人文社会系研究

連載:風俗画報でみる明治・江戸の火災・防災

2017.08.25

Web版 風俗画報は、ジャパンナレッジが提供する電子書籍プラットフォームJKBooks上で、我が国最初のグラフ雑誌「風俗画報」を提供するデータベースです。明治22(1889)年創刊、518冊からなる「風俗画報」は、わが国最大の風俗研究誌としても知られています。

風俗画報に掲載されている図版を、センゲージ ラーニング社Galeのデータベースに搭載された欧米の図版資料と比べながらご紹介する本企画、前回の「事故」報道に続き、今回は「火災・消防」報道に焦点を当ててご紹介します。日本では古来より多数の火災が発生しています。風俗画報ではこれらがどのように報道され、どのような図版が掲載されたのでしょうか。

過去の記事はこちら

江戸時代の防火対策

江戸時代には都市の繁栄とともに頻繁に大火が起こり、色々な防火対策も講じられてきました。以下の号は、火災そのものではなく、江戸時代の防火対策について報じられている、少し異色の特集号です。タイトルの江戸の花は「火事と喧嘩は江戸の花」から取られているのでしょうか?粋なタイトルですね。特集号にどのような記事や図が載っているか、見てみましょう。

  • 第179号(明治31年12月25日)江戸の花上編
  • 第181号(明治32年1月25日)江戸の花中編
  • 第183号(明治32年2月20日)江戸の花下編
  • 第186号(明治32年4月5日)火災消防図会

第181号(明治32年1月25日) 江戸の花中編 表紙

弘化三年正月本御庄山大火

弘化3年に起きた大火の様子です。被害の規模も大きかったようで、図からも混乱が伝わってきます。

弘化三年正月本御庄山大火の節越前屋鳥を放の図 江戸の花下編 第183号(明治32年2月20日)

この特集号では江戸時代の火消しについての記事や図も多数載っています。火消しは、町人による「町火消」、旗本による「定火消」、大名による「大名火消」に大きく分けることができます。「定火消」に召し抱えられた専門職の火消しは、「臥煙」と呼ばれ、旗本の火消し屋敷に住んでいました。丸太を枕にして寝ていて、夜半に火事が起きると、丸太を叩いて起こされたようです。効果的だとは思いますが、起こされたほうはびっくりするでしょうね。そもそも、木の枕ではよく寝られないでしょうし…

大槌一撃 睡眠を破るの図  江戸の花上編 第179号(明治31年12月25日)

次の図は、火消しが火消し屋敷から出動する様子を描いています。当時の火消しの装備が良く分かります。先頭の火消しが持っている長い道具は「鳶口」と呼ばれ、延焼を防ぐために周りの建物を壊すのに使われました。左下には手押しの消火ポンプが見えますが、消火能力は低く、延焼を防ぐ程度の物だったそうです。

定火消之図○火消屋敷に於て出勢準備の図  江戸の花上編 第179号(明治31年12月25日)

 次は町人が組織した「町火消」の出動を描いた図です。「町火消」はほとんどが、高いところにのぼるのが得意な鳶職によって構成されていたそうです。ここで見える装備も、ほとんどが鳶口や梯子、纏などで、延焼を食い止めるのが火消しの主な役目だったことが分かります。

町火消火事場に赴くの図  江戸の花上編 第179号(明治31年12月25日)

火消しは気の荒い人が多かったようで、鳶口を使った喧嘩がたびたび起きていたようです。火事同様に、喧嘩も「江戸の花」として紹介されています。

文政年間町火消喧嘩の図   江戸の花中編 第181号(明治32年1月25日)

明治時代の消防制度

次に紹介する「火災消防図会(第186号)」は明治時代の火事対策を特集したものです。

右:第186号(明治32年4月5日) 火災消防図絵 表紙

江戸時代の火事対策を描いた「江戸の花(第179、181、183号)」と比較すると、様子が大きく変わっていることが分かります。消防制度が整備され、各機関の協力体制が出来上がり、機材などの進化に伴い「消火」能力も上がっているようです。

次の図では纏や提灯を持った火消し、混乱する人達を制御しようとする警官の姿、蒸気ポンプの力で水が勢いよく上がっている様子が描かれています。「火災消防図会」の巻頭に「明治中期以降消防制度が整理された。警察署、消防署があり、水道栓や蒸気ポンプなどがある」という主旨の文があり、新制度や技術に対する期待感が感じられます。

巡査非常線を設けて余人の雑踏を防ぐ図 火災消防図会 第186号(明治32年4月5日)

次の図は建物の高層化に対応すべく、装備が充実している様子が良く分かりますね。ビルなどに備え付けられている救助袋が、この頃既に使用されており、移動式の長い梯子も描かれています。右下には、蒸気ポンプが使用されている様子が描かれています。蒸気ポンプはイギリス製、ドイツ製の物が使われ、高いところへの放水も可能になりました。この図に描かれている人達に余裕が感じられる気がするのは、新技術のおかげでしょうか。

救助梯子、救助袋、蒸汽喞筒使用の図 火災消防図会 風俗画報 第186号(明治32年4月5日)

都市では水道の整備が進み、下左図のような消火栓も使用できるようになりました。消火栓は消火活動に大きな力を発揮し、普及に伴い、火事の被害も減少したそうです。遠くに飛んで行く水の勢いが頼もしく感じられます。東京には、下右図のような非常報知線が警視庁、警察署、派出所や消防分署、出張所など313箇所設置されていたそうです。各機関の連携が取りやすくなったことが想像できます。

左:水道消火栓使用の図 火災消防図会 風俗画報 第186号(明治32年4月5日)
右:消防夫夜間巡廻並ニ非常報知線の図 風俗画報 第186号(明治32年4月5日)

当直が2名配置されています。江戸時代のように丸太の上に寝なくてもよくなり、消防夫の待遇は改善したようです。枕元には制服らしきものがみえます。

消防夫夜間就眠の図 風俗画報 第186号(明治32年4月5日)

風俗画報の火災・防災報道からは、火災・防災上の技術が時代を追って進歩していく様子が感じられます。
次回は火災や事故の際、どのような救援活動が行われていたのかをとりあげます。

(株式会社ゆまに書房 第一営業部 河上 博)

JKBooks「Web版 風俗画報」について詳しくはこちら

お問い合わせはこちら