Mirror Historical Archiveとは
Mirror Historical Archiveはイギリスの左派系大衆紙『デイリー・ミラー』と『サンデイ・ミラー』の創刊号から2000年までの記事を電子化、原紙のイメージを忠実に再現し、フルテキスト検索を実現した画期的なデータベースです。
『デイリー・ミラー』小史
新聞王ハームズワースが創刊した第二の大衆紙
1870年の初等教育法により義務教育を受けた世代が社会の中堅層を担うようになった19世紀末から20世紀初頭にかけて、『タイムズ』に代表される高級紙とは一線を画し、一般大衆向けの新聞が創刊されます。初の大衆紙として創刊されたのが『デイリー・メール』ですが、創業者のアルフレッド・ハームズワース(後のノースクリフ卿)が第二の大衆紙として創刊したのが『デイリー・ミラー』です。
フォトジャーナリズムの先駆者
メアリー・ハワースを編集長に抜擢し、編集委員にすべて女性を起用するという異例の試みで発刊されました。しかしこの試みが失敗に終わると、ハームズワースは図版を多用した新聞に模様替えします。写真を活用した『デイリー・ミラー』は、郊外から都心に通勤する人々が車内で気軽に読める新聞として好評を博しました。英国のフォトジャーナリズムは後に週刊誌『ピクチャー・ポスト』等により開花しますが、その種を撒いたメディアが『デイリー・ミラー』です。
変革の時代
第一次大戦後、『デイリー・ミラー』の勢いは失速します。ノースクリフ卿から経営権を譲り受けた弟のハロルド(ロザミア卿)は、政府の過大な支出に反対する自身の政党、反浪費同盟(Anti-Waste League)の主張を紙上で展開します。また、同じくハロルドが経営権を持つ『デイリー・メール』と同様、労働党や労働組合を敵視し、ゼネストに反対する論陣を張る一方で、イギリスファシスト連合を論説欄で支持するなど、右派色を前面に押し出し、更なる読者離れを起こします。1930年代、窮地に陥った『デイリー・ミラー』は否応なく変革を迫られます。
この変革を推進したのが、漫画家としての技量のみで重役まで上り詰めたハリー・ギイ・バーソロミュー(Harry Guy Bartholomew)です。強烈な反エリート意識の持主で、後に「イギリス・タブロイド紙のゴッドファーザー」と呼ばれるバーソロミューの下で、『デイリー・ミラー』は起死回生の変革を成し遂げます。大胆なヘッドライン、口語調の文体というアメリカのタブロイド紙の手法とイギリス急進紙の伝統を融合させた『デイリー・ミラー』は、センセーショナリズムを看板とする労働者階級向けの大衆紙へ脱皮します。
新しい大衆紙の象徴へ
ただし、労働者階級向けの大衆紙と言っても、同じ左派系の『デイリー・ヘラルド』とは異なり、既成政党による党派政治からは距離を置き、政治意識が高くない非組織労働者、政治の現状に不満を持つ無党派層の労働者をターゲットに据えました。ロザミア卿はオーナーから退き、中小株主が分散して株主を所有するようになった『デイリー・ミラー』は、新聞王による大衆紙の時代から一般大衆による大衆紙の時代に移行した時代を象徴する新聞となりました。
第二次大戦期
再生後の『デイリー・ミラー』は第二次大戦期に飛躍を遂げます。第一次大戦中に『デイリー・メール』が砲弾問題を巡って政権批判を展開したように、「兵士の新聞(Forces’ Paper)」と銘打って、軍隊の官僚制的非効率や戦争遂行を阻む障害を告発する兵士の声を投書欄に掲載します。また、性や恋愛や結婚に関する人生相談を提供する媒体のなかった時代にこれらの話題を提供し、銃後の女性読者を獲得、性病に関する連載記事は特に教育的効果を与えました。大戦中に発表され、戦後の福祉国家の青写真を提示したビバレッジ報告に対してはいち早く支持を表明し、福祉国家のキャッチコピー「揺り籠から墓場まで」のフレーズは同紙の紙面を通して人口に膾炙しました。「民衆の漫画家」と呼ばれたフィリップ・ゼック(Philip Zec)の諷刺漫画は戦時下の政府を刺激し、発行停止処分の瀬戸際まで追い込まれました。『デイリー・ミラー』が特に大きな政治的ムーブメントを起こしたのが大戦末期の総選挙です。「民衆とともに前へ(Forward with the People)」のスローガンを掲げ、前線にあって投票できない兵士の代わりに、「彼らのために投票を(Vote for Them)」と兵士の妻、母親、姉妹に呼びかけ、労働党の地滑り的勝利と大戦の指導者チャーチルの退陣というイギリス総選挙史上屈指の番狂わせを演出しました。
戦後:イギリス最大の新聞へ
戦後の福祉国家体制の下で、『デイリー・ミラー』は時代の追い風を受けます。1950年頃には発行部数で『デイリー・エクスプレス』を追い抜き、イギリス最大の新聞に上り詰めます。センセーショナリズムを編集の方法として自覚的に採用し、民主主義社会で大衆に事実を正確に伝える方法としてこれに一層の磨きをかけます。紙面のレイアウトや文体からセンセーショナリズムまで、同紙の手法は大衆の感情を表現し、出来事を大衆に効果的に伝達する方法として編み出されたものですが、この側面を最も体現したのがコラム「カッサンドラ」です。コピー・ライター出身のウィリアム・コナーが手掛けたコラムで、パブで語るようなくだけた調子で労働党を含む既存の政治を批判するそのスタイルは、特に若い労働者の好評を博しました。また人生相談に応えるアゴニー・アント、マージョリー・プループス(Marjorie Proops)も人気のコラムニストとして読者拡大に貢献しました。1960年代には史上最大の570万部を記録、『デイリー・ミラー』は押しも押されもせぬイギリス最大の新聞となります。
他紙との競合
しかし、頂点を極めた『デイリー・ミラー』の地位を突き崩す大きな地殻変動が生じていました。生活水準と教育水準が向上した労働者の価値観の変化、福祉国家の負の側面の表面化、テレビの台頭を前にしたメディア間の競争の激化です。『サンデー・タイムズ』が高級紙戦略として文化情報を充実させたように、「タブロイド紙のクオリティー・ペーパー」を目指し、調査報道と論評に重点を置いた「ミラースコープ(Mirrorscope)」欄を設けたのもこの頃です。しかし、『デイリー・ミラー』の発行部数は下降曲線を描き、競合紙『サン』に地位を脅かされます。
『サン』は『デイリー・ミラー』の親会社が低迷する『デイリー・ヘラルド』を買収した際に紙名を変えて再起を期したもので、一時期は『デイリー・ミラー』と姉妹紙の関係にありました。しかし、業績の回復には至らず、その後ルパート・マードックに売却されました。かつての『デイリー・ミラー』のスローガン「民衆とともに前へ」を自紙のスローガンとし、『デイリー・ミラー』の名物コラム「カッサンドラ」のウィリアム・コナーの息子ロバート・コナーによるコラム「カッサンドラの息子」を始めるなど、『サン』はなりふり構わず『デイリー・ミラー』の手法を模倣し、英国最大の大衆紙の地位を『デイリー・ミラー』から奪うことに成功します。
また、サッチャー政権を生んだ政治的地殻変動をバネに再生した『デイリー・メール』も発行部数で『デイリー・ミラー』を凌ぐようになります。『デイリー・ミラー』はフォークランド紛争や炭鉱ストライキでサッチャー政権を批判しますが、時代の趨勢を変えるには至りません。現在、『デイリー・ミラー』の発行部数は最盛期の十分の一の水準です。
独自の存在感を誇る左派系大衆紙
それでも、イラク戦争では参戦を決断した労働党のブレア政権を批判し、EU離脱の是非が争われた2016年の国民投票では、EU残留の必要を説き、左派系大衆紙として依然として独自の存在感を示しています。
1903『デイリー・ミラー』創刊
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A. ハームズワースによる創刊の辞。「本紙は他紙が試みたことがないことを試みる。本紙は女性の関心、考え、営みを掬い上げる新聞である。」(November 2, 1903)
1904 写真を多用した新聞に編集方針を軌道修正
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1904年1月26日から4月27日まで『デイリー・イラストレイテッド・ミラー』の紙名で発行された。(January 26, 1904)
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報道カメラマンのアーマンド・コンソールが気球に乗って上空からアルプスを撮影した写真を掲載した。(September 3, 1912)
1910 エドワード7世死去
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ピースメーカーと呼ばれたエドワード7世の遺体。写真はアレクサンドラ王妃の命により撮影され、『デイリー・ミラー』に独占掲載された。写真を入手したヘネン・スワッファーによれば、100ポンドで写真を買いたいとの申し出に王妃は自分のお気に入りの新聞『ミラー』一紙に掲載するのであれば、と快諾したという。(May 16, 1910)
1913 サフラジェットのエミリー・デイヴィソン死去
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戦闘的サフラジェットのエミリー・デイヴィソンがダービー競馬の競技中、抗議の意思表示として疾走する国王の馬に身を投じ、死去した。その場面を撮影した写真。(June 6, 1913)
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デイヴィソンの葬列を撮影した写真。(June 16, 1913)
1915『 サンデイ・ピクトリアル』創刊
1916 徴兵制施行
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第一次大戦中の1916年、独身男性を対象に徴兵制が導入されたが、その後既婚男性にも拡大した。写真はハイドパークでデモをする既婚男性。(March 19, 1916)
1921 反浪費同盟創設
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社主のロザミア卿は自身の政党「反浪費同盟」の主張に沿って、政府の過大な支出に対する世論の動員に努めた。(December 10, 1920)
1926 ゼネスト
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ゼネストを自国民によって民主政府の頭に向けられた最も恐るべき兵器と断じ、政府は抵抗するためにあらゆる手段を使うべきと主張した。(May 3, 1926)
1928 21歳以上の女性に参政権が付与される
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女性参政権の最低年齢を30歳から21歳に引き下げる法案が提出されると、フラッパー(現代風の若い女性を指す流行語)に参政権は不要と反対の論陣を張った。(April 11, 1927)
1932 イギリスファシスト連合創設
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「黒シャツ隊の愛国主義と規律は若者にとって実践的指針となるだろう」と、英ファシスト党への支持を呼び掛け、物議を醸した。(January 20, 1934)
1935 総選挙
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総選挙では、投票する候補者、投票しない候補者に関する読者の投書を掲載し、読者の政治に対する関心を高めようとした。(November 7, 1935)
1936 ジョージ5世死去
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当時としては珍しい全段ぶち抜きのボールド書体で国王の死を報じた。(January 21, 1936)
1938 対独宥和政策
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宥和政策の支持派から反対派へ転じ、ドイツが武力に訴えるのであれば、イギリス人も力でそれを阻止する、と論じた。(September 24, 1938)
1939 第二次大戦開戦
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第二次大戦勃発2 日前のコラム「カッサンドラ」。好戦的な論調とは距離を置き、史上最悪の体制から自身を防衛することを対独戦支持の理由とした。(August 30, 1939)
1942 発行停止処分の瀬戸際に追い込まれる
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筏の上で海を漂流する船員を描いたフィリップ・ゼックの諷刺画で「原油の価格が1 ペニー値上がりした」とキャプションにある。石油の節約を呼びかけたものだが、石油産業の利益を優先することを諷刺したと政府に受け取られ、発行停止処分の瀬戸際に追い込まれた。(March 6, 1942)
1942 ビバレッジ報告
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『デイリー・ミラー』はビバレッジ報告に対して他紙以上に支持し、「ビバレッジによってどう生誕し、養育され、埋葬されるか」のような見出しを使い、紙面で啓蒙活動を展開した。また、「揺り籠から墓場まで」のフレーズを普及させた。(December 2, 1942)
1945 総選挙で労働党勝利
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1945 年の総選挙では「民衆とともに前へ」のキャッチフレーズを使い、労働党を支持した(上、May 11, 1945)。
投票日の一面では、前線にあって投票ができない兵士の妻や母や姉妹に向けて「彼らのために投票を」と労働党への投票を呼び掛け、対独戦に勝利した日に掲載した負傷した兵士を描いたフえィリップ・ゼックの漫画と「二度と手放してはいけない」のキャプションを再掲した(中、July 5, 1945)。
『デイリー・ミラー』のキャンペーンは労働党の地滑り的勝利をもたらし、大戦の指導者チャーチルは退陣を余儀なくされた。(下、July 27, 1945)
1948 シルヴェスター・ボラム、編集長に就任
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ボラム編集長による「本紙はセンセーショナルな新聞である」で始まる有名な論説。大衆社会において出来事をヴィヴィッドに伝える方法としてセンセーショナリズムを掲げた。(July 30, 1949)
1955 殺人犯のルース・エリスに死刑執行
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ルース・エリスに死刑が執行された1955 年7 月13 日、コラム「カッサンドラ」は死刑反対の主張を展開した。(July 13, 1955)
1956 スエズ危機
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強硬策を取るイーデン首相に対して、イーデン家の家訓「思慮以外に守りとなる力はなし」を引用し、自制を求めた。(September 11, 1956)
1958 漫画Andy Capp連載開始
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北部の労働者階級の家族という設定。現在も続く長寿漫画。(April 14, 1958)
1963 労働党大会でウィルソン党首、政策提言「労働党と科学革命」を発表
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翌年の総選挙を視野に、科学技術に対するオプティミズムを背景にした未来ビジョンは大きな反響を呼んだ。(October 2, 1963)
1964 総選挙で労働党、政権を奪還
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科学技術の未来ビジョンを掲げた労働党に対して、保守党の科学軽視を『ミラー』は厳しく攻撃した。(October 12, 1964)
1967 妊娠中絶法制定
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コラムニストマージョリー・プループスは違法な中絶を行なっている女性のために、妊娠中絶法の可決を訴える大法官宛書簡を掲載した。(November 26, 1964)
1967 イングランドとウェールズで同性愛合法化
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法案が成立する見通しになり、「社会革命が始まる」と歓迎の意向を示した。(July 5, 1967)
1968 『 ミラー』会長のセシル・キング、署名入り記事でウィルソン首相の辞任を要求
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労働党支持の新聞の会長による首相辞任要求は衝撃を与えた。結局、キングは会長を解任させられた。(May 10, 1968)
1975 性差別禁止・同一賃金法制定
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マージョリー・プループスのコラム。性差別禁止・同一賃金法制定をすべての女性にとっての偉大な日として祝福した。(December 29, 1975)
1982 フォークランド紛争
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外交による解決を説く『ミラー』を『サン』は「臆病な新聞」と呼び、『ミラー』は『サン』を「フリート街の娼婦」とこき下ろす。フォークランド紛争では、新聞同士が泥仕合を演じた。(May 8, 1982)
1984 炭鉱スト
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労働者が雇用を守るために闘うことには理解を示しつつ、今ストライキを行なっても敗北せざるを得ないと論じた。(March 8, 1984)
データベースの概要
- 収録資料:
『デイリー・ミラー』(1903-2000年)、『サンデイ・ピクトリアル』(1916-1963年)、『サンデイ・ミラー』(1963-2000年)
- ページ数、記事数:
約92万ページ、約412万記事
- 機能:
ページ送り、画面拡大・縮小、全画面表示、輝度・コントラスト調整のビューワ機能の他、印刷、PDFファイルのダウンロード、OCRテキストのダウンロード、記事のイメージ画像とOCRテキストの閲覧、書誌自動生成、書誌情報のエクスポート、メール送信、Google / Microsoftログインとクラウド連携を実装
- 解題(英文):
- 「 『デイリー・ミラー』序説」(エイドリアン・ビンガム、シェフィールド大学)
- 「『デイリー・ミラー』と左派政治」(エイドリアン・ビンガム、シェフィールド大学)
- 「『デイリー・ミラー』と女性」(エイドリアン・ビンガム、シェフィールド大学)
- 「『ミラー』の言語:大衆のイディオム」(マーティン・コンボイ、シェフィールド大学)
- 「『デイリー・ミラー』と漫画」(ジェイムズ・ホイットワース、シェフィールド大学)
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