前回までに続き、Wiley Digital Archives – British Association for the Advancement of Scienceの収録コンテンツをご紹介しながら、現代科学の形成に至る道のりを辿ります。
19世紀~20世紀の物理学
活用分野
英国史、物理学、一般科学研究、一般史研究、物理科学史、科学史、科学への出資、国際関係
歴史的背景
質物質、力、作用をその主な研究対象とする科学分野である物理学は、一番基礎的な科学分野の1つです。宇宙の成り立ちを理解することを主な目標とし、肉眼で見ることができるものから、顕微鏡でしか見えないものまで、自然のあらゆる事象を対象としています。
19世紀、力学および電磁気学などの分野から熱力学の法則、原子論の分野まで、物理学分野で重要な進展がありました。
19世紀の終わりまでに古典力学は、肉眼で見える状況、熱力学、気体分子運動論を含む高度で複雑な課題を扱うことが可能なレベルにまで発達しました。幾何学および物理工学は、電磁波とエネルギー、運動量、質量保存の法則で理解できるようになり、広く認められました。これにより、重要な物理学の法則が発見され、研究は方法と測定の改善に関わることであるということが多くの人に受け入れられました。
しかし、20世紀初頭、現代物理学と一般に呼ばれる、新たな時代の幕開けを促した重大な革命が物理学の世界を揺るがしました。現代物理学は、20世紀初頭を代表する2つの大発見、相対性理論と量子物理学を基礎としています。
The Advancement of Science Vol. XII.” BAAS Monographs, Printed in Great Britain Spottiswoode, Ballantyne & Co. Ltd., 1955–1956. Wiley Digital Archives.
人
ケルビン卿(ウィリアム・トムソン)(Lord Kelvin (William Thomson))
電気、磁気学、熱力学に革命的な貢献をしました。
ケルビン卿が有名な理由
ケルビン卿(ウィリアム・トムソン)は、1824年にベルファストに生まれた不世出の物理学者です。10歳から大学の講義に出席し、16歳で初めて科学論文を執筆しました。1841年~1845年までケルビン卿はケンブリッジ大学に通い、卒業後、物理学者ヴィクトル・ルニョーと共にパリの研究所で仕事を開始しました。
1846年、ケルビン卿は22歳でグラスゴーに戻り、自然哲学の教授となり、その後53年間同職を務めました。グラスゴーでは、大学の物理学研究所を初めて設立しました。
ケルビン卿は熱の性質を研究し、超低温を正確に定義できれば有用であることに気づきました。1848年、現在ではケルビンスケールと呼ばれる絶対温度目盛を提唱しました。また、熱力学の第二法則も公式化し、熱は低温から高温に移ることはないと主張しました。
ケルビン卿の送電についての関心が、1856年大西洋電話電信会社の責任者としての就任へと導きました。彼は粘り強くこの役職を務め、初の海中電信ケーブルを大西洋に敷設することを成し遂げました。このプロジェクトでのケルビン卿の尽力を称え、ナイトの爵位が授与されました。
1892年、グラスゴーとのつながりから名前をケルビン卿としました。1907年に没するまで、世界的な著名人として尊敬を集め、高い評価を得ました。
“British Association for the Advancement of Science.” BAAS Monographs, Printed by Spottiswoode and Co., 1894–1900. Wiley Digital Archives.
英国科学振興協会アーカイブに含まれる関連コンテンツ&特別コレクション
予約書籍、委員会への会議報告書、 物理学についてのメモおよびコース案内、物理学の法則についての論文およびメモ、熱力学についての講義メモなど。
Volume of Appointments to Committees, 1901-1919. 1901–1919
“Report of the Sixty-Fourth Meeting of the British Association for the Advancement of Science Held at Oxford in August 1894.” BAAS Monographs, John Murray, 1894
Intermediate Course of Physics. 1886–1887
Flint, Henry. “Untitled (on the Laws of Physics).” Henry Flint Papers, No Date
人
チャールズ・ホイートストン (「ホイートストンブリッジ」の父)(Sir Charles Wheatstone)
ホイートストンが有名な理由
イギリス人の物理学者であったチャールズ・ホイートストンは、1802年イギリスのグロースターシャーで生まれました。
ホイートストンは導体中の電気速度を測定する実験で回転鏡を使用した1834年に、ロンドン大学キングス・カレッジの実験哲学の教授に任命されました。この回転ミラーは後に光の速度測定にも使われました。
1837年、ホイートストンはイギリス人のウィリアム・フォザギル・クックと共に初期の電信装置の特許権を取得しました。ホイートストンは、小型アコーディオンの一種であるコンサーティーナ、3Dで写真を観察するステレオスコープも発明しました。ステレオスコープは現在でもX線写真や航空写真を見るのに用いられています。発電に電磁石の使用を開始したのもホイートストンで、プレイフェア暗号という1つのメッセージ内で対にした文字で置き換えるタイプの暗号化技術も発明しました。
ホイートストンはホイートストンブリッジを広めたことで良く知られていますが、元はサミュエル・ハンター・クリスティーの発明によるもので、未知の電気抵抗値の測定に使われます。
1868年、物理学での功績を称え、ホイートストンにナイトの爵位が授与されました。
Draft by Sir Charles Wheatstone. Source: King’s College London Archive
英国科学振興協会アーカイブに含まれる関連コンテンツ&特別コレクション
ホイートストンコレクション、会議報告書、物理学に関するメモ、コース案内、物理法則についての論文およびメモ、 熱力学についての講義メモ、発明品のカタログなど。
Catalogue of the Philosophical Instruments Models of Inventions, Products of National Industry, &c. &c. Contained in the First Exhibition of the British Association for the Advancement of Science, August, 1838.
(資料提供Wiley)
Wiley Digital Archivesシリーズ
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