1925年)

◆ラブアン

ラブアン:サー・ジェイムズ・ブルック総督と東群島会社の紛争(1852年)
ラブアン:オリエンタル・コール・カンパニーの事件に関する書簡(1873年)

CO403 Colonial Office and Predecessor: Hong Kong Entry Books (1843-1872)
植民地大臣の発信文書の控えです。

CO489 Colonial Office: Hong Kong Register of Out-letters(1872-1926)
香港への発信文書の台帳です。香港総督名、日付、文書名、文書番号が記載されます。

CO521 Colonial Office: Original correspondence of Wei-Hai-Wei(1898-1933)
威海衛弁務官らから植民地省への文書と植民地省の返信です。威海衛は1898年に英国の租借地となり、1930年に中国に返還されましたが、返還が近づく1926年頃から文書が多くなり、返還に伴う軍隊の撤退や個人財産の保護や中国人の引き渡し等の問題に関して意見交換されました。

英国支配に対する住民の反抗(1900年) トランスヴァールへ向かう中国人労働者(1904年)
中国人連隊の除隊(1902年) 威海衛の日露戦争(1904年)
香港・上海銀行支店(1902年) 日本人による営口の漁船の押収(1905年)
ドイツの鉱山採掘権(1903年) 中国と日本の条約(1906年)
トランスヴァールからの中国人受刑者(1910年) 塩のシベリアへの輸出(1919年)
山東省における釐金の廃止(1910年) コレラの発生(1919年)  
中国税関の創設(1911年) 1920年の飢饉(1921年)
皇帝の退位(1912年) 中国人苦力のスマトラへの移民(1921年)
 フランスに向かう中国人苦力(1916年) 米駆逐艦の威海衛での停泊(1921年)
中国人苦力労働隊(1916年) 威海衛の中国への返還(1922年)

CO770 Colonial Office: Wei-Hai-Wei Register of Correspondence(1898-1931)
CO521の威海衛弁務官らと植民地省間の書簡の台帳です。植民地省の受信日、文書番号、発信者名、主題、関連する前後書簡への相互参照、備考が記載されます。

CO771 Colonial Office: Wei-Hai-Wei Register of Out-letters(1901-1926)
威海衛への発信文書の台帳です。威海衛弁務官名、日付、文書番号、主題、摘要が記載されます。

CO873 Colonial Office: Wei-Hai-Wei’s Commissioners files(1899-1930)
租借地時代の6人の弁務官文書です。鉱物資源、硫黄浴、塩税、綿花栽培、衛生、病院、貯水池、売春宿等、威海衛に関する報告の他、上海、香港、シンガポールの刑務所、宣教師による間違った情報の流布、イナゴ被害、反纏足運動に関する報告も含まれます。最後の威海衛弁務官は清朝最後の皇帝宣統帝溥儀の家庭教師を務め、Twilight in the Forbidden City(『紫禁城の黄昏』)で名高いレジナルド・ジョンストンです。

威海衛弁務官の中国当局との書簡(1900年) 威海衛市の独立宣言(1912年)
ポート・エドワードの衛生の改善(1902年) 香港からの阿片供給(1914年)
ワイルド・ウッドバインのラベルの日本による侵害(1902年) 威海衛における教員養成大学の設立(1916年)
英中学校への政府支援(1902年) 塩密輸の予防措置(1917年)
威海衛における税関の設立(1903年) 新聞報道における威海衛の反日感情(1919年)
南アフリカへの契約移民(1904年) 威海衛の反日感情:芝罘日本領事の苦情(1919年)
日本人によるジャンク船の押収(1904年) 中国への武器輸出の禁止(1919年)
ロシア人難民(1905年) 中国人労働者のスマトラへの移民(1920年)
中国人苦力のウラジオストークへの移民(1907年) 纏足禁止の布告(1922年)
年季奉公労働者のマラヤへの移民(1911年) ウラジオストークからの阿片密輸(1923年)

CO825 Colonial Office: Eastern Original Correspondence (1927-1951)
マラヤ(マレー連合州)、北ボルネオ、サラワク等、現在のマレーシアに関する文書が最も多く、その他、香港、中国、シンガポール、日本等に関する文書を含みます。アヘンやゴム、ムイツァイ(妹仔)に関する文書の他、第二次大戦後の戦争被害請求委員会(War Damage Claims Commission)の文書も含まれます。この地域の第二次大戦戦後復興計画については CO865 でカバーされます。

◆マラヤ

マラヤにおけるゴム農園の所有と組織(1933年) セイロン、モーリシャス、マラヤにおける労働者の状態(1942年)
香港とマラヤにおける植民地官僚の状態(1934年) 香港とマラヤにおける義勇軍(1942年)
マラヤにおける阿片取引管理(1935年) マラヤにおける軍政の取り決めと医療の提供(1944年)
香港とマラヤ経由で中国に向かうインド人移民(1936年) マラヤにおける食糧生産計画:コメ(1949年)
ムイツァイ:1936年4月ジュネーブで開催された奴隷制に関する専門家諮問委員会報告(1937年) 戦争被害請求委員会:マラヤの戦争被害請求(1949年)
ムイツァイ:マラヤとサラワクにおける法制化に関する報告(1939年) 戦争被害請求委員会:マラヤ報告(1951年)

◆ボルネオ

ゴム輸出制限:北ボルネオとサラワク(1927年) 北ボルネオの将来の地位を植民地とするか保護領とするかに関する国務大臣の決定(1944年)
日本軍占領:香港、マラヤ、英国、北ボルネオ政府職員の状況(1942年) 英国政府から植民地政府への金融支援:開発と福祉計画:北ボルネオとサラワク(1946-1947年)
香港と北ボルネオにおける軍政の取り決め(1943年) 戦争被害請求委員会:ボルネオのための予備報告(1947年)

◆サラワク

サラワクはその阿片供給をシンガポールから引き出すべきとする提案(1930年) 戦争被害請求委員会:サラワク、北ボルネオ、ブルネイにおける戦争被害の登録と分類の報告(1948年)
サラワクの将来に関するラジャとの討論(1944年) 東南アジアの経済開発:地域協力:サラワク

CO872 Colonial Office: Eastern Register of Correspondence(1927-1951)
CO825 の英領植民地関係文書の台帳です。各巻冒頭の文書一覧の後に、文書番号、主題、日付、発信者名等の情報が記載されます。

CO865 Colonial Office: Far Eastern Reconstruction Original Correspondence(1942-1945)
戦後の植民地復興計画に関する第二次大戦中の文書です。マラヤに関する文書の他、香港、ボルネオに関する文書も含まれます。

マラヤの再占領(1942年) 産業復興のための財政能力(1943-1944年)
救援事業スタッフの訓練(1942-1943年) 電力供給(1943-1944年)
戦後復興措置(1943年) 教育(1943-1944年)

CO975 Colonial Office: Far Eastern Reconstruction; Register of Correspondence(1942-1944)
CO865の戦後植民地復興計画関係文書の台帳です。

CO1008 Colonial Office: Far Eastern Economic and Supplies Committee: Minutes and Papers(1944-1945)
極東経済・補給委員会の議事録と文書です。植民地省と香港計画ユニット、シンガポール・ペナン計画ユニット、マラヤ計画ユニット、植民地総督の会議録、マラヤとボルネオの解放時に必要な商品、補給品獲得手続き等に関する文書を収録します。

20世紀後半

CO1022 Colonial Office: Southeast Asia department(1950-1956)
東南アジア局のボルネオ、ブルネイ、マラヤ、サラワク、シンガポール、マラヤ連邦に関する書簡です。これ以後の時期は CO1030でカバーされます。

東南アジア領域におけるパキスタン人の取扱い(1951年) 東南アジアにおける人種差別(1952年)
対日講和条約第14条に基づくイギリスにおける日本資産の処分(1952年) 中国と東南アジアに関する共産党プロパガンダ放送の分析(1951-1952年)
対日講和条約第14条に基づく日本の英国植民地への賠償金(1951-1952年) マラヤ、シンガポール、香港における労働者の状態に関する植民地労働諮問委員会への報告(1953年)
戦後東南アジアからのインド人送還の費用(1952年) 日本の東南アジアとの関係の将来(1951-1953年)

CO1023 Colonial Office: Hong Kong and Pacific Department: Original Correspondence(1946-1955)
CO129 Hong Kong Original Correspondence, 1841–1951(別商品 China and the Modern World: Hong Kong, Britain and China 1841-1951に収録)の後継シリーズで、香港および、トンガ、フィジー、ソロモン諸島の太平洋島嶼部、モーリシャス諸島、セーシェル諸島のインド洋島嶼部に関する文書の他、太平洋島嶼部に統治権を持つ英米仏等の諸国がこの地域の経済・福祉の向上を目的として1947年に設立した南太平洋委員会(South Pacific Commission)、英国の西太平洋地域統治の責任者、西太平洋高等弁務官の文書が含まれます。1951年から1954年までの時期をカバーします。これ以後の時期は CO1030でカバーされます。

◆香港

香港:資産移転(1952年) 香港:国民党の活動(1952-1953年)
対日協力の経歴を持つ香港警官への年金支給(1952年) 香港:憲法改革(1952-1953年)
香港:アングロ・イラニアン石油会社への土地リース(1952年) 香港:英国企業の中国における事業停止の植民地への影響(1952-1953年)
香港大学:財政と運営(1952-1953年) 香港:社会福祉報告(1952-1954年)
香港:都市計画(1952-1953年) 香港:高等教育に関するケズウィック報告(1952-1954年)
香港:中国との通商関係(1953年) 香港:家賃・借家規制法制(1952-1954年)
香港:大欖涌水供給計画(1953年)

◆太平洋島嶼部

南太平洋委員会:換金作物:コメ研究プロジェクト(1952-1953年) フィジー:ハリケーン被害(1952年)
南太平洋委員会:経済開発研究プロジェクト(1952-1953年) フィジー:砂糖理事会の形成(1952年)
南太平洋委員会:マラリアプロジェクト(1952-1953年) フィジー:コメ生産の改善(1952-1953年)
南太平洋委員会:産業発展プロジェクト(1953年) ニューヘブリディーズ諸島:分裂の可能性(1952年)
南太平洋委員会:研究理事会:南太平洋人口調査(1953年) トンガ:西太平洋高等弁務官:イギリス・トンガ友好条約の修正(1952年)
南太平洋委員会:漁業会議(1952-1953年) ソロモン諸島:植民地開発福祉計画:地質調査(1952年)
南太平洋委員会:金融規制と手続き(1952-1954年) ソロモン諸島:警察と刑務所(1952年)
西太平洋:日本人資産の利用(1952-1953年) ソロモン諸島:木材の輸出(1951-1953年)
西太平洋高等弁務官アーカイブ概観(1952年) タラワ:学校の再建(1952-1953年)
西太平洋高等弁務官政治行政サーヴェイ(1953年)

CO1030 Colonial Office and Commonwealth Office: Far Eastern Department and successors: Registered Files(FED Series)(1941-1967)
1954年に創設された極東部の文書です。香港に関する文書が大半を占め、教育、中国からの難民流入、中国との関係、移民流入規制、共産党員の活動、国民党員の活動、不動産、軍事基地、市民のデモ等、主題は多岐に亘ります。ごく一部を除き、1954年以降の文書です。

◆香港

香港における中国人難民の問題(1954年) 郷議局(1957-1959年)
香港教育省報告(1954-1955年) 香港における医療センターの提案(1958-1959年)
航空機所有権を巡る中国航空公司と中央航空公司の紛争(1955年) 中国の港における香港船員の拘留(1961年)
香港経由での中国からの欧州難民の移動(1955年) 九龍・広東鉄道(1960-1961年)
対日講和条約第16条に基づく日本資産の処分(1954-1955年) 移民政策:熟練労働者の中国から香港への帰国(1961-1962年)
香港における産業発展(1954-1955年) 九龍城砦(1960-1962年)
香港における有事規制(1954-1956年) 賄賂と汚職(1962年)
中華人民共和国の香港における代表(1956年) 香港から中国への食糧供給(1961-1962年)
香港における工学教育に関する報告(1954-1956年) スカルノ大統領の香港訪問(1960-1962年)
崇基学院の設立(1954-1956年) 香港の電力供給(1963-1966年)
香港における移民管理(1954-1956年) 日本の投資(1963年)
植民地省の香港財政管理:香港政府への権限移譲(1948-1957年) 香港と中国の対日戦争補償請求(1963-1964年)
香港の労働問題に関する専門家の報告(1957年) 香港における米軍軍事施設(1965年)
香港の英国海軍基地の将来(1957-1958年) 香港における女性の賃金平等請願(1964-1965年)
香港の学校における共産主義(1958-1959年) 香港総督サー・デヴィッド・トレンチの米英歴訪:討議記録(1966年)

◆東南アジア

ココス諸島の主権のオーストラリアへの移転(1954-1955年) 東南アジア政治情勢に関する総弁務官サー・ロバート・スコットの報告(1959年)
コロンボ・プラン:シンガポールでの諮問委員会(1955年) タイ運河計画(1963年)
東南アジア総弁務官会議議事録・文書(1955年)

写真・地図・プラン(アジア関係のものを精選して収録)

CO1069 The Colonial Office Library Photographic Collection
植民地省の写真コレクションです。

CO700 Colonial Office and predecessors: Maps and Plans: Series I
植民地省と前身機関の地図・建築プラン集 第 1 集です。

CO1047 Colonial Office: Maps and Plans: Series II
植民地省の地図・建築プラン集 第 2 集です。

CO1054 Colonial Office and successors: Maps and Plans: Post-1940 Collection
植民地省と後継機関の地図・建築プラン集 1940 年以後です。

付属文書(*本シリーズの全パートに共通して収録)

 The Colonial Office List
植民地省の幹部、高官から下級職員まで記載した職員名簿で、部局と担当地域毎に職員名と役割を記載し、地域毎に面積、人口、都市、地誌、気候、歴史、統治構造、土地政策、税制、財政、通貨、開発計画、教育、衛生、通信、職業、農産物、貿易、知事、官庁、司法等々の歴史・統計情報の他、地図をも掲載した植民地省総覧で、1862年から 1966年までほぼ毎年(1941年から1945年までの期間と 1947年は除く)刊行されました。これを参照すれば、文書の執筆者や受信者の組織内での役割や当該地域の背景情報が分かるため、植民地省文書を理解するための補助手段として使われてきました。

Colonial Governors from the Fifteenth Century to the Present. A comprehensive list*
植民地統治の最高責任者である総督、弁務官の名前をリスト化したものです。英国だけでなく、フランス、ドイツ、オランダ、デンマーク、ベルギー、イタリア、スペイン、ポルトガル、ロシア、スウェーデン、米国、日本もカバーされています。デビッド・へニジ(David P. Henige)により編纂、1970 年に刊行されました。ウィスコンシン大学出版局の許諾を得て電子化し搭載しています。

Calendars
「コレクションと収録文書(例)」のCO77 East Indies Original Correspondence, Entry Books, etc.(1570-1856) をご参照ください。

既刊データベースとの補完性

香港関係の植民地省文書としては、China and the Modern World: Hong Kong, Britain and China 1841-1951においてCO129 :War and Colonial Department and Colonial Office: Hong Kong, Original Correspondence(1841-1951)が収録されているため、このCO129 は本データベースでは収録対象外です。

本データベースではCO129文書と関わりの深い文書群を収録しています。例えば、下記はシリーズ名に “Hong Kong” がないものの、 CO129 と同時期(1840年-1951年)の文書で、香港に関する多くの文書を含みます(詳しくは「コレクションと収録文書(例)」をご参照ください)。

また、下記はCO129の後継にあたる文書群です。

更に、下記香港関連の植民地省の発信文書の控えと台帳も収録します。

本データベースは CO129 に含まれない多くの香港関係文書を収録するものであり、China and the Modern World: Hong Kong, Britain and China 1841-1951 と相互補完関係にあります。


近世初頭の東アジアへの進出から帝国主義の時代を経て、脱植民地の時代にいたるまでの400年にわたるアジアにおけるイギリスの植民地政策の核心をなす資料群が最新のデジタル技術によって甦ります。

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