医療系情報

Wiley Digital Archives王立内科医協会アーカイブ-魅力あふれるコンテンツ その3

2020.05.19
Wiley Digital Archives

前回に続き、近代医学を形成した物語の一部をご紹介します。各々の物語は、歴史を形成し、後に続く我々すべてのためとなる看護の質-そして生活の質-に根本的に影響を与えてきました。

これらの物語、そしてその他の物語について、王立内科医協会(Royal College of Physicians)アーカイブから学ぶことができます。

Wiley Digital Archives王立内科医協会アーカイブ-魅力あふれるコンテンツ その1(はじめてのワクチン)
Wiley Digital Archives王立内科医協会アーカイブ-魅力あふれるコンテンツ その2(医学の歴史)

Wileyサイト:https://www.wileydigitalarchives.com/rcp/
紀伊國屋書店サイト:https://mirai.kinokuniya.co.jp/catalog/royal-college-of-physicians/

医学における女性

活用分野

ジェンダー研究、生物学、医療人類学、解剖学、英国史、公衆衛生、保健教育、科学・医学史、健康における社会的要因、医学研究、その他の歴史研究

歴史的背景

女性は、家庭での介護、看護、薬草商としてなど、常に、医学的介護を提供する中心でありました。しかし、その歴史の大半に置いて医師という立場は男性が支配してきました。

ヨーロッパにおいて、この事実は、1400年代頃、多くの都市や政府が、大学で訓練を受ける者だけに正式に医術の実践を認めると決定したときからはじまります。女性の大学入学は許されていなかったため、女性たちは医学という発展途上の科学を利用するための免許を取得することができませんでした。

正式な教育から排除されたかわりに、女性たちは、病人の看護、貰い乳、助産、小さな外科手術や投薬など、大衆が必要とする多くの有料のサービスを提供しました。しかし、それでも女性たちは、出産といった分野でさえ男性と競争してきました。

正式な医学の実践において女性が初めて重要な進歩に関わったのは、1700年代末の病院改革、刑務所改革における看護分野でした。看護の役割は、世話、養育といった女性の社会的役割の延長とみなされていました。1800年代に、多くの女性が資格を得ようとし始めましたが、女性が医師となる道は男性と同等にはひらかれませんでした。19世紀末、多くの闘争の末に、ようやく女性は男性と同じ方法で医術を学び、実践する権利を獲得しました。

Autograph Letter from Elizabeth Garrett Anderson

Autograph Letter from Elizabeth Garrett Anderson to Dr. Copeman Thanking Him for His Contribution to the Library of the Medical Institute for Women. Autograph Letter Sequence, 25 Feb. 1891. Wiley Digital Archives.

エリザベス・ギャレット・アンダーソン(Elizabeth Garrett Anderson)は、イングランドで女性として初めて医師の免許を与えられました。

アンダーソンが有名な理由

エリザベス・ギャレット・アンダーソンは、パイオニア的な女性権利拡張論者であり、医師でもありました。1836年にロンドンのホワイトチャペルで誕生します。米国初の女性医師エリザベス・ブラックウェル(Elizabeth Blackwell)に出会い、医師になることを決意します。

アンダーソンは、医師になる努力を続ける中で、多くの困難に直面しました。あらゆる医学校への入学に失敗し、ミドルセックス病院の看護学生となります。男性に交じって授業に参加しましたが、不満を訴えられて追い出されます。その後、薬剤師協会の試験を受け、1865年に資格を取得、このことが、協会の女性の入学を拒絶する協会規則を変更する契機となりました。

1866年にロンドンのセントメリーズ診療所の医師となり、パリで医学学位を取得するためにフランス語を独習、学位を取得したにも関わらず、英国医師登録を拒絶されます。女性の訓練のための病院や女性や子供のための専門診療所を設立を支援、セントメリーズ診療所にNew Hospital for Womenを設置、これが1872年にロンドン女子医学校(London School of Medicine for Women)となります。

彼女の働きの結果の一部として、1876年に、女性が医師となることを許可する法律が可決されました。1883年、アンダーソンはロンドン女子医学校の学部長に任命され、その成長を見守りました。1902年に引退、サフォーク州に移り住み、1908年にイングランド発の女性首長となりました。1918年に、ロンドン女子医学校は、エリザベス・ギャレット・アンダーソン病院(Elizabeth Garrett Anderson Hospital)と改名されました(現在、ロンドン大学の一部)。

Garrett Anderson circa 1889

Garrett Anderson circa 1889.
Source: notablebiographies.com.

王立内科医協会アーカイブに含まれる関連コレクション&特別コレクション

医学的助言を必要とする人々にエリザベス・ギャレット・アンダーソンが書いた手紙、エリザベス・ギャレット・アンダーソンが王立内科医協会に宛てて書いた手紙(女性の受験を許可する大学や機関のリスト付)、王立内科医協会の申請記録、女性の疾患に関する講義やメモ、助産学に関する講義、女性医師に関するモノグラフ 他

情報源:
http://broughttolife.sciencemuseum.org.uk/broughttolife/people/elizabethgarrettanderson
http://broughttolife.sciencemuseum.org.uk/broughttolife/themes/practisingmedicine/women

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(資料提供Wiley)